「なんだ、お前は浴衣じゃないのか」
という、顔を合わせての第一声を聞くのも、これで実に三度目だった。その言葉に含まれていたニュアンスは様々だったが、まさか性格も嗜好も異なる三人のクラスメイトからそう言われれば、自分は少し空気を読めなかったのかもしれない、と多少思ってしまう幸村だった。出掛ける前に、兄の信幸にその格好で行くのかい?と声を掛けられたし、父も母も義姉すらも、折角あるのに浴衣着ないの?と少々恨みがましい目で見られたことも確かだ。別段嫌ではなかったのだが、友人たちとほぼ確実に食い倒れツアーとなる出店回りに浴衣は不便に感じたし、汚す心配をしながらイカにかぶり付くのも面倒臭い。どうせみんなも同じような格好だ、と少々気を抜いたTシャツにジーパンという出で立ちは、大いに不評だった。武蔵も政宗もあの宗茂ですら、大差ない格好だというのに。
「…ァ千代さんと甲斐さんは浴衣なんですね」
宗茂の後ろに隠れるようにして立っていたァ千代と、それを羨ましそうに眺めている甲斐は、頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、見事にコーディネイトされていた。彼女たちの元々持っている華やかさが上手く引き出されている色合いで、彼女たちが立っているだけで場がぱっと明るくなる。少々意外だったのが甲斐の着ている浴衣で、最近流行し出した短い丈のものやレースのあしらわれた和洋折衷のものではなく、かっちりとした和装だったのだ。
「わたしは宗茂に騙されたのだ!」
そう顔を赤くして叫んでいるのはァ千代だ。大方、幸村も甲斐も浴衣で来るから、浮いてしまうぞ、と誘導したのだろう。残念ながら幸村の予想は少ししか当たっていない。宗茂は常々、お前は女らしさが足りないとァ千代をからかっているだけに、今回もそれを引き合いに出し、お前は女のくせに身長がでかいのだから、普段着などで行ったら男に間違われるに決まっている。どうせお前が着たところで馬子にも衣装だろうが、少しは女らしく見えるかもしれんぞ、と、まあ口の悪い男だから、この程度のことは平気でのたまうのだ。単純にァ千代の浴衣姿が見たい、と言えばいいだけなのだが、妙なところで照れてしまうらしい。
「あたしはお館様に、幸村さんも浴衣だろうから、負けんじゃねぇぞって言われて。つい気合入れちゃったわけなんだけど」
そう言うのは甲斐だ。同性から見ても、素敵だなあ、ときらきらとした目で眺めてしまう二人の浴衣美人は、幸村の頭のてっぺんから足の爪先までじろじろと観察する。確かに、おしゃれとは程遠い格好だという自覚はあった。けれどもそれは、どうせみんなも同じだから、というちゃんとした理由があったのだ。こんなにもぴっしりと浴衣を着こなした二人の視線は、幸村には少々痛かった。
幸村のクラスは男女共に仲が良く、こうした行事の度に集まってわいわいと騒ぐのが既に決まりとなっていた。この日もみんなでやがやと会議をして、夏祭りの最終日の前日が多忙な政宗も都合の付く唯一の日だったのだ。
幸村の予想通り、と言おうか、元々そのために集まったと言うべきか、出店を全制覇とはいかずとも、全種類制覇する勢いで、あっちでたこ焼きを買い、こちらでやきそばを買い、ベビーカステラをつまみつつ、イカ焼きをそれぞれ頬張るという見事な食い倒れツアーとなった。まだまだ成長期の彼らにしてみたら、この程度の量は全くものともしないのだ。女の子三人組もあまりスタイルだとか、カロリーだとかを気にするタイプではなかった。それぞれ運動部に所属していることもあり、夏場となれば補給する量よりも汗と共に消費する量の方が多いぐらいだ。甲斐はクレープを一つと言わず、目に入る度に購入しているし、ァ千代はみんなでシェアする為に買った大判焼きの大半を胃に収めている。幸村は幸村で、カキ氷を食べたかと思えばお好み焼きに手を伸ばし、りんご飴を芯を残して綺麗に食べきったかと思えば、少し目を離した隙にまたお好み焼き(今度は広島風だ)を食べるという甘いものと味の濃いものとのローテーションを組んでいた。男性陣も食べることには食べていたが、その勢いは少々弱く、後半はただの荷物持ちとなっている。武蔵は見た目通りの気持ちの良い胃袋を持っているが、政宗と宗茂はどちらかと言えば少食だった。
