「「おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」」
月が綺麗な晩は、天幕を抜け出して空を眺めていることが多い。人ごみは苦手だが、賑やかさは嫌いではない。けれども、そういったものが煩わしくなってしまう性質だった。酒の飲めない武蔵は、酒宴の席ではさっさと席を外してしまう。皆が皆、酒を浴びる程飲むので、一人二人欠けたぐらいでは誰も気付かないのだ。武蔵はその席から拝借してきた少しの食事をつまみながら、何を考えるでもなくぼんやりと月を眺めている。羽目を外せる人間は全員が酒宴に出ていて、辺りはこわくなる程静かなのだ。時折、思い出したようにものを口に運ぶ。己が作る咀嚼音だけが、世界を支配している音のように錯覚する。
そういう風に一人でぼんやりとしていると、幸村がやってくることがある。彼も、武蔵同様に酒宴の席からくすねて来た酒瓶を一つだけ抱えて、武蔵が座り込んでいる隣りに腰を下ろす。幸村は何も言わない。いつもだったら、隣りに座っていいだろうか、の一言ぐらいはあるだろうに、こういう場面での幸村はとても無口だった。武蔵は武蔵で、来るなとも来て欲しいとも言わない。幸村が現れたことによって生じた空気の摩擦を眺めて、また月を見つめている。
そういうことが、前の世界でも数度あった。武蔵は時々口を開くようになったし、幸村もそれに応えるようになった。ただ、世界は変わらずにぞっとする程静かで、けれどもちっとも怖くはなかった。
「俺は、お前に甘えすぎだな」
「そうだろうか。わたしの方こそ、お前に甘えっぱなしだと思うぞ」
「んなこたぁねぇよ」
「…なら、そうなのだろう。わたしはお前を甘やかしたいのだ」
「なんだよ、甘やかしたいって」
武蔵は少しだけ笑って、
「もうちょいくっ付いていいか?隙間風が結構冷たい」
と、幸村の返答を待たずに、幸村の横にぺたりと張り付いた。触れた肌は互いに冷たかったが、こうしてくっ付いていれば段々と温かくなることを経験として知っていた。人の体温は己が思っているよりも温かなものだし、人の熱は自分たちが敬遠しているよりもうんと優しいものなのだ。
「俺はさ、別に騒がしいのも結構好きだし、馬鹿騒ぎするのも結構性に合ってると思ってる。けど、けどよぅ、そういう空気にどうにも馴染めないんだ。その輪に自分がいるってのが想像できないっていうか。だからこうして、逃げ出しちまう」
「わたしもだ。笑っていられるということは、心がそれだけ明るくなった証だ。良い傾向なのだろう。それなのにわたしは、彼らと同じ温度で笑うことが、きっとできないのだろう」
難しいなあ。ああ難しいとも。
まるでお決まりの文句のように、互いに囁き合って、二人揃って笑い声を漏らした。別段、二人はそう深刻に思ってはいないのだ。こういう性質ではなかったら、こうして寄り添うこともしなかっただろう。己の性質を喜んでいるわけではないが、そういう差し引きがある分、悲観しているわけでもない。
「甘えるのは年下の特権だーなんて、小次郎は言ってたんだがよぅ」
そこで武蔵は、くすねてきた肉まんを二つに割って、小さい方を幸村に渡した。幸村は無言で受け取って、代わりに、とでも言いたげに杯を持ち上げたが、武蔵は首を振って拒絶した。幸村が笑いながら肉まんにがぶりつく。豪快な仕草を真似て、武蔵も大きな口を開けて、半分になってしまった肉まんに噛み付いた。冷めてしまっていたが、腹を満たすには十分だ。
「俺がもし幸村より年上だったとしても、俺はおんなじように幸村に甘えただろうし、幸村は幸村で俺を甘やかすような気がすんだよなあ」
「そうだな、そんな気がする」
「俺はよぅ、こうやっていつの間にか隣りに居る幸村が好きだぞ。幸村とくっ付いてんのが好きだ」
「わたしも、お前の隣りが心地良いのだ」
どちらともなく視線が交わる。それがあまりに同じ間合いだったものだから、ついつい互いに笑ってしまった。一頻り笑って、それから再び二人で月を眺めた。満月でも三日月でもなかったが、二人にとってそこに月があることが重要なのであり、形の良し悪しは関係のない話だった。
戦国ベースの場合、我が家の武蔵は幸村より年下
12/01/17