最早、何度目かの同盟かは分からない。武田と伊達は、互いが互いの益になる時にだけ気まぐれに手を組み、また気まぐれにその手を離す。真田幸村がその使者を務めることもあれば、違う者が派遣されることもある。昨日の敵が今日の友、されど明日にはどのような情勢に傾いているか全く見当のつかぬ乱世である。今も幸村は同盟国となった伊達家の当主と酒を酌み交わしているが、明日にはどのような関係になるか分からない。それは既に周知の事実であるし、だからこその信頼もあった。同盟者である内は、互いに不利益になることはしない、という何とも薄っぺらな信頼だ。だが幸村はそれを当然のことのように信じていて、政宗も政宗で、幸村と大差はない。薄っぺらな信頼は、武田家と伊達家に結ばれているだけでなく、幸村と政宗個人にも横たわっているものだ。


「毎度のことだが、あんた、顔色一つ変えねぇな」
 政宗は既に杯を置いて、同じ調子で酒を口に運び続ける幸村の姿を肘掛にもたれかかりながら眺めている。幸村は飲み始めた当初と変わらぬ、胡坐をかいた姿勢に不釣合いのぴんと伸びた背筋のまま、淡々と酒を乾す。まるでそこにあるのはただの湯水のように見えるが、先まで酒を舐めていた政宗は、それがこの奥州でも特に強い酒であることを知っている。喉が焼けるようにきついその酒を、幸村はするすると飲み干す。下戸の政宗には考えられぬ所業であった。
 "毎度"と政宗は言ったが、それほど親しい仲ではない。二人きりで酒を飲んで他愛ない会話をするのも数える程度だ。それでも政宗が幸村に、一種の親しげな口の軽さで言葉を滑らせるのには、ひとえに戦場での邂逅があるからだろう。こうして互い武器を持たずに顔を合わせるよりはるかに、己の得物を両手に戦場でぶつかり合う方が多い。命のせめぎ合いの中、相手しか映らぬ目で、相手の名を叫び合う。ただそれだけのことが、互いの魂を深く理解しているような錯覚をもたらした。それはまさに錯覚と呼ぶに相応しく、平時の互いの姿に、これがあの男か、と思ったはずだ。戦場では常に攻勢を貫く伊達政宗だが、城に戻れば名君と名高き領主様だ。しばしば戦場では右目よりも前に出てしまうこともある政宗でも、鎧を脱いで政に打ち込む姿は落ち着いており、流石は奥州を統べる者よと貫禄もある。幸村は幸村で、戦場では常に激戦区へと身を投ず苛烈さと、声を限りに敵を威圧し味方を励ますその大音声は暑苦しいが、戦場から離れてしまえばただの平凡な青年だ。暑苦しくもなければ叫びもしない。戦場での彼は別人かと思わせる程に感情が薄かった。
「政宗殿は、酒が入ると少し雰囲気が変わりますな。せつのうなると言いますか、」
「奥州筆頭を捉まえて、何とも可愛げのある言い草じゃねぇか。そういうあんたは、ぼんやりしてやがるな。隙がねぇってわけじゃねぇんだが、」
「政宗殿の仰ることは、よう分からん」
 幸村は政宗の前で深く考えることはしない。おそらく、他人の発言に無関心なのだろう。幸村の言葉は時々やたらと無神経で、こうしてばっさりと人の台詞を切り捨ててしまう。甘やかされて育った証拠だ、と政宗は思うのだが、そこから先が続かない。彼と話していても、日常が見えてこないのだ。彼が生き生きと映える場所はやはり戦場で、それ以外の全てはどうでも良いものなのかもしれない。だから人とのコミュニケーションもおざなりで、会話や相手の些細な仕草から思いを読み取る術も未熟だ。いや、無関心と言うべきなのだろう。彼は、その全てを放棄しているように見えた。


