一、彼らの箱庭


 幸村はたった今もたらされた報を静かに聞いた。脇息にもたれ掛かって座っている昌幸の肩が震えている。ああ、怒っておられる、不甲斐ないと憤っておられる。私は、
(私はその感情すらないのだろうか。)
 関ヶ原において、三成率いる西軍と家康率いる東軍とが衝突した。個々の軍の働きに目をやれば、西軍が弱かったわけではない。むしろ実力では圧倒していたとも云えよう。けれども、負けてしまった。西軍は裏切りの連鎖にあい総崩れ。三成は戦場から逃げ出し、左近は生死すら分からない。大谷吉継は陣中で腹を切ったとされている。
「父上。」
 幸村が感情のこもらぬ声を発した。昌幸のぎょろりとした目が幸村を捉える。
「私は失礼致します。今後のことはすべてお任せ致しますので。もし父上が死の旅路をゆかれるのでしたら、私もお付き合いさせて頂きます。」
 幸村は立ち上がり、頭を下げてその場を後にした。上田城は未だ徳川の兵に囲まれたままである。辺りには戦の空気が充満していた。
(ああ、)
 幸村はただ、ああ嗚呼と呻く。感慨はない、これといった感想はない。三成に会いたいのか、左近に会いたいのか、それとも兼続か、慶次だろうか。幸村は己の中に渦巻く澱んだ感情の方向が分からず、ただ空を見上げた。今にも雨が降り出しそうな雲行きだ。灰色の空がすぐにでも泣き出しそうだった。
(早く降り出してしまえばいいのに。そうして晴れた空は、何事もなかったかのように、また地を照らすだろう。)


 背後に気配が降り立った。幸村は振り返らずに、どうしたくのいち、と平素と変わらぬ声をかけた。くのいちは幸村があまりにも普段と変わらなかったからなのか、少々不機嫌そうであった。
(もう、かなしみ方も忘れてしまった。無為に時を過ごしているような気がする。)
 くのいちは無言であった。幸村は彼女が何かを言いたくて姿を見せたのだと分かっていたが、彼女が切り出すまでは何も問いかけはしなかった。すたすたと先を歩けば、足音を立てずにくのいちも続いた。
(もしこのまま、衝動のままに走り出して、声を上げながら城の外に出たとしたら。徳川の兵が串刺しにしてくれるだろうか。)
 早足から、ついには小走りになろうか、というところであった。幸村の衝動を繋ぎ止めるかのように、くのいちが幸村の裾を掴んだ。途端我に返り、ああ、と何を思うでもなく呻いた。幸村は、くのいちの顔すら見ることができなかった。
「ねぇ幸村さま。あたしがどんな手段使ってでも、あの狐に届けてあげる。だから、幸村さまの言葉を送ってあげて。」
 くのいちは三成が好きではなかったが、幸村が愛した三成の性は好いていた。くのいちは三成が、幸村の身を滅ぼす存在だと悟っていたが、幸村がそれすら享受してしまったから、彼を憎むことができないのだ。三成には最早滅びしか残されていない。死んでいく者に同情したのだろう。くのいちが幸村の裾を掴んだ。ねぇねぇ、幸村さまの言葉が、最後の最期、石田を救うんだよ。あいつは死んじゃうけど、救われて死んでいくんだよ。幸村は静かに、けれどはっきりと首を振った。
「三成どのにどんな言葉を送ればいいのかわからない。」
 それが、幸村の答えであった。彼にどんな言葉を送るべきなのか、どんな言葉を綴るべきなのか。生きる為に死ぬ道を選んだ彼と、死ぬ道を探す生をゆく幸村とでは、今際に何を誇りに思い何を屈辱に思うのか、それすらもしかしたら真逆になってしまうのかもしれない。幸村は、たとえ最後であったとしても、三成を傷付けたくはない。大切な人である。負けると分かっていて幸村はその背を押した。そのことに、ああ彼は気付いていないだろう。怒るだろうか、憎むだろうか。幸村はそのことを伝えなければならなかったが、言葉が見つからなかった。あの方はあの方の意志で、あの方の思うままに戦ったのだ。それは武士の意地であった、誇りであった。けれどもそれも、三成の望まぬ解釈なのかもしれなかった。





 西軍敗北の報から約一ヶ月。城の中を慌しく情報が駆けて行った。
「石田三成が、見つかっちゃったんだって。」
 くのいちが出会い頭にそう告げた。幸村は心の中でただ、ああ嗚呼、と呻くばかりである。
「助けに行かないの、幸村さま。あの時とおんなじように。」
 迷うことなく三成の救援に向かった、あの春の日と同じように。幸村は目を細めてくのいちを見た。三成を失って傷付くのは己である。焦燥するのは己である。くのいちは幸村が苦しむことを知っているからこその助言であった。きっと私は、三成どのの救援に行かなかった今の判断を、いつの日か憎むだろう、と。けれど、けれど、結果はどうであれ、あの方はあの方の精一杯を生きた。幸村はそれを踏みにじってまで、三成の生に更なる重圧を背負わせる気はない。あの方はたくさんの人々を犠牲にされた。左近も行方知れずとなっているが、幸村は彼が生きていないだろうと確信していた。人の死の上に横たわって、更に生きていくことを、あの方は望むだろうか。死ぬその直前まで、きっと生きることを考えて、考えて、己の戦に誇りをもって死んでゆくのだろう。
(そう思うことすら傲慢でしょうか。けれども、生きたいと言いながら、みんなみんな、死んでいく。そうしてみじめに生き残ってしまった、わたしは、みじめに生き残ってしまった。)
 三成は、三成にしか通じぬ理の中を生きていたのだと、幸村は思っている。その理は箱庭のように、鮮やかで綺麗で気高くて、不浄などなかったのだろう。三成が見ている世は箱庭のようなものだ。その中で生きてゆける人は、決して多くはない。幸村は、ひとりよがりに生きる三成が好きであった。三成が生きる中で己も暮らしてみたいと、幸村は思っていた。思っていたが、願っていたが、共有することはできなかった。幸村は三成の生き方に夢見ることはできても、その清らかな空気の中では生きられないのだ。あなたは箱庭に、私はあの日あなたがのぞき込んでいた水面に、その中で生きる術しか知らなかったのです。
「私は、あの方々の箱庭を共有することができなかった。ちっぽけで、とても輝いていた、あの方々にしか見えない箱庭を、終ぞ拝見することができなかったのだ。だから私は、ここで取り残されているのだろう。くのいち、もう夢を見ることはできない。のぞき見ることすらできない。もう壊れてしまった。私はその欠片を集めて、そのわずかな輝きを糧に生きるだろう。ああ、ああ、あの方は、幸せの中死んでいくのだ。」
 もし兼続どのがいらしたら、この私の観念こそを不義だと仰るだろうか。ええそうですよ、あなた方の義と私の義ははじめから違っていたのです。違っていても良かった時代を私たちは生きていたのです、けれど、曖昧さの中でも生きていける時代はとっくに過ぎてしまったのですよ。
(兼続どの兼続どの、あなたは義という言葉に頼りきって、その言葉の本質を忘れてしまったりはしませんか。私は、私はそうですよ。義という言葉の箱庭に、私は終ぞなじむことができなかったのです。)