花火などそっちのけ、むしろ誰一人として花火の上がる時間など知らなかった。花より団子、食欲の前には花火など些細なものなのだ。おそらくはそろそろ花火の時間なのだろう。人ごみが多少なりとも軽減されても尚、主に三人は食べ続けていた。効果音ががつがつ、ではないことが救いだろうか。彼女たちの胃袋に納まった量を思うだけで、男性陣は少々気が遠くなりそうだった。
おいしかったから〜、と軽やかな足取りで二周目に突入していった甲斐のクレープ巡りを待っている時だった。気付いたのは同時だったろうか。一つ先輩である清正や正則たちの集団と鉢合わせしたのだ。
「どこに居ても賑やかだな〜お前ら」
まず一番に口を開いたのは正則だ。強面だが人懐っこいところもあり、こういった場面では空気を壊すことなく声を掛けられる人物でもある。反対に清正はこういう場を苦手としており、まるで喧嘩を吹っ掛けているように見えてしまうのだ。
「先輩方はいつ見てもむさ苦しいですね。残念ながら、女性を連れているところを拝見したことがないと思うのですが?」
宗茂は、これで悪気があるわけではないのだ。神経を逆撫でしている、という自覚はあるらしいのだが。宗茂のいつものからかいに清正はむすりと口を結び、正則は顔を赤くして反論する言葉を探している。本当のことなのだから、正則に宗茂を論破することは難しいかもしれない。彼らの舎弟(と言うべきか後輩というべきか)は応援するように熱視線を二人に向けるだけで、関わってこようとはしなかった。清正ですら手に余る相手なのだ、援護すら難しいと思っているのかもしれない。
「宗茂、不躾なことばかり言うなといつも言っているだろう。本音を言えば良いというわけではないのだぞ!」
ァ千代のフォローもアレだが、彼女は彼女で悪気がないのだ。言葉の選択が下手なだけで。案外に似た者同士なのだが、肝心の二人はその事実に気付いていなかったりするのだ。
「お前も煽ってどうする、馬鹿め!もう喋るでないわ!」
こうやって政宗が爆発するのもいつものことだ。まあまあと宥めるのは幸村の役目で、それでも納まらない時は武蔵が実力行使と言うか教育的指導と言うか、あっさりと手が出る。これが加減も何もないせいで、政宗は大人しく成らざるを得ないのだ。
その時、この場にはいないトラブルメーカーの一人でもある甲斐の雄叫び、もとい悲鳴が聞こえてきた。甲斐の性格を知り尽くしている面々にとって、彼女をナンパすることは相当の猛者でなければ無理だと思っているが、何も知らない人間にしてみれば、彼女の見た目は相当の美人なのだ。喋らなければ美人、口を開けば熊姫、拳を振り上げれば熊ですら裸足で逃げ出すとても雄々しい女の子なのだ。大方、一人でいる美少女をしつこくナンパしたチャラ男は、見た目は美少女の熊姫様に投げ飛ばされるなり、殴り飛ばされるなり、蹴り飛ばされるなりな散々な目にあったに違いない。その場に居なくとも事態がありありと思い浮かべられる面々だったが、彼女を放っておくと手当たり次第に暴れてしまうせいで、誰かが手綱を引きに行かねばならない。幸村も適任なのだが、幸村が行動を起こすより先に宗茂が直々に政宗を指名した。行って来い彼氏代理、との有り難い任命に政宗は思い切り顔を顰めていたが、ひねくれているもののお人好しである政宗は、渋々と騒ぎの中へと突入して行った。すぐにお互い怒鳴り合いながらも戻って来るだろう。
「ほんと、どこにいても賑やかな奴らだな」
清正がため息と共にそうこぼした。隣りの兄弟同然で育った幼馴染のせいで、その苦労をよくよく知っているのだろう。その声には深い同情が滲んでいた。
「おかげで退屈しませんよ」
ふふ、と幸村が笑いながら何気なく清正を見た。清正は問い詰めるような鋭い視線を幸村に向ける。別段、何事かを尋問したいわけではなく、清正の感覚で言えば、極々自然に顔を見た程度なのだけれど、元々の整った容貌や鋭すぎる目力のせいで、人に威圧感を与えてしまうのだ。
「残念だったな、三成は一緒じゃねぇんだ。まああいつが暇だったとして、俺たちに付き合うとは思えないが」
