武蔵と幸村(わたしたちは、共有できぬものばかりを持っている)
大坂からの使者が訪ねて来て、幾日か過ぎた日のことだ。今日も昨日と大差ない一日が終わり、武蔵は幸村と並んで布団に入った。いつもならば寝転がった途端やってくる眠気だが、今日に限っては一向にその気配がない。既に灯りは落としてある。月の光も、奥まったこの部屋に届くことはなく、障子に目をやっても光源を得ることはできなかった。目を開いても、どんよりとした闇が広がっているばかりだ。隣りで寝転がっている幸村の気配と熱だけが、武蔵の肌を刺激する。
「幸村、」
と、迷惑を承知で呼びかけた。幸村はわずかに身じろぎをして、なんだ?と平素と変わらぬ声を発した。眠っていなかったのか、眠ろうとしていたのか、それとも武蔵同様に、眠れなかったのか。そのどれかは、武蔵には分からなかった。
「お前は大坂城に入るのか?」
幸村の空気が、かすかに揺れる。咄嗟に、動揺しているのだと武蔵は感じたのだが、その問いが何故動揺に繋がるのか武蔵は知らない。大坂の使者を笑顔で迎えて、軍資金まで頂戴していたのだから、その答えは当然だろうに。幸村の動揺が、武蔵にまで波及した。
「いつ頃、ここを経つつもりだ?そもそも、お前、軍はどうするつもりだ?家臣を十人引き連れての入城なんざ、聞いたことねぇよ」
「…いずれ機が熟したら、わたしはその決断をするつもりだ」
「にしたって、準備には色々あるんだろ?俺はそういうのはよく知らねぇけどよ。なぁ、それだって、何となくの日取りはもう決まってるんだろ?」
やたら武蔵は饒舌になって、幸村からの返事も待たずに、あれやこれやを訊ねた。必死になっている。珍しいこともあるものだと思ったのは、お互い様だろうか。
「武蔵」
と、幸村が名を呼んだ。たったそれだけのことだ。それなのに、じわじわとやってきた興奮の波が、彼の一言で一気に収まった。静かな、こんな闇の中ではいっそう深く染み渡る彼の声音は、そういう効果がある。武蔵は開きかけた口を一旦閉ざしてから、悪い、と一言謝罪した。幸村はそれには応えず、
「どうしたのだ武蔵。お前らしくもない」
と、少し笑った。笑わねばならないと、幸村自身思ったからだ。笑い飛ばさねばならぬ話題だからだ。
「なぁ、お前が大坂に行く時、一緒に連れてってくれないか」
武蔵の声は真剣だった。幸村は心の中で舌打ちした。彼に、そういった類の話をさせたくはなかったからだ。そういうつもりで、彼を招いたのではない。そういうつもりで、彼と共にいるのではない。幸村は己のわがままに、途端悲しくなってしまった。
「…何故?」
「前にも言ったじゃねぇか。清正さんに頼まれてるし、秀頼はちと、可哀想だ」
幸村は布団の中で身体の向きを変えた。彼に背を向けたが、果たしてこの暗がり、彼は気付いただろうか。
「戦は義理や同情で加わるものではない」
冷たい声音だった。武蔵の背が、一瞬ひやりと凍えた。ああ、彼を怒らせてしまったのだな、とは分かったのだが、武蔵にも意地があった。武蔵は幸村ではない。幸村の理屈が通じぬように、武蔵の理屈もまた、彼には通じぬだろう。それが当然ではあったが、耳を塞ぎ込んでしまった幸村には、分かり合いたいと念じる武蔵の理屈もまた通じぬだろう。
「なら、お前はどうなんだよ。お前はどういう理由で、大坂に味方する」
ふふ、と幸村の空気が揺れた。笑っている。声だけを聞くのであれば、ひどく穏やかに優しげに、縁側で茶を飲んでは庭を眺め、ぼんやりとしている幸村そのものだった。けれども、あれは自嘲であろう。武蔵は、その事実が悲しかった。
「わたしは、ただの執着だよ」
「どうして、俺を戦から遠ざけようとする?」
「お前には、知ってほしくはないからだ」
「戦なら、俺も知ってる。関ヶ原では、宇喜多の大将のところで武働きもした」
先よりもはっきりと、幸村は笑った。武蔵を必死になって嘲笑おうとしているようだった。武蔵は、笑われていることよりも、幸村が己の為に必死になっているのだと思うと、苦しくなった。
「お前が知っているのは、戦の外側だけだ」
確かに、一兵卒には、大将同士の思惑も、大名家同士の闘争も、どこか遠い話である。加勢する軍が勝つ以上の目的を持たない。いや、己の命が無事であれば、勝敗もどうでもよい話なのかもしれない。武蔵はそっと目を閉じて、幸村の言葉を反芻した。
「戦の本質は、とても、とても醜いものなのだ。わたしに着いて来ると言うのなら、お前はその本質を知ることになる」
呟く幸村の方が、苦しげであった。もういい、もういいから、と彼の言葉を止めてやりたかったが、先程の饒舌さはどこへやら、武蔵の喉は張り付いていて声が出せそうになかった。
「あんなもの、知らずにすむのなら、知らぬまま死んでいけるのなら、知らぬ方がいい」
幸村はそこでふっと声にこもる険を緩めて、
「お前には知ってほしくはないのだ」
と、これこそ武蔵のよく知る幸村の表情で、微笑で呟いた。今更ながら、この暗闇が残念だな、と思われた。
「お前はきっと嫌になる、嫌にはなるが、後悔はしてくれないだろう。お前は、そういう男だ」
武蔵が今度こそ!と意気込んで反論しようとしたのだが、それよりも先に幸村の言葉が出鼻を挫いた。「もう寝よう、わたしは眠い」と深々と布団を被られてしまっては、武蔵も同意するほかなかった。
***
うちの幸村さんはひとでなし。と言える話を書きたくなったので。
珍しく、殊勝なうちの武蔵でした。
(別々の布団だけど)布団の中での会話に、そういう色が出ないのが非常に楽です。