「幸村が、」
と、宗茂が彼の人の名をこぼせば、清正は思わず顔を顰めて、隠すように酒を啜った。宗茂としては、たまたま頭に浮かんだ人物の名前を挙げただけだったが、清正にしてみればまさに不意を突かれた格好になったようだ。宗茂は口許に浮かぶ笑みを隠そうともせず、「何かあったか」と訊ねる。清正は顔を伏せたまま、じっと杯を見つめている。
「何もねぇよ」
「だが、何か思うところでもあるのだろう?」
こちらの拒絶など知らん顔、どうせずかずかと他人の領域まで遠慮なく上がりこんで来ることなど百も承知だ。清正は抵抗することを諦めて杯を置いた。もれたため息は彼に向けての無言の抗議だったが、その程度で引き下がるような可愛いタマではない。
「…苦手なんだ。特に、あの眼が、な。欲のよの字も知らないガキみたいな眼をしやがって。あれにじっと見つめられでもしろ、居心地が悪いったらねぇ」
「俺はそうは思わんが」
「俺はお前ほど、図太くねぇんだよ」
吐き捨てるように呟いた言葉は、せめてもの皮肉のつもりだったのだが、宗茂は酒が入っているというのにやけに涼しげな声で、「ああ、そっちじゃない」と手を振った。手元の空になった杯に新たに酒を注ぎ、ついでに清正のものにも注ごうとしたのだが、清正はそれを手で制した。清正としては、戦の布陣の相談に来ただけなのだが、宗茂に誘われて流されるままに酒を口にしてしまった状況なのだ。立て込んでいる雑務のせいで、出来ることなら早く身体を休めたかった。
「俺は幸村を無欲だとは思わんな」
「何故だ」
宗茂が「尋問ようだな」と揶揄れば、清正は不機嫌そうな声で、「そういう性分だ」とそっぽを向いた。
「あれは強欲の一言に尽きると思うが?こんな世だ、一つのものを貫くにはどうしても不便が生じる。あれはどれほどたくさんのものを見捨ててきたと思う?特に、真田のような小大名など世の波に流されて当然だ。それなのに、幸村はその中であっても唯一を諦めきれない。これを強欲と言わず何と言う?」
たった一つ、されど一つだ。宗茂はまるで挑発するように笑みを作って、一気に杯を煽った。
「羨ましいのか?」
「まさか!」
宗茂は大袈裟とも呼べる動作で、清正の言葉を否定した。そう思われるのも心外だとでも言いたげで、清正はさっと彼から視線を外した。どうも、この男とは相性が悪い。
「ああいう生き方は嫌いじゃない。が、あれは駄目だな、美しいとは思うが、己の身を滅ぼす。俺はあんな息苦しい生き方は無理だ」
そこで一旦言葉を切った宗茂は、じっと清正を見つめる。彼は彼で、人の平静を掻き乱す目をしている。清正は強がりに「何だよ」と睨みつけてみたものの、効果は薄い。むしろその様を眺めて楽しんでいる節がある宗茂なのだ。
「羨ましいなどと思うなよ。あれは幸村だからこそ歩むことの出来る道だ。俺やお前がその道を目指しても眼が澱むだけだ」
うーん不完全燃焼。分からん!けど書きたい!と思った結果がこれだよ…。
10/03/11