「そう言やあ、あんた、嫁は貰ってたか?ガキはまだ出来ねぇのか?」
 強引な話題転換は今に始まったことではない。話題を提供しない限り、幸村は自分から滅多に話し出したりはしない。自分がただの武田家の一家臣でしかないことを弁えているようで、政宗は時折それがもどかしい。幸村はいつまで経ってもそのような調子なので、政宗の方が戦場が恋しくなってしまう。ただ無意味に互いの名を呼び合って命を賭けている方が、こんな言葉遊びより余程相手のことが分かる気がするのだ。
 話の内容が内容だっただけに、幸村の「破廉恥!」発言を期待した政宗だったが、幸村は一旦杯を置いて少しだけ笑みを作った。少々の呆れを含んだその表情に、政宗も僅かに眉を寄せる。
「某は、まだまだ未熟者ですので」
「別に、早くねぇだろ。周りは何も言わねぇのか」
「見合いを、とは何度か勧めては頂いておりますが、全てお断りしております」
 だからこそのあの表情だったようだ。幸村にしてみれば、こんな奥州くんだりまできて、耳にタコが出来ているような話を振られるとは思わなかったのだろう。無粋なことをしたもんだと政宗は思ったが、話を提供した手前、すぐに引っ込めるには勿体ないような気がした。確かに、この男が女を組み敷いている姿が全く想像できなかったからこその話題だったのだ。こうして酒を飲んでいても、幸村にその手の気配はない。清廉だの奥手だの、子どもくさいだのという意味ではない。幸村には、そういった人として当たり前に必要なものが抜け落ちている。前田の風来坊を援護するわけではないが、これは教育を誤ったと政宗も思わざるを得ない。若干幸村の方が若いが、年齢にそう大差はない。まだ跡継ぎが生まれる気配はないものの、政宗はきっちり妻帯している。
「今はそれでもいいかもしんねぇけどよ、あんたも武家の男なら分かってるだろ。俺らはガキ作ってナンボだ。領土広げるだの天下取るだの、まあそれも大事だけどよ、そうやって勝ち取ったもんを繋げてく為の子種でもあるわけだ」
 ここに小十郎が居たのであれば、下品であらせますぞ!と政宗の発言をたしなめただろうが、生憎と不在だ。幸村は幸村で、政宗がわざと使う下世話な単語に慣れてきている節があって、破廉恥と騒ぐこともなければ、そのような物言い、御身に相応しくありませぬ、と不快を表すこともしなくなった。当初はからかって遊んでいた政宗だったが、子どものようにぎゃあぎゃあと騒がれることも面倒になって、同じようなタイミングで幸村も慣れたものだから、二人は歩み寄るよりも先に状況に順応してしまった。
「某は、その、世継ぎをつくる気はありませぬ」
「ああん?越後の龍でも見習ってやがんのか?ああいう非生産的な志はどうかと俺は思うがな」
「そういう意味ではありませぬ。真田家は某がどうこうせずとも兄上が繋げてくださいます」
「極端なヤツだな、あんたは。確か、あんたの兄ちゃんは徳川の人間じゃなかったか?なんだい、武田を支える真田家ってやつは、あんたの代でしまいか?違うだろうが。武田のおっさんが死んだ後はおっさんの息子にあんたは仕えることになる。で、その息子の息子に仕えるのは、あんたの息子になるんだろうが。あんたの手前勝手なわがままで途切れさせれるもんでもねぇだろう」
 政宗は言いながら、残っている最後の徳利に手を伸ばした。中途半端に余らせるより、幸村に全部飲ませてやった方がいいだろうと思ったからだ。幸村は申し訳なさそうに酒を受けたが、口をつけるより先に言葉を吐き出した。酒に酔わぬ男の声は抑揚が少なく、感情が読み取りにくい。
「だからこそ、必要ないのでござるよ」
 どういう意味だ、とは問わなかった。それは政宗も薄々は感じ取っていたことだったからだろうか。だが、自分の忠臣にはありえないその選択肢を無意識に考えないようにしていたようで、その声は静かに、けれどもはっきりと政宗の胸に波紋を呼んだ。
(こいつは言葉通り、武田のおっさん以外に仕える気がねぇのか。俺との決着よりも、そちらをとるのか)
 政宗は少しだけ目を伏せて、そうか、と独白した。動揺はない。ただ、知りたくはなかった事実を知って、少しだけ心が揺れただけだ。動揺という程ではない。そうか、と納得してしまえば、いかにも真田幸村らしいと思えた。


