『白い太陽』
真田幸村負傷。
正式な知らせではなかったが、兵士たちが話しているところをたまたま聞きつけた三成は、本陣から馬を走らせて、負傷者が収容されている陣に向かった。傷の具合は不明だが、あの幸村のこと、また無謀にも突っ込んで怪我を負ったのだろう。幸村の強さは三成も知っているし、彼自身も己の力を過信しているわけではない。むしろ、己の力量を過小評価しているぐらいなのだが、何故だか彼は分の悪い戦にも全く躊躇いがない。それを勇敢だという者もいる。けれども三成は、その幸村の勇敢さを手放しで褒めることができない。
陣所に到着した三成は、振り乱れた髪もそのままに、近くにいる兵に幸村の居場所を訊ねる。三成の必死の形相に大袈裟に怯えていたが、慣れている三成は舌打ちを一つこぼしただけだった。
「幸村様でしたら、奥に、」
「奥だな、わかった。ご苦労」
「え、あ、案内は」
「不要だ。お前はお前の仕事をしろ」
そう言って、三成は既に歩き出している。伝える言葉が明らかに途中だったことに、三成は気付いていない。それ見たことか、またあいつは大怪我を負ったのだな、と早合点した三成は、傍目には怒っている様子にしか見えないしかめっ面で陣の中を闊歩して行く。
だというのに、三成は幸村に会って早々、間抜け面をさらさなければならなくなった。というのも、幸村の方が先に三成の姿を見つけたからだ。陣の一番奥で兵の手当てをしながら、幸村はいつもの調子で、
「三成どの、このようなところで、どうなさいましたか?」
と、訊ねたからだ。三成は幸村の姿を上から下までじっくりと眺めたが、大きな怪我はなかった。具足もところどころ新しい汚れがついているが、脱いでいるわけではない。右頬には矢でも掠めたのだろう、小さなかすり傷があったが、三成が発見できた傷はその程度であった。
「…幸村、俺はお前が怪我をしたと聞いたのだが」
「怪我、ですか?」
そう鸚鵡返しに訊ねながら、幸村は己の頬を擦る。端正な幸村の顔に傷が出来てしまって、三成は少しだけ残念に思った。あれの横顔は、はっとする程美しいのだ。
「この傷以外は、思い当たらぬのですが」
「…では、前線からこちらに退いているのはどういった理由だ」
「ああ、それでしたら。朝から前線で戦っていましたので、交代しただけです。かすり傷ですので放っておこうと思ったのですが、周りに止められまして。こちらで消毒をしてもらったところ、人手が足りないと聞きまして、こうして手伝っております」
そう言いながらも、慣れた手付きで兵に包帯を巻いている。兵も、まさか幸村直々に処置してもらえるとは思っていなかったようで、三成と幸村に挟まれて居心地が悪そうだった。幸村はそんな緊張を感じ取ったのか、これでいい、と兵の肩をぽんと叩いて立ち上がった。わたしは立ち去るから、気楽にしていろ、ということらしい。三成どの、こちらへ、と促されて、三成も渋々幸村の後に従った。幸村に強く出られないのは、三成の弱点でもあるのだ。
「それで、幸村は大きな怪我はしていないのだな?」
「はい。すぐにでも前線に戻ることが可能です。ただ、もう少しで戦も終わると思いますよ」
「…そうか」
「三成どのが、」
幸村はそこで言葉を切って、立ち止まった。三成も同様に足を止める。くるりと幸村は振り返る。相変わらず、所作の一つ一つが整っていた。顔の傷さえなければ、否や、傷があろうがなかろうが、三成の好きな幸村はちっとも色褪せない。
「三成どのがこちらにお出でになった理由は、もしかして、わたし、ですか?」
「……心配したのだ。お、おれだけではないぞ!きっと兼続だって、俺と同じように駆け付けるに決まっている!お前は、その、強いが、危なっかしいところがある、と、俺は思う」
「ありがたいことです。三成どのにも兼続どのにも、そのように気に掛けて頂いて」
そして幸村は、三成の手を取って、己の手首に三成の指を触れさせた。三成が思わずびくりと背を震わせたが、幸村はにこやかに笑っただけだった。
「こうして、幸村は生きております。ですから、どうか心安くして頂けませんか」
確かに三成の指先から、幸村の鼓動が伝わってくる。そうやって生きているのだと伝えてくれるのであれば、いっそ抱きしめて、身体中で彼の音を聞きたい。けれども三成にそんな度胸があるわけもなく、
「それならば、無謀な戦はやめてくれ。お前は俺の寿命を縮めたいのか」
そう恨み言を吐くしかなかったのだが、幸村は再び笑って、
「わたしは槍働きしか出来ぬ粗忽者ですので」
と、言うだけで、三成の言葉に応とは言ってはくれなかった。お前らしいと笑う三成に、ようやくお笑いになりました、と幸村が言うものだから、三成はもう一度笑ったのだった。
12/01/16