豊臣と徳川は、既に片手では数え切れぬ程の小競り合いを重ねている。特に此度の槍合わせは、戦の規模にまで発展してしまった。功に焦った豊臣軍が突出し壊滅、撤退の際にはずるずると徳川に付け入れられ、膨大な被害を出した。城に兵を帰還させるにも、徳川の追っ手がしつこく中々うまく兵の回収が出来ていない状態で、救援にかけつけたのが幸村率いる真田隊だった。
 豊臣軍だけでなく、徳川軍もまだ戦に慣れていない若い衆が中心に編成されている。勢いはあるものの、戦慣れしている幸村の采配に翻弄されて、しまいには数名の首を上げられてしまった。そうなっては勝利の勢いなども吹っ飛んでしまい、幸村に追い立てられるがままに撤退していった。ひとまず去った危機だが、三成が喜ぶのも束の間、もたらされた報に顔色をなくした。

 兵の再配置も終え、負傷した兵の様子を見る為に、三成は清正を伴って各所を回った。まず目指したのは、特に重傷の者が集められている陣所だ。そこに、幸村の姿もあった。大将だというのに、幸村は後方で采配することを良しとせず、常に前線で兵を励まし、時には己の手で首級をあげる。真田の次男坊であった頃ならいざ知らず(それとて、三成はやめてほしかったのだが)、今では豊臣の一翼を担う立場である。決して一兵卒を軽んじているわけではないのだが、何かあったらどうするのだ、と三成は思わずにはいられない。特に幸村直属の隊は数が少なく小回りが利く為、どこそこの隊が圧されている、と救援要請を受ければ、どんな無謀な戦いにも挑んでいってしまう。
 いつもいつも、不安に思っていることだ。大怪我をしたらどうする、鉄砲弾の当たり所が悪く、傷が悪化してしまったら、敵に囲まれてしまったら。そういう危惧がついに現実のものとなってしまったのだ。
「幸村、死ぬことは許さぬ!いつも言っているだろう!生き様を刻むと言うのなら、生きて武士の意地を貫け!でなければ、今後戦には参陣させぬ!」
 常に居座っている険が更に鋭く尖っている。清正は三成同様厳しい表情を浮かべながら、けれども冷静に幸村の顔を見つめていた。あそこで幸村が突出しなければ、城に撤退できた兵の数は格段に減っていたことだろう。また、兵に囲まれても一点突破し、隊列を守った退き戦が出来るのは幸村ぐらいしかいない。幸村は、人が聞けば青ざめそうなほど冷静に、己の能力と状況を分析したに過ぎない。それが、三成はもどかしいのだろう。清正は、ちらりと隣りで怒気で頬を紅潮させている三成の横顔を眺め、すぐに幸村へと視線を戻した。聞けば、城に帰還するなり、崩れるようにして気を失ったという。鎧の中は幸村の血で赤く染まっていたと言うのだから、この男の戦に対する熱は異常としか言いようがない。
 一頻り言葉を吐き散らしたらしい三成は、肩で息でしながら、清正の存在を思い出したのか、
「お前からも言ってやれ!」
 と、顎でしゃくった。その仕草には不快に感じたものの、この場で三成と喧嘩をする面倒さを考えて、その不満は抑え込んだ。代わりに、全身のほとんどに包帯を巻かれ横たわっている幸村の、辛うじて覆われていない左眼を覗き込んだ。
「…援軍は見事だった。多くの兵が救われた。だが、それで怪我を拾って帰ってきたことには、遺憾ながら三成と同意見だ」
「未熟ゆえ、申し訳ありません」
 三成、清正の言葉を聞いても、幸村の声に動揺はなかった。声が掠れてはいたが、それは戦場で声を枯らして奮戦していたからだ。戦の熱が去った幸村は、これがあの負け戦を引っ繰り返した真田幸村か?と思う程静かな男だった。予想通りの幸村の返答に清正はため息を吐き出して、幸村の正面にしゃがみ込んだ。清正の無愛想な面に見下ろされても、幸村は少しも怯まなかった。
「一つ、訊く。お前は今でも、自分の判断に間違いはないと思うか?」
 この問答は無意味である、と清正は思う。戦は生き物だ。反省は確かに大切だろうが、それは幸村が自分の身の内でするものであり、誰かに促される必要も、清正がそれを指摘する必要もない。それに今回、幸村は下手な戦を打ったわけではない。清正があの場で出撃していても、彼と同等の戦勝があげられる自信はなかった。彼が下手を打ったというのであれば、三成のこういう反応を見越していながら、回避策を全く練らなかったことだ。
「何度でも、わたしは同じ決断を下します」
 幸村はゆっくりとまばたきをしてから、じっと清正を見つめた。澄んだ目は、その言葉に嘘偽りがないことを尚更強調させた。幸村の眸は、いつだって一つのことを見据えたまま迷いがない。三成や清正の言葉なんぞでは揺るがないのだ。
「…後悔は?」
「ありません」
 底冷えするような、邪気のない声だった。感情を全て削ぎ落としたような幸村の声に、むしろ動揺したのは三成だった。隣りに立っている三成は、面白いように狼狽している。表情が強張っていた。三成の横顔を横目で捉えながら、そうか、と短く言って立ち上がった。
「なら、俺に言えることはない」
「清正!」
「そろそろ休ませてやれ。自覚がないせいで分かりにくいが、相当青っ白い顔してるじゃねぇか。ま、忙しい時の三成も同じようなもんだがな」
 しっかり休めよ、と踵を返しながら手を振る清正の言葉に、幸村は少しだけ戸惑ったようで、はい、と頷いたものの、はてさて、本当に自覚しているかどうか怪しい。三成も清正に指摘されて、ようやく幸村の顔色の悪さに気付いたようだ。清正の背を追いかけるように、小走りでその後に続いたのだった。


