大戦の後の幸村は、大概いつもひどい状態だ。満身創痍という言葉がまさにぴったりで、包帯が全身を覆っている。敵陣に少ない兵を率いて突っ込んでいくのが一番の原因だろう。信玄も、決してそれを止めない。生死の嗅覚に優れている幸村は、どのような大怪我を負っても致命傷を負うことはない。ただ、何日も寝たきりの怪我をもらってくることは、珍しいことではなかった。戦の熱に浮かされて、痛覚が麻痺してしまうらしい。どれほど血を流そうが、戦の終わりを告げる法螺貝が鳴り響くまで、幸村は止まることを知らない。痛みでうずくまっているような裂傷を負っても幸村は走る。折れた腕を不便そうに鉢巻で槍に固定しながら二槍を振るう。額に傷をこさえた時など特に悲惨で、垂れる血が目に入って邪魔だと言って、繊細な箇所にある傷にも関わらず血が流れる度にごしごしと拭う。手当てをする佐助が軽く悲鳴を上げる程度に、幸村は己の傷具合には無関心だった。それでも、毎回生きて戻るのだから、佐助はもう呆れるしかない。生き生きとした主の横顔は、いつだって血と硝煙と土埃にまみれていた。清潔な着物を着て、甘味を片手に縁側で過ごす幸村には見られぬものだ。
(根っからの戦さ馬鹿なんだよね。おそろしい生き物だよ、まったく)
 今日もまた、決して放置してはおけぬ傷を半刻は手当てをせずに戦場を駆け回っていたらしい、肩の傷の包帯を替えながら、佐助は独白する。限りある命を必死になって燃やそうとしているように、戦場では生き急ぐ幸村の戦い方は、正直好きではない。長生きできないよ、と佐助は思うし、何度も忠告したのだが、幸村は取り合ってはくれなかった。幸村自身、長生きがしたいわけではないのだろう。
(健気過ぎて、俺はぞっとするけどね)
 そういう佐助とて、幸村と同じように幸村に仕えているのだから、人のことは言えない。ただ、忍びと武将とでは、まず命の重さが全く違うということを、幸村は忘れてはいないだろうか。いや、規律を正しく記憶している幸村に限ってそれはないだろうけれど。それほどまでに、幸村は己の身を省みないのだ。


 まだ床上げの許可が下りぬ内に、どこから聞きつけたのか、前田慶次が来訪した。ふらりと立ち寄っては必ず土産を置いていく律義者だが、下心が見え透いているだけに歓迎はあまりされていない。ただ、幸村に惚れたのなんだのと言う割には、実際にどうこうしようとう思惑はないようだった。純粋に幸村を好きになって、だからこそ、近くに来たついで、もしくは珍しいものを手に入れたのを理由に幸村の顔を覗きに来る。健全であり真っ当であり、だからこそ、佐助は邪険になりきれない。敬愛する(あえて佐助はこの言葉を選ぶ)主に真っ直ぐな好意を向ける相手を、そう悪いようには扱えぬのだ。当の本人がどれだけ嫌がっていようとも、だ。
 流石に幸村に相手をさせるわけにもいかず、佐助は仲介役として慶次の前に姿を見せた。慶次はひどく慌てた様子で、佐助の顔を見るなり距離を詰めて、掴み掛かる勢いでまくし立てた。やれ、幸村は大丈夫なのか、大怪我をしたと聞いたが大事ないか、痛み止めに良い薬を京でもらったから処方してやってくれ、出来れば一目見たいのだが、というのは、まあいつものことなので、佐助の耳も聞き流した。そのあまりの大音声は床の中で暇を持て余している幸村にまで届いてしまったようだ。別の忍びが佐助の元に使わされ、慶次を通すように、と珍しい命令が届けられた。慶次は半分涙を浮かべていて、鼻をぐすぐすさせながらも、喜びを身体全体で表現していた。大層騒がしい客人に佐助は「静かにするように」と指を突きつけたものの、慶次はその警告を聞いているのかいないのか、一旦は神妙に口を閉ざしていたが、幸村の寝所に近付くにつれてそわそわし出している。良くも悪くも己の感情に正直なのだろう。佐助も苦笑するしかない。

「旦那、」
「起きている、入れ」
 くぐもった声なのは、まだ喉の腫れがひかないせいだ。戦場では常に声を張り上げている幸村は、喉がはちきれんばかりに喚声を上げる。そのせいで、戦後はいつも喉を痛めている。常日頃から鍛えていればこんなことにもならないのかもしれないが、戦のない日の幸村は至って物静かで、あまり声を荒げる方でもない。とことん、日常と戦場との姿が重ならない男なのだ。
 部屋の中央には、布団の中から身体を起こした幸村がこちらを眺めていた。布団を取り囲むように書物が散乱している。物語を好まぬ幸村の蔵書は、信玄から賜った軍記ものがほとんどだ。幸村の部屋を見る限り整理整頓をされてはいるが、何も常に掃除をしているわけではない。ある程度散らかってきたら徹底して片付けをするだけで、彼自身はとても物臭だ。それでも、佐助に命じずに己でどうにかしてしまう辺りなど、律義者の色がにじみ出ている。
「このような姿で、失礼する」
 と、幸村の目が慶次を映すのと、慶次が慌てて幸村に駆け寄るのは、ほぼ同時だった。幸村のすぐ側に膝をついて、幸村の姿を上から下までじっくりと見つめる。が、途端に顔を曇らせた。
「幸村!また無茶して。ああ、ああ、まったく痛々しいったらないよ。もっと肩の力抜いて生きなよ、俺、心配で心配で…!噂であんたのこと聞いて、それから全然生きた心地しなかった!もっとさ、自分大事にしてよ。じゃないと、」
「そなたに心配をしてもらう謂れはない。いつ、そなたと敵対するか分からぬのだ、軽はずみなことを申すものではない」
「心配だよ。何で心配しちゃ駄目なんだい。俺はあんたが好きだから、だから心配なんだ」
 幸村の眉間に皺が寄る。まさか、この場でもそういった単語が飛び出すとは思っていなかったのだろう。慶次の指が、布団に上に投げ出されている幸村のそれに重ねられた。幸村が文句を言いたげに慶次を睨みつける。
「ねえ、抱きしめていい?」
「………」
 幸村はそれに返事はせず、代わりに慶次の指をはね除けた。慶次は苦笑を浮かべて、何事もなかったように指を引っ込める。元々、聞き分けの良い男であり、相手を怒らせる程に嫌がることが強要できない性質なのだ。
「でも、よかった。案外元気そう」
「怪我には慣れておる。死んだ報ならまだしも、生きておるのだ、大事無いに決まっておろうに」
「幸村は強いね。俺は痛いのとか苦しいのとか駄目だから、幸村みたいにカッコ良いこと言えないよ」
 余程安心したのか、慶次がだらしのない笑みを幸村に向ける。部屋の入り口からとっくに天井裏へと移動していた佐助は、その笑みを平和呆けしたのん気な笑顔、と思ったが、幸村には違う印象を与えていた。戦場で生きることしか想定していない幸村にとって、その笑顔がやけに落ち着かないのだ。生ぬるい温度に、幸村は慣れていない。

