『三千世界の烏を殺し、』


 ふと、慶次は目を覚ました。人が増えたせいもあって陣地も随分と大きくなったが、それでも場所が足りず、夜は皆でまとまって雑魚寝する。慶次の隣りでは、野郎の添い寝をするなんて、と最後まで文句を言っていた孫市が、案外に行儀よく眠っている。ゆっくりと身体を起こして、周りを見回す。皆、連日の戦に疲れているようで、慶次のように起き上がっている者はいなかった。まだまだ夜は深いようだ。薄い天幕から、僅かに月の光がこぼれている。元々慶次は、そういった感覚が鋭い方で、じっと目を凝らしていれば、ぼんやりとものの輪郭がわかるようになった。一つだけ、布団(といってもちゃんとしたものではなく、ただの布切れなのだが)がもぬけの空だった。誰のものかまでは分からない。そもそも、誰がどの天幕で眠るかなど一々決めておらず、親しい者同士が適当に休んでいる状況なのだ。ただ、慶次の心には確信があった。疲れているだろう身体も休めずに、けろりとしていられる人物は、この世界であってもそう多くはない。元気なもんだなあと思いながら、慶次もその者に倣って天幕を出た。目が冴えてしまったのだ。


「幸村」
 名前を呼ぶと、驚いた様子もなく幸村が振り返った。気配を感じ取っていたようだ。彼は焚き火を灯りに、何やら作業をしているようだった。具足を着ていないから、今日の夜番は別の者が務めているのだろう。他に人影もない。見張りの兵は陣地の入り口に数人配備されているだけだ。ここからは、少々遠い。
「寝なくていいのかい?」
 そう訊ねながら、慶次は幸村の隣りに腰掛ける。彼の手元を見る限り、どうやら真田紐を作っていたようだ。丈夫な真田紐は、この世界でも随分重宝されている。
「元々、あまり睡眠を摂らずとも良い方ですので」
 そう言って笑っている間にも、刀の下げ緒に丁度良さそうな長さの、藍色と橙色の織紐が出来上がった。誰かに頼まれていたようだ。幸村は軽く引っぱったり表面を撫でたりと出来を確かめていたが、満足したのか、それを側に置いていた巾着に仕舞いこんだ。代わりに、朱色の糸を取り出した。また紐を織るようだ。
 彼の作業を黙って眺めていた慶次だったが、
「今度、俺にも一つ、作ってやくれないかねぇ」
 と、朱の糸を示した。良いですよ、と気軽に頷く幸村に、更なる注文を投げかける。
「出来れば色は赤がいい。とにかく赤が映える奴だからなあ。両手両足ふん縛っちまえるぐらいの長さが欲しいねぇ」
 どこか楽しそうに巾着の中の糸を選んでいた幸村の手が止まった。顔を上げて、慶次を見る。その顔には、どこにも疲労の色はなかった。妖魔軍との戦は、連日のように起こっている。慶次や幸村といった前線向きの人間は、休む間もなく得物を携え、敵と戦う羽目になっている。流石の慶次も、先程までぐっすり眠っていた程だ。蓄積された疲労はどれほどだろう。だというのに、むしろ幸村は生き生きとしており、誰よりも血色が良いような気すらした。これぞもののふ、これぞ日ノ本一の兵、と言ったところだろうか。まったく、格好良いったらないねぇ。慶次の感想とは、結局その程度のものだったが、それはそれで寂しい気がするのだ。皆が寝静まっている中、彼は一人きりで起きているのだとしたら。世界が彼を置いていってしまったのか。彼が世界にたった一人になってしまったのか。厭な話もあったものだ。
「念の為訊いておきますが、それは何かの比喩ですよね?」
「ん?まあ相手次第だろうなあ。すぐに寝床から出て行っちまう奴がいてなあ、俺はそいつと朝寝がしてみたいんだが、そいつがまた頑固な奴でねぇ、言ったぐらいじゃ聞きゃあしないだろうよ。確かに、一人になりたい時ってのは誰にでもある。けどよぅ、こーんな夜更けに一人っきりにさせてるってのは、寂しくっていけないねぇ」
 そうは思わないかい?
 そう言いながら、慶次は幸村の顔を覗き込んだ。彼は決して鈍くはないし、世間知らずではないし、周りが言う程真面目ではないのだ。平気で嘘をつくこともあるし、笑顔に全部隠してしまう。巧みなのだ。今だって、確実に慶次の言葉が己のことを指していることに気付いていながら、その顔に浮かべているのは、見慣れた彼の柔らかい笑顔だ。まったくもって、巧い。

「一つだけ、断っておきますが、」
「うん?なんだい?」
「確かに真田紐は丈夫ですが、一介のもののふの力にかかれば、結構容易く引き千切ることができるんですよ?」
 ハッハア、と慶次は笑い声を上げる。彼がそう来るのであれば、こちらにも手段というものはあるのだ。
「それなら、俺が全身全霊をかけて、この腕に閉じ込めておこうかねぇ。一介のもののふの力じゃあ、天下の傾奇者にゃあ敵わないだろうさ」











12/01/14