融けちゃえ、ほんとにそう思ったよ 探偵×怪盗
漆黒の闇に、彼の姿が消えて行く。政宗は必死にその影を追い掛けていたが、最早間に合わぬと足を止めて、荒い息を吐き出した。これで、彼に逃走を許したのも、めでたく100回目となってしまった。政宗は悪態をついて、その場に座り込んだ。
「酒でも呑むか?」
「馬鹿め!儂はまだ未成年じゃぞ!それに、盗まれた本人がそのように落ち着いておって良いのか?!そなたは被害者じゃぞ!盗難届を、」
出さんで良いのか!!と訊きたかったのだが、盛大に咳き込んでしまったせいで叶わなかった。この広大な屋敷の持ち主でもあり、今回、予告状が届いた張本人・上杉謙信は、政宗の隣りに腕を組んで佇んでいる。慌てた様子すらなく、むしろ客人を見送ったような空気すら感じられた。
「あれは元々、我の持ち物ではない。納まるべき場所に納まっただけのこと。」
言うや、さっさと踵を返してしまった。政宗は慌てて立ち上がり、謙信の後を追いかける。
「あの者も、その内に姿を消すだろう。そういう宿命だ。」
「おい、謙信!どう言う意味じゃ!!そなたはあれがどういう存在なのか、知っておるのか?!」
通称、紅蓮の鬼と言う。巷を騒がせる怪盗である。紅い具足を纏った異例の怪盗は、常に鮮やかな手口で予告した物を盗み取って行く。名探偵と呼び声高い政宗でさえも、彼にはいつも寸でのところで逃げられてしまう。政宗はひたすらに彼を追い続けているのだ。
謙信は足を止めて、ゆっくりと振り返った。常に険しい表情を貼り付けている謙信からは、何の感情も読み取れなかった。警告にも聞こえ、何も知らぬ政宗への唯一の憐れみのようにも感じられた。
「…忘れよ。知らぬ方が良いこともあるだろう。」
政宗は尚も彼に食って掛かったが、それ以上は一言も発することなく、屋敷から追い出されてしまった。政宗は心の中にしこりを抱えながら、帰り道を行くのだった。
あれから数日後、またしても紅蓮の鬼から予告状が届いた。徳川家康と言えば、日本屈指の富豪であるが、彼の名を有名にしているのは徹底した吝嗇のせいだろう。大きな屋敷に住んでいるものの、その生活ぶりは庶民となんら変わらないという。
政宗はコネを使って徳川家の警備へと加わった。過去の実績を持っていようが、所詮は一介の高校生でしかない政宗に、家康も不快をあらわにしていたが、無償奉仕だと伝えるとその顔色も少しはましになったようだった。政宗殿はご自由に警備に当たってください、との言に、端からそのつもりだった政宗は大仰に頷くのだった。
広い徳川屋敷を歩き回りながら、今までの彼の手口を手がかりに侵入ルートに二三見当をつけた政宗は、更に奥へ奥へと進んでいく。造りの入り組み方はまるで迷路のようだ。また、明かりを倹約しているのか、廊下自体が薄暗い。廊下の端まで見ることが出来ず、奥には闇がうずくまっている。政宗は己の感覚だけを頼りに、あちらこちらを見て回っている。どちらかと言えば金持ちの部類に入る政宗の屋敷も同様に巨大なものだが、この執拗なまでの手の込みようには共感できない。全くの無駄のように思えるからだ。外からの侵入に異様なまでに警戒している。もしかしたら家康は、この屋敷を作る時、既にあの予告状にあった家康の宝が盗まれる可能性を見越していたのだろうか。この前の謙信といい、不審である、不可解である。これは何かあるな、と政宗の勘が告げた。考え事半分で歩を進めていたせいだろう、見事に迷ってしまった。来た道を戻れば良いものの、今身体がどちらの方角を向いていることすら分からないのだ。仕方がない、屋敷の人間に訊くか‥、と諦めた瞬間、丁度部屋から光が漏れていることに気付いた。耳をすませば、何やら小声で話し込んでいるのが聞こえてきた。こっそりとドアの隙間に顔を近付け、中の様子を伺う。どうやら中には、家康とその腹心の部下である本多正信が居るようだ。しかし政宗に分かったことと言えばその程度だった。何を話しているかまではわからない。極秘の話のようで、声の量も小さかったのだ。ええい、何を話しているのだっ、と更に身を乗り出した瞬間である。唐突に背後から口元を押さえつけられ、同時に後ろ手に締め上げられ自由を奪われてしまった。それでも何とか抵抗したものの余計な物音を立てるだけに終わり、中の二人に気付かれてしまった。逃げることすら出来ない。
