くのいちは三成に大事を託して上田へと帰って行った。三成もくのいちに言われた以上、放っておくわけにもいかず、ここ数日注意深く幸村を観察していた。しかし、彼女が言うような浮ついた上機嫌さはどうしても発見できなかった。いや、常の幸村はいつでもにこにことした笑みを絶やさない、心穏やかな人物なのだ。故意に幸村と顔を合わせる機会を作っている三成についても、最近はよく三成どのの顔を拝見します、嬉しいです、とにこりと笑みを作って三成を癒している。別段、このままでもいいのでは?と思い始めた三成だったが、兼続はそんな三成の行動では生温いと思っていたようで、早速兼続によって呼び出されてしまった。使命感に燃えている兼続と、最早首を突っ込むこと自体を放棄し始めた三成の間に挟まれた幸村は、己が何故呼び出されたのか分からない様子だったが、それでも笑みを絶やすことはなかった。
「時に幸村、お前もそろそろ嫁取りを考えるべきではないだろうか」
そう切り出した兼続の言葉に、幸村は動揺一つせず、
「父にもそう言われてはいるのですが、あまり実感が湧かず…。まだまだ先送りにしてもらっているんです」
と、すんなりと切り抜けた。それからも、他愛ない言葉の合間合間に仕掛けてはみるものの、幸村はわざとやっているのでは?と勘繰りたくなるほど見事にすり抜けていく。さしもの兼続も、真正面に「好いた者でもいるのではないか!」と訊ねることは避けているようだった。そうして、ただの談笑が四半刻ほど続いたろうか。兼続・三成の顔を交互に眺めるように視線を傾けていた幸村だったが、突然に開け放している廊下側の空いた空間に視線を向けた。つられるようにして、二人もそちらへと顔をやれば、声をかけぬうちから三人の視線に出迎えられた清正と目が合った。流石に清正も驚いたようで、それを隠すように少々不機嫌そうに、
「なんだ」
と、第一声を発した。触発されるように、三成も低い不機嫌を体現したような声で、
「お前こそ何用だ」
と、まさに売り言葉に買い言葉、そう台詞を紡いだ。喧嘩をしに来たのではない、と思いなおしたのか、清正はさっと視線をそらした。どうも真正面から向き合っていると、喧嘩腰になってしまうようだ。
「今度の一揆鎮圧の編成軍についてだ」
「それならば、お前に一任していただろう。予算はあれ以上出せんぞ」
「そうじゃない。幸村を借りようと思ってな。お前の許可が必要だろう?」
違うか?と訊ねるように挑発的な視線を投げかければ、三成も当然だ、と負けじと睨み返す。が、すぐにその険を脱ぎ捨てて、幸村へと視線を移す。当事者がここにいて、丁度良い。
「そういうことだ。幸村、ちょっと手を貸してやってくれ。一人では一揆の鎮圧もできぬらしい」
「万全を期して何が悪い」
「幸村を貸して欲しいなどと、万全を期するにも程がある」
「お前のすかした面を眺めてるよりは、鎮圧に加わったほうが気が晴れるだろう」
ぷい、と分かりやすく臍を曲げた三成を、幸村はまぁまぁと宥める。僅かに清正の眉がぴくりと反応したが、気付いたのは三人をじっと眺めていた兼続だけだった。
「そういうわけだ、幸村。詳細は追って知らせる」
「あ、はい、承知しました」
言って、清正の背が見えなくなるまで笑顔で見送っていた幸村だったが、顔を両手で包み小さくため息をこぼした。それは決して、彼が登場したことで気を張り詰めていただとか、いなくなってくれてよかった、だとかに分類されるものではなかった。後ろで、相変わらずお前たちは大人気ないな、言うな俺たちにはあれぐらいが丁度良いのだ、と肘でつつき合っていた二人にも、幸村の吐息は届いていた。
お前まさか、うそだろう、と今にも頭を抱えそうな三成に、更に幸村は追い討ちをかけた。
「これで、満足のいく答えが得られましたでしょう?では、わたしは失礼しますね」
兼続の追撃も何のその、無傷で撤退をしてのけた、幸村の見事な退き戦であった。
***
さて、ほぼ同時刻。清正は約束していた正則の元へと急いでいた。肌に触れる空気は冷たい。既に冬に差し掛かっていた。鼻や頬が赤いのは、きっとそのせいだ。
「清正、何だ、んな急がなくたってよかったのに」
そう言えば、いつもなら、うるさい馬鹿、と容赦のない一言が飛び出すのだが、今日はそんな台詞を浴びせられることはなかった。何だ、三成に会いに行ったってのに、随分機嫌がいいじゃねぇか、と正則は思い、覗き込むようにして清正との距離をつめ、何かいいことでもあったか?と訊ねる。返ってきた言葉は、正則にとっては全く予想していなかった言葉だったけれど。
「今度の鎮圧軍、幸村参陣の許可が出た」
「律儀だなぁ。勝手に本人に話しつけりゃいいのに」
機嫌の良い理由を訊ねて、何故その返しなのかが分からなかった正則だが、そこには触れなかった。幸村の戦の才を認めている清正だ、単純に戦陣に加わってくれるのが嬉しかったのだろう、と強引に解釈をしておいた。そのせいで、正則は今回お留守番組なのだが。力攻めの相手ではない以上、正則の破壊力の高さは逆効果なのだと何度も説かれて、ようやく納得したところだったからだ。
「ついでに、幸村にも伝えてきた」
「居たのか?」
「居た」
それが、上機嫌の理由?と訊ねたかったが、丁度通りかかった宗茂に、正則の台詞は取られてしまった。
「お可愛らしいことだな、清正」
「言ってろ。俺はお前ほど器用じゃないんだ」
可愛げのない幸村です。みんなしゃべり方が分からないよ!難しいよ!
10/01/04