そういう意味で清正を見たわけではなかったのだが、まるで見透かされているような気まずさを感じて、幸村は少しだけ顔を伏せた。友人たちばかりか、この無口な先輩にも己の想いが筒抜けなのは何故だろうか、と幸村は思うのだけれど、傍から見たら、どうしてそれで隠し通せていると思っているのだろうか、と逆に疑問を抱くほど幸村は露骨だった。表情が全く違うのだ。
「あ、えっと、三成さんは?」
「今日も喜んで兼続と仲良く登校してたぞ。今頃は部屋でへばってんじゃねぇか。体力ねぇくせに無理すんのが趣味だからな」
「責任感の強い方ですから」
自然と笑顔になるのは、三成の話題だからだろう。こうやってさり気なく清正が三成の近況を教えてくれるおかげで、清正と幸村の距離は随分と縮まっていた。それにやきもきしている人物を知らないのは、きっと幸村だけだろう。残念なことに。
「幸村、お前が誰といちゃつこうが俺は干渉するつもりはないが、流石に相手が清正では無節操というものではないか?」
三成が悲しむぞ、と今度は幸村にターゲットを絞った宗茂が、二人の会話に口を挟む。宗茂の言を肯定するのは癪な様子だったが、清正も厄介な人間の厄介な事情に巻き込まれるのはごめんだ、と、あっさりと退いた。じゃあな、暴れるのも程々にしとけよー、と先輩の有り難い言を残して去って行ったのだった。
先程まで景気良く上がっていた花火も終わり、出店の明かりも既にぽつぽつとしか灯っていない。そろそろ帰ろうか、と、政宗が迎え要求のメールを打つの皮切りに、みんなが仕舞い込んでいた携帯電話をチェックしている。人ごみの喧騒の中では電話はおろかメールの受信音すら聞こえず、幸村はようやく新着メールに気付いたぐらいだ。慣れた様子で画面を開けば、差出人の名前に思わず、
「あっ」
と、声を上げてしまった。予想外に声は響き、それぞれがなんだなんだと幸村に視線を向けた。いえ、なんでもありません!と、大袈裟なぐらいに手を振って誤魔化す幸村の一番近くにいた武蔵が、隙だらけの幸村の手からひょいと携帯電話を掴み上げる。武蔵!と掴みかかられるのを見越して、ぽい、と幸村のワインレッドの携帯電話を放り投げた。着地点は宗茂だった。この男がそのまま素直に返してくれるはずもなく、さも当然のことのように液晶を見た。幸村が思わず声を上げてしまった原因に気付いたのか、へぇ、とやけに芝居掛った声をついて、最早自分の携帯電話であるかのようにさっさと本文を開いてしまった。
「よかったな幸村。念願の三成からのデートの誘いだぞ」
「え、ホント!よかったじゃん、幸村さん!」
言いながら、甲斐は幸村に駆け寄るどころか宗茂の手元を覗き込んで、まだ幸村も見ていないデートのお誘いとやらのメールを読んでいる。うわー、センパイらしいっちゃあらしいけど、ないわー、業務連絡じゃん、ああホント、ないわー、と甲斐が幸村を不安にさせるようなことを呟いている。いや、三成のメールは基本業務連絡なのだ。絵文字がないことの方が当たり前なのだ。なくないです!と叫びながらも、いい加減読ませてほしい、と武蔵を押し退けて、幸村にしては珍しく引っ掴むように宗茂から携帯電話を奪う、つもりが、それよりも先にァ千代に回された。短い文面なのだろう、すぐに読み終え、さあ自分のところに返ってくるだろう、と思えば、次は武蔵に、更には政宗へ、とこの場に居る全員に回し読みされて、ようやく幸村の手元に返って来た。が、幸村が文面を読む暇すら与えずに、みんながみんな、とても良い笑顔で、幸村の肩を代わる代わる叩いた。
「明日はちゃんと浴衣着ていけよ」
「なんだったら、あたしの小道具貸しますよ!あっ化粧もしましょうか?!」
「石田は古風な男だ。下手に着飾るよりお前らしい姿で行った方が良いだろう。化粧はあくまでナチュラルメイクにしておけよ」
「あのヘタレのことじゃ、心配はいらんと思うが、あまり遅くなるでないぞ」
「まあ、とりあえず、頑張ってこいよ?」
彼らは彼らなりに励ましてくれていることは分かってはいる。分かってはいるのだけれど!
「少しは放っておいてください!!」
おまけのくせしてなげぇよ!
ホントはもっとスッキリするはずだったんですけど、何かあれもこれもと欲張ったらこうなりました。
ここで本当におしまいです。
お付き合いくださり、ありがとうございました!
13/07/24