真田幸村は、生活のにおいが薄い。真面目で一本気な性質であるから、起床から就寝まで常に規則正しい男だ。ただ、傍目からすれば、淡々と日常を過ごすことを己の義務と思っているように写り、言ってみれば全く面白味のない日常である。生活臭というよりは、人間味と言った方が正しいのだろうか。真田幸村も人である以上、喜怒哀楽はもちろん持ち合わせてはいるが、趣味というものが彼にはなかった。好みはあるものの、日常に散りばめられている何かに、特別に執着することがない。
 和歌は詠めない。舞は主に所望された時、場を白けさせぬ為の幸若舞が数手、形通りに舞える程度で、それも決してうまくはない。下手なのではない、形にはまり過ぎて機械的な動きになっているせいで、面白くはないのだ。拙いのではなく、元々の才能がないのだろう。鍛錬を欠かさすことなくこなしているお陰か、素質か若さかは分からないが、伸びやかでしなやかな、柔らかい筋肉を持ってはいるくせに、舞の時に限っては全く使いこなせていない。それならば剣舞の方がまだマシなのだが、それでも五十歩百歩だ。娯楽というものと悉く釣り合いが取れない、要は雅を理解できぬ朴念仁なのだ。
 佐助も一度だけ、人手が足りずに下男として酒宴の末席に加わった中で、幸村の舞を見たことがある。生粋の戦忍びとして育てられた佐助は、芸能のいろはにはてんで素人だったが、その佐助の目からしても、酷いと評価せざるを得ない出来だった。酔っ払いしかいない場でよかったと、佐助がほっと胸を撫で下ろした程であった。

「っていうわけだからさ、旦那に和歌送っても、効果はないよ」
 佐助は主に渡すようにと握らされたものを一瞥した。白檀が焚き染められた扇子には先人の和歌をもじった歌が書かれ、梅の枝が添えられていた。風来坊も毎回趣味の良いことで、と佐助は思うものの、渡されるべく当の本人がその心遣いを全く理解しないのだから性質が悪い。風と共に香る白檀のにおいが鮮やかなだけに、余計にそう思う。梅の香を題材に恋心を綴った歌は確かに巧みであったが、幸村の心を和ませることはないだろう。前田殿は和歌の才能がある、と感心してはくれるだろうが、所詮そこまで。その恋心が自分に向けられたものだと知ったら、途端、顔を強張らせるに違いない。
 佐助はぱちんと扇子を閉じて、素っ気無い様子で慶次に突っ返した。前田の風来坊こと前田慶次が幸村にご執心になってそれなりに年月が経っている。互いの性格を知る分には言葉を交わしている。佐助は乱暴な動作でずいっと扇子を差し出したが、慶次は苦笑を浮かべながらも受け取る様子はない。佐助は彼にも聞こえるように、大きな溜め息をついた。
「融通は利かないし、視野も決して広い方じゃないけど、頭はまあ、悪い方じゃない。一通りの教養は叩き込まれてるから、きっと意味は通じるだろうけどさ。肝心のあんたの心はきっと伝わらないよ」
「あ、やっぱり?」
 難しいなあ、と慶次は頬を掻いた。この男は、何も巧みな和歌の才能を褒めてもらいたいわけでも、前田殿は風流なお方ですなあ、と気にかけてもらいたいわけでもない。自分の想いを知ってもらって、理解してもらって、それで、あんたの心は?と幸村に対等な返事をもらいたいだけなのだ。
 二人の間で板挟みになっている己を、佐助は今更ながら後悔した。一般的な(と佐助は思っている)感性を持つ佐助としては、慶次を応援したい気持ちがないわけはないのだ。恋はいいよ、恋に生きな、と言う慶次の全てに賛同はできないものの、まあしないよりはした方が、恋はいいもんだし、という思いが佐助の中には確かにある。けれども、それも彼の恋焦がれる相手が自分の主でなければ、という条件付きだ。正確には、彼の想い人が真田幸村という戦さ人でなければ、だが。相手にするには、明らかに分が悪い。実際、悪いというよりも可能性が皆無に等しい。
 幸村だって、恋という言葉は知っている。が、結局はそれ止まりで、その中身を自身の中に持ち合わせていないのだ。必要ないと切り捨てたのならまだしも、彼の中にはそのような感情が一度として存在したことがないのだ。
「あんた、男を好きになったの、これが初めてだろ?女はこれでイチコロかもしれないけどさ、」
「なら、手段を変えてみようかねぇ」
 佐助は再び溜め息をついた。そういうことが言いたかったわけではない。そもそも、好きだ惚れたと本人に告げているにも関わらず、それらしい返事を寄越さない時点で、彼は諦めるべきなのだ。真正面から立ち向かおうとも、回り道をしようとも、答えは既に出ている。
「悪いけど、はっきり言わせてもらうよ。うちの旦那はやめといた方がいい。骨折るだけ無駄だよ」
 お節介もはなはだしい、と佐助自身思う。けれども慶次は、佐助の切り捨てるような台詞にも動揺した素振りはなく、いつもの明るい調子を崩すことはなかった。
「そうかい」
 と、相槌を打ちながら、佐助の手からひょいと扇子と梅の枝をつまみ上げた。
「でもさぁ、恋は障害が多い方が燃えるって言うだろ?」
 直接渡すよ、幸村は鍛錬場かい?あ、あと、忠告ありがとな。慶次はそう朗らかに笑いながら、佐助の前を通り過ぎて行った。慶次が佐助の言った意味を知るのは、もう少し先の話になりそうだ。

「それで傷付くのは、前田の旦那だけなんだけどねぇ」
 一人、独白する。主よりも多分に人間味も情緒もある忍びは、けれども主よりも軽薄にできているのだった。
 










一発目は幸村が出てこないっていう暴挙。
10/08/14