 幸村の元を去った三成は、慌てて清正に駆け寄りその隣りに並んだ。清正が三成に気付いて丁度三成と目が合うと、二人して一瞬だけ表情が強張る。最早癖のようなものだ。
「どういうことだ清正!俺は何も納得していないぞ。お前だって、」
「俺がなんだって?」
「心配ではないのかと訊いている!」
「心配か心配じゃないかと言われれば、もちろん心配に決まっているだろう」
 そんなことも分からないのか、と言外に滲ませれば、分からないから訊いたのだ悪いか、と三成の不機嫌な声。
「受け入れろ、と言うのもおかしいが、そういうものだと受け止めろよ。俺やお前がどうしてこうして協力してんのか、って言ったら、豊臣の家守る為に生きてるからだろうが。幸村もそういう風に生きてるだけだ。お前がその面で幸村脅迫しようと、変えられない」
 どうにもなんねぇことがあるってことぐらい、お前にも分かるだろ?と言えば、茶化すな!との怒鳴り声が響く。あまりの剣幕に、すれ違う人間や休んでいる兵が何事だと顔を覗かせては、触らぬ神に祟りなしと引っ込んで行く。清正はそれを視界の端で認めながらも、素知らぬ顔で三成の逆鱗を更に逆撫でする。似た者同士と言われようが、合わない部分はいつまで経っても合わないままなのだ。
「いい加減分かれ。お前の言葉は、お前の自己満足の押し付けだ」
「そうやって幸村を見殺しにしろとでも言うのか!」
「馬鹿、どうしてそうなる」
 頭に血が上っている三成を前に、清正もいよいよ途方に暮れた。これ以上、どう伝えればいいのか分からないようだった。決して幸村と語り合ったわけではないが、清正は幸村の心を感情を、深く理解していた。理解、というよりは、知っていた、と言うべきか。血の色は赤い、夕日の色は橙、桜の花は薄桃色。そういった認識と同様に、清正は幸村の目指す道を知っていたし、自分たちの間に横たわる思慕の曖昧さと脆さと頑なさを知っていただけなのだ。








僕らの不可侵条約

清幸前提かどうかも曖昧。

10/01/10