「手をお放しよ」
ねねは真っ直ぐに己を見据える幸村の眼をじっと見つめて、もう一度繰り返した。手を、お放しよ、幸村。
ねねの知る真田幸村は、とにかく良く気の付く視野の広い子であった。三成が、仕事で使う紙がなくなったと言えば、見計らったようにそれを用意していて、正則が鍛錬用の槍が折れたと言えば、さっと差し出す。清正が墨をこぼして台無しにしてしまった治水に関する資料だって、諳んじておりますから、と彼らしいきりりとした字で元通りにしてしまった。とにかく周りを良く見ている子だった。要所要所で的確な補佐をする幸村相手に、清正などは、一体幸村は何人居るんだ、とまで言わしめた程だった。それほどまでに幸村は神出鬼没だったし、同時に行動力のある子だった。しかしよくよく見てみると、彼はその全てを自然と行っているようだった。普通に生活をしていて、三成だったり清正だったりの小さな困り事や、ねねの小さなわがままだったりが自然と目に入ってくるようなのだ。
以前も、趣味で作った庭の畑仕事を終え、一息つこうと思ったら、幸村がお茶と菓子を持って立っていた。あれ、気の利く子だねぇ、とねねは汗を拭いながら幸村からお盆を受け取ったが、幸村自身はきょとんとしていた。どうやら当然のことをやっただけのようで、何を褒められたのかが分かっていないようだった。雨が降れば戸を閉めます。腐った食材があれば捨ててしまいます。汚れた手ぬぐいは洗って乾します、書き損じた紙は落とし紙に使います。そういう次元と同じなのだ。面白い子だねぇ、と思いながらも、何かを予感していたのだろうか。ねねは茶を啜りながら、そっと幸村に呟いた。幸村は真摯にねねの言葉に耳を傾けていたが、彼も何かを感じ取っていたのだろうか。『みんなと仲良くするんだよ、決して誰かを選んじゃ駄目だよ、誰かを選び取っちゃあ、お前はお前自身を不幸にしてしまうよ』秀吉がまだ政の先頭に立っていた、ある日のことだった。
ねねは、そしてもう一度繰り返した。
「手をお放しよ、幸村。三成の手を、お放し。でないと、お前自身を不幸にしてしまうよ」
けれども幸村は、意思の強いあの凛とした瑞々しい瞳をねねに向けて、ゆっくりと首を振った。
「わたしはわたしの選んだ道に、決して後悔いたしません」
分かりにくいと思いますが、そこらへんはフィーリングしてください。幸村は超人で超気の利く人間なのだ!3の幸村様ならそれも可能なのだ!と割と本気で思ってます。関ヶ原直前、大体犬伏の密議辺りの気分で書いてます。
10/02/17