 幸村は顔を伏せる。慶次がそれを気にして名を呼んだが、幸村は返事をしなかった。慶次は、結局それ以上踏み込んでは来ない。だからこそ、幸村は最後の最後で慶次を許容しているのだろうか。
「某はそなたが分からん。戦場に立つ以上、怪我をするのは詮無きこと、それを嫌だなどと言うものではない。そもそも、某などより、前田殿の方が余程優れた武人であろうに、何故、それを棒に振る。某には、とんと理解できぬ」
「俺は幸村の方がすごいと思うけどね。俺には俺の得意があって、でもそれは、戦事に関してじゃない。俺は、あんたみたいな生き方は出来ないよ。いや、あんたみたいな生き方は、本来ひとが目指すもんじゃない。死ぬ為に、生きているようなもんだ。あんたのこと、俺は大好きだけどさ、あんたの見つめてる先は、正直大嫌いだ」
「前田殿は、むごいお人でござる」
「俺が?」
 冷え始めた空気を厭うように、慶次が殊更明るく笑い声を立てた。慶次の常の逃げの手段だ。こういった雰囲気が苦手なのだ。結局自分は、どこに行っても逃げられぬと嫌な現実を突きつけられるようで、慶次は必死になって笑みを作る。けれども幸村は、必死になって逃亡を図る慶次に対しても容赦がなかった。
「槍や刀の妙技は修業の賜物でござる。されど、それを支える身体の良し悪しは、生まれ持っての才能だ。――どう足掻いたとしても。某がどれほど己を鍛えたとて、前田殿のような体躯にはなれぬ。才能に恵まれながら、何故逃げる。某には理解できぬ」
「俺とあんたじゃ、立場も境遇も違うよ。俺、戦は嫌いなんだ。それが理由。それ以上も以下もない、単純で明快だろ?」
 顔が引き攣るのを、慶次は必死になって笑みを作る。幸い、俯いている幸村には見えていない。それなのに、不安になるのは何故なのだろうか。幸村は、いつまで経っても遠い存在だ。
「何が違うと申されるのか。好き嫌いの感情で、皆が槍をとっているわけではない。そうあるべし、と示された生き方だからだ。武門の男児という条件は同じであろう。前田殿が思うておる程、某たちの道は異なものではござらん」
 それは、慶次が逃げ出した道だ。目の前にいつも居座っている、太く真っ直ぐで、迷うことのない用意された道を、けれども慶次は行くことをやめた。武士だ、大名だ、戦だ、一揆だ。そういったものは、もうこりごりなのだ。それなのに、そうやって逃げ出して、自分の気ままに生きているはずなのに、どうして慶次が背け続けている道をひた進む男に恋をしてしまったのか。慶次が口を挟めずにいると、幸村は続きを紡いだ。
「道が交わらぬように見えるのは、ひとえにそなたの軟弱さ故ではなかろうか。何故、逃げる。何故、拒む。結局某たちは、その道以外に進むべき道を知らぬ。だからこそ某は、そのような恵まれた才能を持ちながら脇目ばかり振っているそなたが、時々、はらわたが煮えくり返りそうになる程憎らしいのだ」
 幸村はゆっくりと唇を引き結んだ。慶次からの反応はない。言い過ぎたか、と思わぬでもないが、いつかは言わねばならぬことと思っていたせいか、あまり後悔はなかった。これで、慶次も離れていくだろうか。それならば、それでいいような気がした。ひとを敵味方の区分けでしか分別できない幸村にとって、慶次はそのどちらにも属さぬ宙ぶらりんの存在であり、それがどうにも落ち着かない。ある意味、敵よりも遠い存在である。慶次を己の中でどう整理をつけたらいいのか分からないから、余計にもどかしいのだ。

 ぼんやりと、ただ時が過ぎるのを待つ。どれほどそうしていたのか、慶次が弱々しく幸村の名を呼んだ。幸村は顔を上げる。そこにはいつもの笑顔があって、幸村は思わず面食らう。
「ねえ、抱きしめていい?」
 そう言って、幸村の指に手を重ねるものだから、包帯の巻かれた手で強く慶次の手を叩いてやったのだった。











全然違う二人っていうのを押し出したくて。こんな感じで平行線が続いていきます。
10/08/16