「忍びは恋しないの?結婚は?」
 そう、花に水をやっている佐助に問い掛けたのは、迷惑な来訪者である前田慶次だ。通い続けて、どれほどになるだろうか。月日を忘れる程度には見慣れた顔と、それなのに一向に効果が表れない恋路に、佐助でなくともよくもまあ根気強いことで、と文句の一つも言いたい。慶次はというと、真っ直ぐに幸村にぶつかっても意味はないとようやく覚ったのか、こうして時々、佐助のことを訊きたがる。外堀から攻める手法らしい。佐助は佐助で、迷惑な来訪者と思ってはいるものの、慶次の健気さを評価しているだけに、無闇に邪険には扱わない。乱雑な扱いな時も、それはまああるけれども。
 佐助は水やりの手を止めずに、視線だけを慶次に向けた。
「…なんで?」
「忍びは幸村に一番近い存在だろ。そんな奴が、恋って素敵!最ッ高!ってなったら、幸村も考えを改めないかなーと思ってさ」
 そもそも、前田慶次は佐助と幸村の関係を勘違いしている節がある。確かに佐助自身、主従以上の絆の深さを感じてはいるものの、結局のところ、自分たちは主と従うべき草なのだ。幸村が佐助に影響を与えることはあっても、佐助が幸村に何かしらの変化を与えることはない。その辺りが幸村は特に徹底しているから、佐助がどのような軽口を叩いても関係は崩れない。決して佐助と幸村は対等な関係ではないし、友などという生やさしい括りはもってのほかである。確かに、武田の忍びに対しての温情は他の軍では類を見ない優遇さではあるものの、それとて主従の区別ははっきりしている。幸村は感情を挟まず佐助を使役できるように、佐助もどんな無茶な命令も理不尽な、と嘆くことなく遂行できるように出来ているのだ。だからこそ、そうまで幸村に夢を見られても困る、というのが佐助の内心だ。恋は目を曇らせるね、と佐助は思うが、今のところ実害がないので放置している。傷付くのは慶次であり、良心が痛むのは佐助であり、佐助が何にも代えて守るべき幸村様は、そうかと一言くれれば重畳、おそらくはどうとも思わぬに違いない。幸村が慶次に向ける感情としては、その程度だろう。
「うーん、恋云々は置いといて、ガキ作るかどうかは旦那次第かな」
「なんでそこで幸村が出てくんの?まさか、忍び!」
 恋の熱で沸騰した頭が叩き出した、飛躍したであろう下世話な結論に、佐助は思わず頭を抱えたくなった。幸村の佐助に対する気安さを、うらやましい、と言っていた慶次のことだ。間違った方向に発展しただろうことは想像に難くない。
「…くっだらない邪推はやめてくれる?マジで鳥肌立つ」
 至極真っ当な世界観で育ってきた(という自覚が佐助にはある)佐助の中に、男色という選択肢は存在すらしていない。それは幸村も同じだろう。彼の場合、衆道以前に男女のそれに対するもの自体が淡白で、そういったもの全般に対しての関心が薄いせいもあるだろうけれど。上下関係が目に見えてはっきりしている二人に限って、対等な恋愛感情が生まれるはずもない。
 思わず寒くもないのに腕をさすってしまった佐助を見て、慶次は首を傾けた。ならば何故?と疑問が飛び出すのは当然のことだが、佐助は言ってしまうかどうか逡巡して、結局誤魔化すことを選択した。これは、己の胸に秘めておくものだと自覚しているからだ。
「あー…、これは俺の勝手な自己満足だし、ま、あんたには関係ない話だ」
 佐助がすっぱりと会話を拒んだことを感じ取った慶次は、それ以上の追及はしなかった。引き際を弁えている、話していて実に楽な相手ではあるはずなのに、幸村が絡むとそうではないのが玉に瑕だ。慶次と幸村とて、そういう情が絡まなければ、もっとマシな関係を築いていただろうに、と佐助は分析するものの、友なり何なりの関係が成立するよりも先に慶次がぶちまけてしまったせいで、それもおじゃんになってしまった。会話術に富んでいて、場の空気を読むのもうまい、人の懐に簡単に潜り込んでしまえる愛嬌と度量があり、人に好かれる性質であろうに。完璧な"善い人"が、どうしてうちの旦那なんか見初めてしまったのか、と佐助は何度も思うが、未だに答えはない。恋というものは、とんと見当がつかぬ感情なのだ。