「半蔵!」
「面目ございません。鼠が一匹、入り込んでおりました。」
「…聞かれたか?」
「おそらくは。」
聞こえてなどおらんわ!と叫びたくとも出来ず、仮に伝えることが出来たとしても、信じてはもらえぬだろう。
「…仕方ない。地下に押し込んでおけ。」
「御意。」
半蔵と呼ばれた男が返事をしたのを聞いたのが最後、政宗は意識を失ってしまった。
政宗が目を覚ますと、既にそこは薄暗い牢屋の中だった。現代家屋に牢屋を作る酔狂がこんなにも身近に居たとは!と驚いたのは、半ば現実逃避の意味もあったのではないだろうか。幸いにも拘束はされていないが、目の前の鉄格子に成す術がない。背にしている壁には窓一つない。無駄だと承知で、鉄格子にしがみ付いてガンガンと揺らしてみたものの、全くびくともしない。さて、どうしたものか‥とため息をついた、まさにその時だ。
「おや、名探偵さん。良い格好ですね〜。」
のん気としか言いようのない、至極のんびりとした声が鉄格子の向こうから聞こえて、政宗は驚いて顔を上げた。そこには全身を黒で覆った、忍び装束の格好をした男が、目許だけを露出させて立っていた。その目も笑っている。
「誰じゃ。」
「誰、と訊かれましても、返答には困ってしまいますね。う〜ん、一番分かりやすく言ってしまえば、あなた方が紅蓮の鬼と勝手に名前を付けている者でしょうか。」
紅蓮の鬼の名称は、紅い具足を常に纏っているから生まれた異称だ。しかし目の前の物腰の柔らかい男は全身を黒尽くめ、確かに人の家に忍び込むにはこちらの方が都合がいいだろうが、それでは今まで政宗が追いかけていた存在は何だったのか。自称・紅蓮の鬼はその政宗の疑問を感じ取ったのか、座り込んでいる政宗に、しゃがんで視線を合わせながら言った。
「あれは一種のパフォーマンスですよ。あとは目くらましに良いですし。流石に、あんながしゃがしゃうるさい具足を着て忍び込むなんて、そんな神技持ってませんし。」
鬼はそうして、じっと政宗の目を覗き込んだ。楽しげな調子を崩さなかった声音とは反対に、目は真剣そのものだ。瞳の奥は澄んでおり、政宗は一瞬、言葉を失った。わかりませんか?あなたがいつも追い掛けている存在ですよ?分からないのですか?そう言われている気がして、政宗はゆっくりと頷いた。理由などいらない。彼こそが、政宗が日々追いかけ、いつも背を見送っている存在であると、政宗は覚った。彼を捕まえるのは己でなければならぬ。その使命感は妄執であり執着であり、彼もまた同様の想いを抱えていたのだと政宗は知る。
「…とりあえず、そなたが紅蓮の鬼であることは、まぁ認めよう。して、何故このような場所に居る?そなたも捕まったのか?」
「捕まったのは本当ですが、さっさと逃げちゃいました。これから品を頂戴しに参ります。ただ、その通り道に探偵さんがいらしたものですから、つい、声をかけずにはいられませんでした。」
出ないんですか?と訊ねる鬼は、まるで目の前の鉄格子が見えていない様子だ。儂だって、こんな薄暗くてじめじめして、みじめたらしい牢屋からさっさと出てやりたいわ!と叫びそうになって、何とか感情を押しとどめた。極めて冷静に、言葉を絞り出した。