「そういえば、先だっての伊達軍の戦でござるが」
 先述した通り、幸村から話題を振るのは至極珍しいことだ。別段、機微に敏いわけでもない。政宗の心に僅かに広がった波紋など気付いてもいないに違いない。ただ単純に話題の方向性に飽いたのだろう。それで口を閉ざさなかったのは、ただただ口寂しかっただけだ。政宗の見立てに間違いはなかった。幸村は時々、政宗の目からしてもどうしようもない男に見える。無神経で、同じ空気を吸っているやつがいることにも無関心で、それなのに律儀で無意味に優しい。政宗殿の仰ることはよう分からんとばっさり切り捨てる幸村だが、政宗にしてみれば、幸村の方こそ何を考えているのかよく分からないし読めない。それなのに、分からないと思っているはずが、やつの一番の理解者は俺だと根拠のない自信がある時だってある。そう思わせるものが幸村にはあって、だから政宗の中で幸村は、いつまで経ってもよく分かるようで分からなくて、でも何故だか理解している、おかしな男のままだ。
「小手森城の撫で斬りは、ようご決断なされたと、某、感心いたしました」
 幸村は表情を変えずにそう言って、思い出したように杯を煽った。政宗は咄嗟に顔を背けて、幸村の言葉を咀嚼した。
 つまらない戦だった。取るに足らない小戦だ。伊達家としても、僅かに領土を拡大させたに過ぎない。小さな戦はいとも容易く決着がついたが、城主を討ち取ってからの政宗の命令は奥州を震撼させた。城の者は全員例外なく皆殺し、という下知は、狭い地域をせせこましく奪い合っているせいでいつしか親戚同士になってしまっていた奥州一帯を震え上がらせた。伊達家と最上家はいがみ合って久しいが、この二家も既に互いの血が交じり合っている。そういう関係が多大に見られる地域であるから、政宗の命令は類を見ないものだった。小十郎は反対したものの、結局政宗の決断には逆らわなかった。自らの意志で命令を下した政宗自身も数日は眠れぬ夜を過ごしたものだ。今でも夢で魘されることがある程で、自分の中で正当化してはいるものの、やりきれない思いはある。 それを、幸村は顔色一つ変えることなく、政宗の行動を後押しした。そのような所業改められよ、と言われても当然だと思っていた政宗は、咄嗟にどう返答をして良いものか分からなかった。政宗とて苦渋の決断であったのだ。それを、幸村は酒を乾すように簡単に応と言う。これがあの織田の魔王であったのならば、それも納得しただろう。だが、相手はあの真田幸村だ。彼は決して冷酷な支配者でもなければ、農民の痛みが分からぬ愚昧でもない。相手を尊び、敵軍にかける情けを間違えたことはない。そういう男である。少なくとも、政宗にとって真田幸村はそういう存在だ。
「慰め、じゃねぇな。あんたはそういう器用な真似ができねぇ男だ。なら、その言葉は本心か?」
 幸村は僅かに首をかしげて、
「真なれば。某に政宗殿を慰める義務はござらん。そも、政宗殿は落ち込んでおられたのか?」
 そう逆に問い返す始末だ。幸村は、とことん腹の探り合いが出来ぬ男だ。幸村自身が腹に何かしらを隠し持つことが出来ぬからであり、幸村は己の常識が世の常識だと確信している節があるから、世の人々の大よそがそうだと思っているようだ。だから、幸村の言葉には裏も表もなく、単純に言葉通りの意味しかない。政宗の言葉もそうだと信じている。信じている、というよりは、そういうものだという意識にすら昇らせていないに違いない。全く以って、やりにくい男だ。それでいて、幸村の言葉はあまりに端的で、解釈が困難だ。
「…落ち込んじゃいねぇよ。ただ、あんたみたいな善人が、ああいう方法を容認するとは思ってなかっただけだ。気が狂ってやがると非難されて当然だろうが」
「某は善人ではござらぬ」
 幸村は小気味良い声で、そうすっぱりと言い切った。そこを否定するのか、と政宗はまた幸村の不可解さに心の中で唸り声を上げた。言った政宗自身も、彼がまっさらな善人だとは思ってはいない。そもそも、善人という言葉の定義自体があやふやで、気まぐれに口に出してはみたものの、その言葉そのものが作り物染みていてよろしくない。善悪でこの世が割り切れるのであれば、自分達のような半端者は存在しないはずだ。
「善人というのは、前田殿のような御仁を指すのではなかろうか。某は、ああまでまっさらになれぬし、真っ当にはなれぬ。某は、気の触れた、と言われる方が似合うておるように思えてならん」
 淡々と杯を口に運ぶ幸村の横顔に少しの苦々しさが浮かんでいることに気付いて、政宗は興味深そうにその表情を眺めた。彼らの相性が決して良くはないことは知っていた。政宗と幸村が、噛み合わぬ会話を重ねながらもどこか心の奥深くで好感を抱いているのとは間逆に、彼らの間の空気がいかに和やかであたたかくとも、互いが抱く感情が決して穏やかではないことは、少し観ていれば分かることだ。それは多分に幸村から発せられるものだったが、政宗の少ない情報の中でも、彼がそういった嫌悪を滲ませるのは前田慶次以外にはいなかった。他人にはとんと無関心な幸村であるから、人とは一定の距離が生じる。そこには好き嫌いの感情が挟まる程のやり取りもない。良し悪しの認識もなく、最もシンプルな状態のまま記憶されるだけだ。それを突き破ったのが前田慶次だ。ある意味彼は特別なのかもしれないが、そこに伴われる感情は彼が一番忌避したかったであろうものだ。


