甲斐の滲んだ視界には、困ったなぁと眉尻を下げる幸村が居た。本当は困らせたくはないのだけれど、幸村には笑っていて欲しいのだけれど、更に欲を言うのであればあの温かで優しい声で、甲斐どの、甲斐どのと何度も呼んで欲しいのだけれど。今の幸村は頑張りすぎたせいで身体は自由が利かず、表情ばかりがくるくると移り変わりはするものの、指一本動かすのだってつらいはずだ。喉はかれてしまって、声を出さないように!と医者から厳重注意を食らっている。それを真面目に遂行しようとする幸村は、甲斐を前に困ったなぁと表情を作る以外に己の思いを訴える方法がないのだ。その様を、くのいちは神妙な面持ちで見つめている。この阿呆が、顔強張ってるぞ、感情押し殺してるせいで、顔、怖いことになってるんだから。
「幸村様、こんな無茶してちゃ、駄目ですよぅ、この城にはたくさんの人がいるんですから、頼ってくださいよぅ」
甲斐はそう、途切れ途切れに吐き出して、またわんわんと泣く。もう顔は涙に鼻水にぐしょぐしょだったけれど、幸村は顔を顰めることもせず、やはり困ったなぁと言っている。泣き止まない幼子を前にしている心境なのかもしれない。見るに見かねたくのいちが、ほらほら、顔拭きなよ、と手ぬぐいをぐいぐいと顔に押し付けてきたものだから、甲斐は乱暴な動作で顔を一撫でして、今度はくのいちに向き直った。キッと睨みつけるように見つめたせいだろう、くのいちは一瞬呼吸を止めて、女の子らしい素の表情をこぼした。忍びだ草だなんて自分を戒めているくせに、くのいちにはそういう可愛いところがあると甲斐は思う。まあ本人には言わないんだけど!
「あんたが泣かないから、あたしが代わりに泣いてるんでしょ?!幸村様もです!幸村様が泣かないから、あたしが代わりにうんと泣くんです!!」
そう叫べば、感情と涙を結ぶ線がまた緩まって涙が溢れ出してきたのだけれど、甲斐はやはりそれらをせき止めることはせず、感情のままに泣き喚くのだった。
甲斐姫は男らしい。でもちゃんと女の子。この三人が好きです。
10/02/24