清正は、左近と幸村が肩を並べて談笑している姿を発見した。大坂城内であるから、別段おかしなことではないのだが、三成の執務室からは随分と遠い廊下でのことであったので、清正にとってはいささか奇異に映った。二人は廊下の向こうからやってくる清正に気付いていないようで、幸村の腕の中に広がっている巻物を覗き込みながら会話を重ねている。その距離がいかにも親しげで、幸村の手元に視線を落とす左近との顔も近い。特に足音を消していたつもりはなかったが、唐突に鳴った床の音に一番に驚いたのは清正だ。二人はごくごく自然な動作で音のした方へと顔を向け、清正の存在を知った。幸村は素早く手に持っていた巻物をたたんで一礼と共に道を譲る。左近も同じようなものだった。
「気付きもせず、すいません」
清正としては、特に用事もなく城内をぶらついていただけだ。幸村のように丁寧な仕草で迎えられると、どうにも居心地が悪い。いや、と適当に言葉を濁した。
「相変わらず、あいつにこき使われてんな」
「それが左近の仕事ですからなあ。ま、幸村は完璧なとばっちりでしょうが」
清正の軽口に、同じような調子で返してくれるのは左近ぐらいだ。左近は、あの三成の家臣だということを忘れさせる程度に、清正と仲が良い。お互い、無用な風波を嫌う性質であったし、分別が出来るぐらいには清正も人間ができている。三成と馬が合わないからといって、左近にまで同様に当たることはなかった。もちろん、左近が優秀であるが故、というのもあるだろうが。
幸村は、左近にあごで示されて、そうでしょうか?と顔を傾けた。つくろっているのではなく、幸村の純粋な感想なのだろう。
「どうにも使い勝手がいいもんでしてね。仕事の手際がいいし、教えなくともやるべきことは分かってるし、なにより殿のご機嫌が良いとなっちゃあ、なかなか」
先日の三成の奇行を思い出した清正は、思わず顔を背けてしまった。あれは、精神衛生上、とてもよろしくない図だ。少なくとも、清正にとっては(おそらくは正則もそうだろう)。
「なら、こんな場所で油売ってていいのか?」
「別に、急ぎの仕事じゃあないんで。殿も年がら年中、仕事に駆けずり回ってるわけじゃないですよ」
あの人、体力ないですし。と左近がぽそりとこぼせば、それもそうか、と清正も納得した。それならば、と思い、清正が指を持ち上げて幸村を示した。
「ちょっと、借りるぞ。いいだろ?」
「ええ左近は構いませんが」
幸村は?と左近が視線で問えば、「わたしも構いません」と幸村からの返答があった。
特に幸村に用があったわけではなかった。ただ、手隙であるのならば、と思って声をかけただけだ。今も前を行く清正に何の疑問も抱かずに黙ってついて来る幸村だが、清正としては特に行き場があるわけではない。彼と鉢合わせした廊下から少し離れたところで、清正は足を止めた。幸村も清正に倣う。まったく、従順な男であった。
「別に用があったわけじゃないんだ」
そう切り出した清正に、はぁ、と幸村が気の抜けた相槌が続いた。用がないのなら、何故声をかけたのだ、と怒るような男ではないことは承知の上だが、幸村の反応を見るに、用がないのにわたしなんぞに何故声をかけてくださったのだろう、といった様子であった。真田幸村という男を過小評価しているのか、清正の無愛想な様子が原因かは分からなかったが。
「正則が、一度お前と手合わせしたいと言っていた」
「あ、はい。以前声をかけて頂いたのですが、間が悪くて。正則どのには申し訳ないことをしました」
「あの馬鹿のせいで忙しいってんなら、言ってやろうか?」
清正の発言に幸村は何を思ったのか、驚いた様子で清正を見返した。落ち着いた雰囲気を持つ幸村だが、大きな目をまん丸にしている姿は、どこかあどけなさが残る。確かに、こんな男が側にいたら、無用に腹が立つこともないのかもしれない。
「お心遣いありがとうございます。ですが、わたしは特に苦痛とも思っておりませんし、むしろとてもありがたいことだと思っています。三成どのは、わたしなんぞによく気をかけてくださって」
幸村の表情から、自然に笑みが漏れる。彼のような人ばかりであったのなら、三成の性質がたとえ生きにくい性格であったとしても、なんら問題はないだろう。だが、現実はそうではない。幸村のような男の方が特異なのだ。
「皆さんが噂されるようなお方ではないと、つくづく思います。確かに、少し誤解されやすい方かもしれませんが。わたしは、三成どののお言葉の素直さを、とても好ましく感じます」
幸村はここ大坂で、三成がどのような目にさらされているのかを知った上で、彼の側にいるのだと言う。
「あいつを、そういう風に言えるヤツを、俺は初めて知ったぞ」
「そうでしょうか?近くで見ていれば、すぐに分かります。あと、気を許した方には甘くなるようですね。加藤どのと一緒の三成どのは、まさにそんな感じですし」
「はぁ?あいつが?毎回毎回、可愛くねぇ口ばっかたたきやがって」
ふふ、と幸村は笑みをこぼした。不快に感じなかったのは、幸村の呼気が柔らかくて優しくて、周りに怒鳴ってばかりの清正にとっては貴重なものに見えたからだろうか。随分とあたたかく笑うものだ、と清正は思った。
「三成どのは、加藤どののことを、とても大切に思っておいでですよ」
よかったですね、と幸村が微笑むものだから、物好きだな、と清正はうっかりと口を滑らせてしまったが、幸村はやはり小首をかしげるだけだった。
呼び方どうしようかなーと思ったんですが、やっぱりよそよそしいまんまにしました。
10/05/07