 幸村の杯がとっくに空になっていたことにようやく気付いた政宗は、無言で幸村に酒を注いだ。幸村は僅かに会釈をしたものの、何も言わずにそれを受けている。
「あんたを気ちがいって言うんならな、この世の大半は気ちがいで溢れてやがる。もちろん、そんなあんたと戦いたくて堪らねぇ俺も、気ちがいの一人だろう」
「政宗殿は、そうではござらぬ」
「そう言い切られても、信用なんねぇよ。先の撫で斬りがその証拠だ。あの所業こそ、気ちがいだろうが」
 言って、政宗は心の中で(嗚呼、)と呻いた。結局自分は、誰かに責めて欲しかったのか。政宗の業に目をつぶる小十郎や家臣たちではなく、己のライバルと認めたこの男に、何故そのようなことをなさった、何故何故、と詰って欲しかったのだ。そうしなければ、政宗は胸の奥にわだかまっているもやを外聞もなく叫ぶこともできない。プライドが高いのだ。同じように喚いて貰わなければ、政宗もまた、喚き返すことができない。決して内向的ではないが、昔から己の感情をコントロールすることが苦手で、押し殺してしまえばいいと内に閉じ込めてしまう反面、限界に気付かず最悪の形で爆発してしまうこともあった。


「某は、」
 幸村はひどく落ち着いている。抑揚が少ない。幸村は政宗が抱えるもやに気付くことなく(当然だ、彼は口に出さない事柄はないものと思っている)、ただ黙々と、まるで義務のように腕を動かして酒を口に運んでいる。政宗は、戦場以外で幸村が感情のままに声を荒げている様を見たことがない。ひどく、ひどく平坦だ。
「某は、大義名分に依存をして人を殺める方が、余程気ちがい染みておると思います。佐助が言うておったのですが、」
 幸村がちらりと政宗の顔を確認する。忍びの話題を出してよいものかと、政宗の表情を伺ったようだ。政宗は忍び以前に、猿飛佐助という男自体が気に入らなかったが、彼の生活の中で佐助の存在は切っても切れぬものであることは重々承知していた為、どうという返事をしなかった。ただ、幸村はそれで満足したようだ。躊躇うことなく先を続けた。
「侍が人を殺しても、人殺しとは呼ばぬそうで。討ち取ったのだから、それは名誉なことなのだと、そう言うておりました。某は、そうは思いませぬ。言葉を昇華したとて、結局やっていることは変わりますまい。そうまでして正当化する方がどうかしておる。俺は、大義名分という言葉が嫌いだ、あれはたいそうみにくい、醜い」
 幸村は乱暴に言葉尻を括って目を伏せた。珍しく饒舌な幸村に、酔っているのかと声をかけようとしたが、やめた。きっとその感情の吐露こそ彼の意識化で最も素に近い状態なのだろう。酔っ払わぬと言った以上、彼は絶対に酔わない。だからこれは、彼が見せる精一杯の譲歩であって、政宗に許す精一杯の甘えなのだろう。ならばこそ、政宗も少しだけ声をやわらげて、酔っ払った振りをして少しだけ距離を詰めた。会話をするには全く問題ない隙間だが、膝頭がぶつかり合う程の至近距離でもない。別段、何を求めたわけでもなかったが、距離を縮めたことに幸村は気付いていながら知らん顔をしたから、そういうことなのだろう。相手の身体がもっと近くにあっても良い、と政宗が思ったと同じように、空いているこの隙間に幸村は少々不愉快になった。


