清正と幸村は仲が良い。大坂城に詰めている人々は、大抵そう思っていることだろう。欠けた五大老の座におさまるのではないか、と目下噂されている加藤清正と、先の戦の功が認められ豊臣の旗本衆・七手組の調練を勤めることになった真田幸村は、接点も多い。調練の方法や模擬戦の打ち合わせなどで、二人が熱く語り合っている様を見た者も決して少なくはない。それもそうだろう、二人に親しい者の間では最早公然の秘密となっているが、彼らは俗に言うところの恋人同士であったからだ。だが、二人はそれを事実と思っていないようだ。
その件についての清正と正則の会話はこうである。おそらく正則が、二人きりなのに会話もなく、親密そうに見つめ合っている様を見つけてしまった時のことを触れたのだろう。
『付き合ってるんだろ?清正のあんな目、見たことねぇよ』
『は?俺が、誰と?』
『幸村とだよ。仲良いもんな、お前ら』
『付き合ってねぇよ馬鹿。お前の眼は節穴か』
胡乱げに睨んできた清正の顔の険しさを、正則は今でも覚えていると言う。
三成と幸村の場合はこうだ。三成も同様に、二人きりの彼らをつい発見してしまった時の衝撃を語ったようだ。
『清正のことなのだが、』
『はい?ええっと、どういうことでしょうか?』
『…分からんか?』
『察しが悪く、申し訳ありません…』
『………、清正とは、その、恋仲なのか?』
『は?……あ、いや、その、違いますよ。確かにわたしは清正どののを好いておりますが、その、お付き合いをしているというわけでは。はい、違います』
そこに嘆きも悲しみもなく、城下のどこそこの甘味屋はとってもおいしいんですよ、と報告してくれた幸村と大差がなく、自分の方が戸惑ってしまったと後に酒の席で兼続に零していた三成である。
とにかく、そういう二人であったから、誰それは二人が抱き合っているところを見た、それがしなんぞは接吻をしているところを見た、などと言う者もいたのだが、二人の返答は変わらなかった。
二人は時々、誰も知らない二人きりの酒宴を開いている。静かに月や虫の声を聴きながら、穏やかに時間を共有する場だ。二人に近しい人間なれば、その密会じみた酒宴にも気付いているかもしれない。彼らは必死になって隠そうとはしなかったし、隠す必要もないと思っていた。周りの視線には鈍感で世間知らずなのはお互い様だった。
そのひっそりとした席のことだ。酒の肴もなくなって、口さびしく会話を重ねていたら、清正の口から正則との会話が語られた。幸村はくすくすと笑いながら、わたしも三成どのに、同じようなことを訊かれましたよ、と告げる。清正は"三成"の名前に過剰に反応して僅かに眉間に皺を寄せたが、幸村はそれを見ても笑っていた。条件反射のようなもので、表面に浮かぶ程の嫌悪が彼らの間にはないことを、幸村は見越していたからだ。
「お前が可哀想だと言われた」
「わたしがですか?」
小首をかしげながら、自分の杯を酒で満たすついでに、清正の器にも並々と酒を注いだ。平時であっても剛の空気を纏う清正に比べ、幸村は柔らかな表情を浮かべている。その対比は、まさに絵になる風情があった。
「好き合っているなら、さっさと公言しろだとよ。幸村もきっと、はっきりした証が欲しいだろうに、ってな」
「証、ですか?」
どうにもピンと来なくて、幸村は先程の体勢のままだ。清正はそんな幸村の表情に小さく笑みを作って、可愛げない反応だな、と幸村の頭を小突いた。
「簡単に言うと貢ぎもんだろうな。女だったら高価な反物や簪か?俺達だったら、揃いの真田紐でもぶら下げておけばいいのか?」
「わたしに訊かれても分かりませんよ。それに、そんなものいりませんし。わたしは女子ではありませんし、繊細な性質でもありません。むしろ疎ましくなってしまうかも」
「同感だ」
杯をぐっと一気に仰ぎながら、清正は頷いた。
幸村は、ふとした瞬間、遠くを見つめる癖がある。会話の途中であったり、情事の最中であったり。二人きりでいるに関わらず、だ。それを寂しいだとか悔しいと思ったことがない。そうやって遠く遠く、清正では知りえない何かをじっと見つめる幸村の横顔は、その眼は、深い深い海のように澄んでいる。膜を張ったように、わずかに潤んで光をにぶく反射させているその様が艶やかだ。
繋ぎとめたいわけではない。そんな得体の知れない何かに心躍るより俺を見ろよ、などとは思わないし言わないし、そもそも彼は聞く耳を持たないだろう。こうやって、心に滲む寂寥を共有する時間が関係が、永遠に続いていけばいいと願わないわけではないのだが、彼と永遠を生きたいなどと夢想するのは、どうも自分たちでは無理そうだ。たった今、己は彼を好いている。その事実以外は、負け惜しみや強がりや、中途半端な侠気でもなく、本当に必要がないのだ。清正と幸村の道の終着点は、どう転んでも一致しない。清正は意固地な現実主義で、幸村は頑なな悲観主義であるからだ。
一瞬の沈黙か、はたまた。時間の感覚など、この場には不要である。清正は口の慰みに、そっと
「幸村、」
と、彼の名を呼んだ。平時ですらどこか尖った印象を受ける清正にしては、やけに生温い柔らかな声だった。幸村は小さく身体を震わせて(どうやら含み笑いをしているようだ)、返答の代わりに清正の頬に手を添えた。酒を呑んでも、彼の指先はいつも少しだけ冷たい。その心地良さに眼を閉じながら、手探りで幸村を抱き寄せた清正だった。
恋は一人でするものでしょう?
二人だけで既に完結してます。以心伝心じゃなくって、自分のしたいようにしたら、相手もそうだっただけっていうか。
独り善がりって言うよりは、自分勝手。
10/01/10