「儂も出たいのはやまやまじゃ。じゃが、儂は鍵も持っていなければ、この鉄格子をぐにゃりとねじ切る程の腕力もないわ。」
「探偵の七つ道具にあるでしょう、やすり。それで地道に削ったらどうです?」
「小説の読みすぎじゃ。七つ道具など持っていないし、よしんば持っていたとして、時間がかかりすぎるわ。」
政宗の発言に、鬼は心底驚いたようで、えっそうなんですか!ショックです!とまるで忍ぶ気のないのか声高にそう言った。政宗もそのテンションに引きずられたのか、心外なのはこちらのセリフじゃ!と、今度は思った言葉がついと飛び出てしまった。
「じゃあ出たいけど、探偵さんは自力じゃ出れないんですね?」
「認めるのは癪じゃが、そう言うことじゃ。」
「なら、出してあげますよ。鍵なんて、針金でちょちょいっと弄ってやればいいんです。」
言うや、かちゃかちゃと金属同士がこすれる音がして、すぐにがちゃんと鍵の外れる音がした。政宗は何と返して良いのか分からずに、おずおずと無言で牢屋から這い出た。
「さて、これからどうします?わたしは家康どのの許へ行きますが、」
「儂も行こう。自力ではここから脱出出来ん。安心せい、捕まえようとは思っておらん。」
「そうですか…。じゃあ、ちゃんと付いて来てくださいね。」
そう言った彼の目がさも楽しげに輝いていたが、政宗は勘違いだと言い聞かせて、彼の後に続いた。嫌な予感というものは得てして当たってしまうもので、政宗は必死になって彼の背中を追いかけなければならなかった。地下室だけでも無数の罠が張り巡らされており、これを考える方も考える方だが、一つとして引っ掛かることなく、更には政宗に一つ一つ忠告できる方も考えものだな、と政宗は息を切らしながら思うのだった。
汗だくになり、酸素を求めて荒い息を吐く政宗をよそに、汗一つ、呼吸一つ乱さずに、とある扉の前で鬼はようやく立ち止まった。重厚な扉は、まるでゲームのラスボスの部屋を思い起こさせた。もうこの屋敷、ファンタジー過ぎる…!と政宗は思っているのだが、彼にそう話を振っても同意は得られないだろう。彼の身体能力もまた、ファンタジー過ぎるからだ。
「この中です。探偵さんはどうします?一緒に乗り込んでは、外聞も悪いでしょう?」
「脱獄した時点で、外聞もクソもないわ。拉致したのはあちらじゃ。儂は悪いことなんぞ、一つもしておらんわ。」
「そうですか…。では行きますよ。」
そして、扉を押した。ぎぎぎ‥と音を立てて扉は開かれた。すでにそこには、鬼が現れることを知っていたのか、ガラスケースに入れられた甲冑と共に、家康の姿があった。
「やはり来たか。」
「家康どの、大人しくその甲冑を渡してください。」
「断る。これは徳川家の家宝。亡き武田信玄より譲り受けたものである。」
「それは知っています。ですが、我らにはその甲冑がどうしても必要なのです。」
「"武田コレクション"だな?」
鬼の顔色がさっと変わったことを、家康は見逃さなかった。政宗は聞いたことのない言葉に、思わず鬼の顔を仰ぎ見たが、彼は政宗の疑問を黙殺した。二人の会話に、政宗が入り込む余地はなかった。
「あれは、世に出すべきではありません!我らはお館さまの遺言通り、武田コレクションに隠された鍵を集め、それらが守る"至宝"を破壊しなければならないのです!」
「それは決してならぬ!あの"至宝"を破壊すれば、人類の進化は十年、いや百年は遅れることだろう。」
「それでも、我らは、破壊せねばならぬのです!」