「そういやあ、幸村は?来客中かい?」
 佐助に会う前に鍛錬場を覗いたのだが、いつもならば居る姿がなかった。仕事でこもっている、とも考えられるが、慶次自身、幸村が政務についている姿を見たことがないせいか、その考えは直結しなかった。ならば、大切な客でも来ていて、そちらを歓待しているのでは、という単純な流れだった。
「客って言えば、そうなんだけどねぇ」
 佐助は苦虫を噛み潰したような顔で言い澱んだ。佐助にしては珍しい態度である。
「やっかいなお偉様でも来てるのかい?ちょっくら暴れて追い返してやろうか?」
 佐助の態度を深読みした慶次はそうからかうように言ったが、すぐに佐助は表情を繕って、「そんなことしたら、あんたは一生上田領内立入禁止だ、むしろ旦那は一生口を聞かないだろうね」とやけに真剣な口調で言われて、慶次は勘違いに気付く。
「じゃあ、誰が来てるんだ?」
 佐助は、教えるべきか、と迷ったものの、別段隠すほどでもないことに気付いたのか、ようやく人物の名を告げた。慶次が何の身分も持たない根無し草でなければ、それも無理だったろうけれど。

「信之さま、旦那の兄上さまがご来訪中だ」

「…幸村、兄弟居たんだ。知らなかった」
 短い沈黙の後、慶次はそう相槌を打つ。
「旦那自身、あまり話題に出さないようにしてるからね。兄の他に弟も居るよ。全員信之さまの城で暮らしてるけど」
「…なんで?」
「信之さまは本家、旦那は分家って扱いで真田家は二分されてる。ま、一番のきっかけは信之さまが徳川家康の養女とご結婚されたことかな。あとは、……色々事情があってね。旦那がお館様しか見えてないってのも理由の一つだと俺は思ってる」
「ごめん、全然話が見えないんだけど」
 佐助にしては、分かりにくい言葉だった。隠し事には慣れているはずなのに、うまく言葉が紡げていない。ついつい言葉の選択が慎重になりすぎて、何を秘匿したいのかが分からなくなってしまっている。
「あー、色々複雑でね、あのお二人は。こうして顔を合わせるのも、何年振りかな」
「なに?仲悪いの?」
 ああまた間違えた、と佐助は苦笑する。違う違う、と大袈裟に手を振れば、いよいよよく分からない、と慶次が首を傾げる。
「逆だよ逆。兄弟仲は至って良好、異様とも言えるぐらい仲は良いんだけど、元々の相性が良くないみたいで」
「なにそれ」
「なんて言うか、お互いが大切なのに、うまく噛み合わないっていうか。そういう夫婦って居るだろ?好き合ってるのにすれ違ってばっかな二人。あの兄弟はまさにそんな感じ」
 兄弟の例えに夫婦を持ち出したからだろうか、慶次の顔が曇る。しかし、佐助にとってあの二人はそれぐらい仲が良かったし、時折ぞっとする程に互いを想い合っていた。あの二人でなければ夫婦というまとめ方に違和感を覚えただろうが、あの二人にはむしろ丁度良いように思えた。
「ま、そういうわけだから、今日は帰った方がいいよ。旦那は信之さまで頭がいっぱいだから、あんたの入り込む隙間は、いつも以上にないからね」
 佐助はそう言って、水差しに残っていた水を慶次に撒き散らす。ちょ、何するんだよ!と声を荒げる慶次をよそに、旦那、またいじめられてないといいけどなあ、と主へと意識を飛ばすのだった。







(真田兄弟の会話)

