幸村は兼続のことが苦手だった。正直、苦手、という言葉は相応しくはないな、と幸村自身思うのだが、他にしっくりと来る言葉を知らなかった。直江兼続という存在を幸村は好いていた。大切にしたいとも思っていた。たくさん世話にもなっていたし、また、数少ない幸村が甘えられる存在でもあった。兄のような存在と言っても過言ではなく、それは幸村ばかりでなく、兼続もそう思っているに違いない。兼続は幸村のことを弟のように可愛がった。幸村はそれを有り難く思うことはあっても、不快になど一度もなったことはなかった。けれども、そういう感情を抱えているのに全くの間違いはないのだけれど、同時に、苦しい、と幸村は思うのだ。
(御仏の、)
眼はあのように底がないのだろうか。差し出される両手はあのようにあたたかいのだろうか。全てを見透かして、受け止めて、それゆえに哀しいと嘆くあの優しさは、
(御仏の、)
幸村は瞠目する。繰り返す。手元にある文は、経文のように眩しくて、眼球が灼けてしまう。
(救いなどいらないのです。だからこそわたしは、あなたの前では余計に、後ろめたくてしようがない)
兼続の解釈こそ人それぞれだと思いますが。兼続は仏様のような人だと勝手に思ってます。神様でも、天使でもなく、ほとけさま、です。
10/02/12