鬼はそう言って、どこから取り出したのか、十文字槍を構えた。対する家康は丸腰…、のはずが、こちらもいつの間にやら筒槍の先を鬼に向けている。互いに見合っていたが、同時に床を蹴り、鍔迫り合いが始まった。現代には相応しくない、金属同士が激しくぶつかり合う音が聞こえる。政宗は割って入ることなど出来るはずもなく、勝負の行方をただひたすらに見守った。互いに気迫は互角だったが、歳と共に身体にしがみ付き始めた贅肉には勝てないのか、家康の動きが鈍くなる。政宗にしてみれば、あれだけの重しを抱えて、よくもまあ器用に動き回ったものだと感心する程だ。体力が尽きたのか、家康は膝をついて荒い息を吐き出している。鬼は少しばかり乱れた呼吸を繰り返しながらも、冷静に家康を見下ろしている。ま、まさか殺しはしないだろうな!と政宗がはらはらと見守る中、鬼は遠慮なく柄を家康の頭に振り下ろした。どっと家康の身体が倒れ込む。うむ、迷いのない良い一撃だ。などと政宗が感心している間にも、鬼はぽいと甲冑を守っているガラスケースを外して、中の甲冑をよいしょと担いだ。重いだろうに、そんな素振りを一切見せない。もしかしたら、彼は世界びっくり人間コンテストの上位入賞者で、物凄い怪力の持ち主なのかもしれない。
「探偵さん、探偵さん、」
先ほどの手に汗握る仕合を繰り広げた人間と同一とは思えぬ、穏やかな声だった。政宗は振り返る。
「わたしはこれで逃げます。今までお世話になりました。あなたとの追いかけっこ、楽しかったですよ。」
何やら思わせ振りな言葉である。政宗の心にとある答えが浮かんだが、それを慌ててかき消した。それはあまりにも無情に思えたからだ。
「どういうことじゃ。」
「紅蓮の鬼が世間を騒がせることは、今後一切、ないでしょう。」
政宗は知らないが、世に散らばる武田コレクションは全部で108つを数える。既に107の鍵は鬼の手の中にあるのだ。最後の一つがこの甲冑である。鬼に怪盗を続ける理由がなくなってしまったのだ。
「待ッ」
政宗は咄嗟に彼に手を伸ばしたが、彼はそれを見越していたのか、ひらりと身を翻して、政宗と距離を取った。布地の隙間からのぞく瞳が、切なげに潤んでいた。
「…ゆきむら、幸村です。これがあなたに打ち明けられる精一杯です。わたしは素性を明かせません、顔もこれ以上は晒せません。今日を以って、紅蓮の鬼は永遠にあなたの前には現れません。それでもあなたは、わたしを見つけてくださいますか?」
「無論じゃ!」
幸村はそして、小さく笑ったように見えた。けれどもそれを確かめる前に、幸村は窓を破ってこの場から逃げてしまった。政宗は、いつか彼を見つけるその日の為に、彼の後ろ姿を目に焼き付けるのだった。
今回のコンセプト:真面目に馬鹿をやる。そんな設定なかったやーん的ツッコミが入るような無茶をする。
謙信公とか家康様とか、ぶっちゃけよぅ分かりませんわ。
09/06/14
でもって、しょーもないおまけ。
政宗は駆けた。体力不足はここ数年の努力で随分と解消されている。歩いている彼に追いつくぐらい、他愛もないだろう。人ごみを掻き分け掻き分け、政宗は必死に手を伸ばした。あの時は届かなかったけれど、
「幸村!」
横断歩道のど真ん中だ。政宗は勢いのついたまま、後ろから手首を掴み、その男の名を呼んだ。間違えるものか、間違ってなどいるものか。縋りつくように、手首を掴む指に力をこめる。
男が振り返る。顔など、知らぬ。あの涼しげな、悪戯好きそうな、目許しか、政宗は知らぬ。それでもいいと思ったし、それ以上の情報はないとも思った。
「…探偵、さん?」
この声は知っている。ああ、ああ、あの男だ、間違いようのない、否、儂が間違えるはずもないのだ。政宗はその場の勢いのまま、幸村の身体を引き寄せて、強く抱き締めた。ゆきむら、ゆきむら、ゆきむら、と繰り返しその耳元で呟けば、幸村は「うれしいです…!」と声を潤ませて、政宗の背に手を回したのだった。
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実は幸村、三成・兼続と一緒だったんだよ、とここに書いておきます。一波乱!一波乱!