「兄上、お久しぶりにございます」
「うん、お前が中々帰ってこないから、私の方から来てしまったよ」
「それは誠に申し訳なく…、しかし、もう少し供をつけてはいかがか?道中は何かと危険でござる故、いくら右近の腕が立つと申しても、二人だけというのは、」
「お前も中々に心配性だね。なに、ちょっとお前の真似をしてみたくてね。お前もよく、佐助だけを連れて遠出するだろう?それと一緒だよ」
「されど、いざと言う時、佐助は俺を負ぶって逃げることができますが、右近ではそれは少々荷が重いのでは」
「ということらしいよ、右近。もっと精進しなさい」
「兄上は上背がござる。大男でなければ、それも叶いますまい」
「お前も減らず口を叩くようになったね。それはそうと、武田の方たちとは仲良くやっているかな?お前のことだ、ご年配の方々には好かれるだろうけど、同年代の者との付き合いを疎かにしているのではないか?その歳で既に城持ち、更に信玄公からも贔屓されているともなれば、やっかみを生むよ。そういうものは、後々無用な火種になる。全員と仲良うする必要はないけれどね、味方を作っておかなければ、いつかお前は孤立するよ」
「…耳の痛い話でござる」
「そう言えば、信玄公が許可なさっているからと、あまり躑躅ヶ崎館に出向していないようだね。いかにお前でも、好奇の目にさらされるのは苦手かな。主君の城で居心地の悪い思いをしていては駄目だろうに。お前はいつまで視野の狭い振りをしているつもりだい?いい加減、分家の当主という自覚を持ちなさい」
「誠にもって、その通り。幸村の至らぬところでございます」
「ああそうだ、お前もそろそろ嫁御を娶る歳だね。武田の方から、なんぞ良い話はないかい?父上が生きていらしたら喜んで手配なさったろうけど、それももう無理な話だからねぇ」
「兄上、その話はまだ、」
「いつまで逃げているつもりだい源二郎。お前はこの真田家分家の跡取り。本家が守護していた頃ならいざ知らず、今は一国の領主様だよ。武田家ではなく、信玄公に仕えているつもりなら、早々に認識を改めることだ。お前には、この真田家を繋いでいく義務がある。若いうちから、信玄公の後を追うことばかり考えていてはいけない。お前は、そうしたいのだろうけどね。お前の命は、身体は子種は、お前のものだけではなくなってしまったんだよ。いい加減、自覚をお持ち」
「は、は、分かってはいるのですが、」
「心がそれを拒む、とでも言うかな?まあ、その責任は信玄公にもあると私は思うけどね。お前をこんな城に閉じ込めて、お前がのびのびと生きられる世界を与えてしまった。ここはお前の理屈で守られているよ。だから、私の言葉は棘となってお前を攻撃している。私は、お前の理屈の住人ではないからね。信玄公も、ほんにずるいお方だ。私の可愛い源二郎を私の手から取り上げただけでなく、こうして自分の好きなように飼い慣らしているのだから」
「兄上、いくら兄上であろうとも、お館様への不敬は、」
「いいよいいよ、悪者は私でいいんだ。お前は結局、私ではなく"おやかたさま"を選ぶのだから、私が何を言ってもどうせ一時の風のざわめき程度にしかなりはしないよ。ああ、ああ、ごめんよ源二郎。私はお前をいじめたいわけではないのだ。どうしていつもこうなってしまうのか、ただ離れて暮らすお前が息災であってくれさえすれば、私も心安うしていられるはずなのに、逢うとこれだもの、困ったものだね」
「兄上、それはこの幸村とて同じこと。お元気そうで何よりです。幸村は、幸せ者です」
「ふふ、愛らしいことを言う。そうだ、折角だから上田の町を見せてくれないかい?」
「ええ、ええ、もちろんです。よければ少し遠駆けをして、温泉に行きませぬか?」
「それはいい提案だ。じゃあ早速行こう。すぐに行こう。お前の気が変わってしまわぬ前に」
「ではすぐさま準備させます」

「ああそういえば、幸村、」
「はい?」
「前田慶次という男に言い寄られているというのは、どこまでが噂でどこまでが本当なのかな?」
「は?」











無性に兄上を出したくなったので出しました。後悔はない。兄上に関しては全てが捏造でござる。勢いに任せて右近も出しちゃったてへ。
うちの兄上は、幸村のことを『源二郎』と呼んだり『幸村』と呼んだり忙しないお方です(…)
副題は『猿飛佐助の忠義』です。うちのさっちゃんは忠義者なのです、うむ。
10/08/15