(どうしてここは、戦場ではないのだろう)
 それは憧憬の純粋さと、郷愁の切なさに似ていた。焦がれるには、あまりにも血なまぐさい夢の一時だったが。


 政宗は珍しく、わざと声を立てて笑って、
「おい幸村、言葉崩れてんぞ」
 と、その気安さを詰った。幸村は幸村で、つんと伸ばした背筋のまま、やはり起伏が少ない声で、
「政宗殿は某より『俺』という人間にお詳しい。つくろう必要はなかろう」
 酒を口に運ぶ合間にそう告げた。政宗が愉快そうに笑う。幸村はそれを意にも介さない。よく分からない、と政宗は思う。こういうことを簡単に自分に言ってしまえる幸村はやはり分からないし、知らない男だと思う。それなのに、政宗は幸村のいわんとしていることが何故だか理解できて、そうして自分がどういったわけか理解してしまえることを、幸村は当然のことのように知っている。
(嗚呼、)と、政宗は嘆息する。幸村、と呼びつけたような気もするし、ただ心の中で呟いただけのような気もする。そもそも、彼にその呼びかけが届いていようがいまいが、どうでもよいではないか。二人の共存する空間で一番心地良さを感じさせるのは、互いが互いに自侭に振舞った時ではないだろうか。


