タイムスリップは無理でもさ 科学者×神父


 どんどんどん!と深夜にも関わらず、大きな音を立てて教会の扉が叩かれた。既に礼拝時間は過ぎている。辺りには闇が広がっていて、とても教会を訪ねるような時間帯ではない。兼続はそれでも、一心不乱に教会の扉を叩き続けている。郊外にあるから良いものを、街中に建っていたら、周りの住民は堪ったものではないだろう。
「幸村!幸村!助けてくれ!もうお前しか頼る者がいないのだ!」
 叩く音と同量、もしくはそれ以上の声で叫び声を上げている。幸村!幸村!と必死に喚き立てている。ようやく中の者が駆け付けたのか、ゆっくりと扉が開かれた。
「幸村!待ちわびたぞ!いや、お前ならば開けてくれると思っていた!」
「博士、こんな夜更けにどうなさいました。」
 燭台を片手に顔を覗かせた幸村は、兼続の奇行に慣れているのか、別段怒った様子も呆れた様子もなかった。純粋に兼続を心配しているようで、兼続の格好を見るなりわずかに眉を顰めた。研究室から直接訪ねてきたらしく、白衣は皺が寄っていて、ところどころ汚れている。目の下には隈があり、顔色も決して良いとは言えない。燭台が生み出すわずかな明かりが、兼続の顔を青白く映し出している。集中すると一つのことしか見えなくなる兼続である。おそらくは数日、食事すらろくに摂らずにこもっていたのだろう。
「博士、とりあえずお入りください。ホットミルクでも用意させましょう。」
 幸村が兼続に手を伸ばすと、反対に兼続に絡めとられてしまった。そのまま幸村の身体を抱き寄せてその胸にしがみ付いて、大の男が人の目もはばからずにおいおいと泣き出してしまった。幸村は燭台がひっくり返らぬよう、慌ててバランスをとらなければならず、抵抗する暇もなかった。そもそも幸村は抵抗する気すらなかっただろうけれど。幸村は兼続の勝手な行動にも随分と甘かったからだ。
「博士、博士、どうなさったのです。ここは少し冷えますから、中で話しましょう。」
「お船が、お船が、死んでしまったのだ。あああこれは私の業だろう!!あれには気の毒なことをしてしまった、許しておくれお船。否、いな!許せと乞うことすらおこがましい、私は何とひどいことを、」
 兼続は言ってまた、わんわんと泣き出してしまった。涙が垂れて、幸村の黒い修道服に染みを作った。彼がこうして幸村の元へ駆け込んで来るのは、何も今回が初めてではない。自分の世界に浸っている兼続にはどんな言葉をかけても無駄なのだ。幸村は兼続の背をぽんぽんと撫でながら、兼続の激情が去るのを待った。
 しばらくすると、泣き声が小さくなり、鼻を啜る音が聞こえてきた。そろそろだろう、と幸村は穏やかな声で兼続を呼んだ。
「博士、博士、それで彼女はどうしたんですか?」
「うむうむ、車に、」
「連れてきているんですね?それなら、一緒に埋めてあげましょうね。」
「ああ、今連れてくる!」
「では私はスコップを持ってきますから。庭でお待ち下さい。」
 兼続は涙を拭いながら走って行った。車にまで戻ったのだろう。幸村はその背を見送って、己も一旦教会へと消えて行った。


 幸村がスコップを持って庭へと出ると、既に兼続は戻って来ていて、金魚鉢を片手に途方に暮れていた。幸村がそっとその金魚鉢を明かりで照らせば、ガラスが鈍く光を反射させた。中の水は濁っており、水面にはぷかぷかと一匹の金魚が無残にも浮いていた。薄明かりの中ですら、その金魚の朱の鮮やかさは見て取れたが、残念ながらもう元気に泳ぎ回ることはない。幸村は兼続を促して、二人並んで庭の花壇の前にしゃがみ込んだ。庭弄り用の小さなスコップを兼続に渡して、幸村もざくざくと穴を掘り始める。最初はそれを見つめていた兼続だが、段々と手を動かし始めた。金魚鉢を横に置いて無言で掘り進めていると、またしても嗚咽が幸村の耳に届いた。彼は純粋に、本当に純粋に彼女(・・)を愛していたのだ。

「赤を見ると、つい手を伸ばさずにはいられぬのだ。いや、赤が好きなのではない。赤が似合うものが好きなのだ。」
 幸村は以前、真っ赤な薔薇を枯らしてしまったと兼続が嘆いていたことを思い出した。その前は何だったろうか。彼の部屋には少しずつ、赤い色のものが増えつつあると聞いたことがあるが、それらは決して兼続の為なのではない。それらは常に、擬似恋人の誰かの為でしかないのだろう。
 穴も適度な深さとなり、幸村は兼続を促して、金魚の赤い肢体を穴の中に横たえた。兼続は今度は静かに涙を流している。幸村は何度もこの男の涙を見てきたが、その度に、彼の涙の美しさにひっそりと心を痛めている。あなたが心寂しく感じて彼女を手元に引き寄せたのだ。それならば、今までの自侭な研究スタイルなど放り出して、その執着を彼女に向けてあげればいいのに。彼女は結局、彼を真っ当な人にすることが出来ずに死んでしまった。幸村は一度として彼を咎めることが出来ずに、いつも泣き場所を提供している。彼はいつだって彼女の死を真摯に悼んでいているからだ。こんなにも彼に愛されて、彼女は幸せだったろう。
 兼続は彼女を穴に寝かせたまま、それ以上手を動かさなかった。幸村は、彼にこんな無体を強いるのも気の毒だと、湿った土を彼女の上にかけ始めた。兼続は彼女の姿を最後まで目に焼き付けようと、じっとそれを見守っている。幸村の手付きに迷いも容赦もなかった。黙々と、彼にどう思われようとも構わずに、ひたすらに土を盛る。盛る、盛って、更に盛る。穴は埋まるどころか、少しこんもりと山になった。幸村はそこでようやく手を止めて、シスター達が丹念に育てている花壇の花を、何の躊躇いもなく一つ千切って、その小山に無造作に置いた。残念ながら、ここには彼が好むような真っ赤な花はなかった。
 兼続は未だぼんやりとその山を見つめていたが、幸村が手を引いて立ち上がらせれば、ゆっくりと幸村の後に続いた。促して手を洗い、礼拝堂の中へと連れて行く。落ち着くまでここで休んで行けばいいだろうし、おそらくは睡眠不足でもある彼だ。仮眠を摂ってもらってもいい。
「博士、わたしは席を外しますので、どうぞお休みください。何でしたら、朝食も一緒にいかがですか?時間になったらこちらに運ばせますよ。慣れていない方にはちょっと物足りないかもしれませんが、今の博士には丁度良いでしょう。では、」
「お前もきっと、赤が似合うだろうなぁ。」
 兼続は去ろうとする幸村の手首を掴んで、そう呟いた。けれども幸村は、またその話ですか、と軽く笑って、自然な動作で兼続の指を解いた。生まれも育ちもこの教会の幸村に、黒と白のモノクロの服しか着たことのない幸村に、兼続はいつも最後にそう言って、まるで拠り所を失った子どものように縋りつくのだ。











幸村に、兼続のことを『博士』って呼ばせたかったんです。
09/06/14