「キスさせろよ」
 幸村は政宗を一瞥して、
「嫌でござる」
 と、斬り捨てた。言葉の意味は分からなかったはずだが、膝を進めて少し腕を持ち上げただけで触れることのできる距離まで近付いたことで、何かを感じ取ったのかもしれない。政宗の口から飛び出た言葉もその瞬間限りの衝動で、別段、心底そう思っていたわけではない。
「じゃあ、あんたからしろ」
 それでも食い下がったのは、この言葉遊びが面白かったからだ。幸村はその行為の意味を訊くことなく、またしても、嫌だと短く言い放った。何が嫌なのだと訊ねれば、政宗に何かを賜るのも施すのも、己には分不相応だと言う。やはりよく分からない男だと思いながら、政宗は訊かれてもいないのに単語の説明をする。幸村は一瞬ぽかんと呆けた顔を見せたが、すぐに顔を引き締めて、断って正解でござった、と言ってうんうん頷いている。こうなるとムキになるのが政宗だ。自分ばかりがそう思っていたのかと、納得いかない心持ちになって、つい口調を荒げた。戦場で何度も罵り合った仲だ、こちらの方が余程馴染み深い。
「俺はキスがしたいんだよ」
 政宗の腕が伸びて、幸村の手首を掴んだ。幸村は抵抗しない。ただ、残り少ない杯の酒を心配するように、杯を持っている手の方へ視線を向けた。色気がねぇ、と思ったものの、もちろん口には出さなかった。
「政宗殿は、」
 腕を拘束してはいるものの、決して強引にするつもりはない。嫌なら嫌で手を離すつもりだ。だが、幸村は抵抗しない。まるで状況が分かっていないかのように、変わらぬ調子で言葉を繰る。
「それで、事足りますか?」
 幸村は、よくよく政宗の心を見透かしていた。いや、彼の場合、己の心に従ったまでなのだろう。そのような仮初の交わりで、この衝動を静めることができるか、できるか。できるものか。愛だの恋だの、そういった"真っ当"な感情が割って入られる程、二人の間に隙間はない。じりじりと焦がれるのは魂が震えているからだ。ああ嗚呼!どうしてここは戦場ではないのだろう!
 政宗の目がぎらりと光る。名君なんてチンケな皮を脱ぎ捨てた、独眼竜というたったそれだけの者、それだけの存在が持つ、気ちがい染みた目だ。掴んだ腕を引き寄せるように力を込めて、圧し掛かるようにして幸村の身体を押さえ付ける。だが幸村もすぐさま反応して、腰を半ば浮かしていただけの中途半端な体勢だった政宗の足元を己の足で払った。政宗の身体が一瞬宙に浮く。幸村が杯を放り投げる。政宗は畳の上にもう一方の手をつきながらも幸村の身体の上に着地をして、幸村は完全に抑え込まれぬようにと膝を立てた。至近距離で目が合う。幸村の目の奥で紅蓮の炎が揺れていた。
 一瞬の沈黙。されど動き出したのは同時だった。政宗は畳についている腕に体重を預けて、掴んでいる幸村の腕を捻り上げる。幸村は膝頭で政宗の鳩尾を突こうとする。それを政宗が身体で押さえ付けて、幸村はこれ以上自由が奪われぬようにと足をばたつかせた。その足のつま先が、つ、と何かに触れた。柔らかいながらもしっかりとした質量に、幸村は思わず、「え、」と場違いに呆けた声を発して、顔を僅かに持ち上げて己のつま先に向ける。政宗も幸村の様子につられて、拘束した腕をそのままに首を捻る。そこにはまさに、蹴りとも呼べぬ幸村が与えた微弱な振動によって倒れようとしている肘掛があった。冒頭、政宗がもたれかかっていた、あれだ。まるでスローモーションのように、ゆったりと肘掛は傾く。丁度その先には、幸村によって空になった徳利の山が転がっている。次に「あ、」と声を発したのは政宗だった。先の幸村同様、つかみ合いの真っ最中には似つかわしくない、実に素に近い声だった。二人の目が見守る先で肘掛は倒れ、徳利の山を粉砕した。がしゃんばりん、と小気味良い高らかな音が響いて、二人はそこで動きを止めた。何とも情けない一時停止だが、その音に駆けつけた彼らの従者もまた、彼らの姿に言葉を無くした。まるで隣室に控えていたような素早さで障子に影を作ったそれぞれの従者は、
「政宗様、今の音はいかがなされた?」
「旦那、まさか粗相してないよね?」
 と、遠慮なく障子を開けた。開けて、それぞれに優秀な従者は、優秀がゆえに情報処理の方法を間違えて固まってしまった。政宗はその様子にあからさまに溜め息をついて幸村の上から退く。幸村は幸村で、政宗と酒を酌み交わしていた時と寸分変わらぬ、胡坐にぴんと伸びた背筋という体勢に戻った。
「あー、白けちまったぜ。あんたと二人きりだと、どうもいけねぇ」
「同感にござります。それよりも、随分と派手に割れてしまいましたな」
「片付けはこいつに任せるから、触るんじゃねぇぞ。怪我でもさせようもんなら、そこの忍びが小うるさそうだ」
 切り替えの早さは見事なもので、政宗などは欠伸を噛み殺そうともしない。その様子に幸村も、夜も更けて参りましたな、某はこれにて戻ります、と同調する素振りすらあった。酒の限界量が近かった政宗はそれを止めず、ああ付き合わせて悪かったな、と見送りモードだ。幸村はそれに笑みで応えて、ではお休みなさいませ、と軽く頭を下げる。小十郎と佐助の側を通り、ほら、お前も呆けておらず戻るぞ、と佐助の肩を軽くたたいて、彼らの呪縛はようやく解けた。
「……政宗様、戯れはおやめ下さい。真田は客人ですぞ」
「ああん?まあ、戯れで済む相手じゃないってことはよぅく分かったがな」
「甲斐の若虎にじゃれ付こうなんて、流石に竜でも危なっかしいって。旦那も、その無意識の挑発癖、どうにかした方がいいよ」
「佐助は時々、よう分からぬことを言うなあ」
 幸村の発言に佐助は苦笑をしていたが、政宗はいかにも楽しげないやらしい笑みを浮かべて、二人のやり取りを眺めている。
「戯れでは、やはり満ち足りませぬゆえ」
 まるで息をこぼすように平然と吐き出したその言葉に政宗はいっそう笑みを深くしたが、佐助はそれどころではなかった。先に歩き出してしまった幸村に追いすがりながら、ちょ、ちょっと、今のどういうこと?!!と問い詰めているが、幸村はじわじわと眠気がやってきたのか、何がだ佐助眠いぞ佐助と言うばかりで、彼の質問に答える様子はなかった。おそらく、独り言のようなものだったから、周りほど発言の意味深さに気付いていないのだろうし、もしかしたら言葉を発したこと自体に覚えがないかもしれない。難解な幸村が少しだけ分かって、政宗は思わずくつくつと笑い声をこぼしたが、己の右目が睨みつけるものだからそれを抑えなければならなかった。
「政宗様、分かっていらっしゃるとは思いますが、」
「オーケイオーケイ、分かってるぜ小十郎。面倒を起こすつもりはねぇよ、今は、まだ、な」
 政宗様!と己をたしなめる声を背中で聞きながら、政宗も自室へと戻って行ったのだった。残された小十郎は、とりあえず割れた徳利と零れた酒を掃除することで、何とか自分を落ち着けるのだった。










ハローベイビー


お前の未来を してる












むむむ、無駄に長い!ダテサナじゃなくって、あくまで、伊達と真田。
タイトルはBGMから拝借しました。聴いた時、超coooool!超カッコEEEE!と思ったからでござる。
あ、伊達ちゃんがほどんど英語喋らない+喋ってもカタカナ表記なのは、未だに羞恥心を覚えるからです。
公式に沿ったことが何一つできない(…)
10/09/24
BGM:サンダーバード・ヒルズ