ようやく開かれた軍議によって、大まかな兵の配置や各々の役割が決定した。これで清正の負担も少しは減るだろう。今まで清正が担当していた兵糧や弾薬の買い付けは、大野治長が引き継ぐことになった。と言っても、膨大な仕事の合間に片手間に手を出していただけの清正だ、その作業は遅々として進んでおらず、最低限必要な量とそれにかかるであろう費用の算出が中途半端に書面に記されているだけであった。こういった作業も決して出来ぬ清正ではないのだが、性分がら兵の調練の方が向いている。今回の軍議でそちらに回ることになった清正は、少しだけ肩の荷が下りた気分だ。どうも我の強い豊臣軍だが、個々の能力を見れば有能揃いだ。これを活用しない手はないだろう。

 急ぎ決定しなければならない事柄は、既に話し合いが済んでいる。どうせ野戦か籠城戦でもめるだろうことを見通している清正は、あえて戦略について議題に上らせることをしなかった。その辺りの手回しは済んでいて、今回の集まりではその話に触れてくれるな、と主要な武将達には打診済みだ。彼らはよくこの大坂城を取り巻いている空気を理解していたし、また清正の板挟みの状況にも同情的だった。
 では、そろそろお開きに、という空気が流れた中、そう言えば、と話を切り出したのは大野治長だった。この男、決して無能なわけでも鈍いわけでもないのだが、どうも淀の方の側に居すぎたようだ。彼の物事の良し悪しの基準が、淀の方にとっての如何かということに特化し過ぎてしまっている。そんな歪んだ基準では、物事を見る目も濁るというものだろう。そうでなくとも、彼は少々出しゃばりな気があって、今回の軍議の進行役も彼自ら買って出た程だ。清正に言わせれば、大野治長という男は、片桐且元を追い落として今の地位を確立しただけで、戦のいの字も知らぬ面倒くさい男でしかない。まだ、来る合戦に向けて鍛錬に余念のない彼の弟・治房の方が余程好感が持てる。昔から清正は、文官に分類されるような男は苦手なのだ。
 清正だけでなく、居揃った面々が何を言い出すのだろう、と胡乱げな視線を向けた。だが、清正が皆を見回した時、幸村と宗茂だけは常と変わらぬ表情を浮かべていて、その内心は読み取れなかった。宗茂の顔の皮の分厚さを知っている清正は、ただ繕っているだけなのだと察することが出来たが、幸村の表情は分からなかった。横顔に浮かぶ表情はいやに真剣で、唯一と言ってしまっても過言ではないだろう、治長の声に真剣に耳を傾けている貴重な一人だった。
「後藤と真田が揉めたらしいが、まことか?」
 あー、と気の抜けた声を発したのは、話題にのぼった後藤又兵衛だ。正直、清正も同じ心境だった。皆の士気に関わる公式な場で、味方の不和の疑いを公にする無神経さが理解できない。大坂城を牛耳る一人として兵の仲が気になるのは、清正も共感できるのだが、その後の対処がうまくはない。個人個人に聞くことであって、出席している大半が無関係な話を声高に叫ぶものではないだろう。又兵衛もこれ以上話を大きくしたくはないのは同様である。面倒くさそうに、
「その件はもう解決しています」
 と、告げたものの、治長は納得しなかった。大まかな話は知っているようだ。それも、決して良い意味ではなく。大方、幸村が強引に又兵衛の陣所を奪い取ったと思っているのだろう。間違いではないのだが、又兵衛が納得してしまっている以上、もう口を挟む必要もない。又兵衛の言う通り、既に解決しているのだ。
「しかし、後藤としては本意ではあるまい?」
 面倒な、と顔を顰めたのがまずかったようだ。治長は何を勘違いしたのか、その表情を己の意見に同意したと見たらしい。大仰に頷いて、これ真田の、そなたの意見はどうだ?と幸村に視線を映した。話題になっている一人であるはずなのに、幸村はどこか他人事のように素知らぬ顔で傍観者に徹していた。幸村は言葉を探しているのか、皆をぐるりと見回したが、すぐに口を開いた。戦場では大音声を発する人物ではあるものの、こういった場では至極控えめな男で、声も穏やかで柔らかい。
「太閤殿下がご健在の頃でございました、証文などは何もありませんが、あの場所に出丸を建てることは秀吉さまからお許しを頂いておりました」
 報告するのが遅れてしまい、申し訳ありません、と場違いな程丁寧に手をついた。証文がないのであれば、当然、幸村の言を証明するものはなにもない。これが彼の方便であると見抜くのは難しいことではない。ただ、あの誠実そうな好青年が、皆の前で堂々と嘘をつくだろうか、という意外性はあったが。案外に彼の言うことは本当なのかもしれない。今となっては、嘘か真かなど分からないし、それは無意味なことである。既に彼らが揉めた場所には、幸村が直々に指揮をして建てた出丸が堂々と佇んでいるからだ。
 それでも納得しないのが大野治長の面倒なところだ。この手の男は、証明だとか証拠だとか、そういったものを好む性質であることを知っている清正は、そろそろ自分が口を挟んで収拾をつけるべきだろうか、と逡巡した。幸村は既に口を固く結んで一言も喋らぬような空気であるし、このやり取りに好き好んで首を突っ込んでくれるようなお人好しはいなかった。期待をして、ちらりと宗茂の様子を伺ってみたものの、彼は実に楽しげな笑みを清正に向けただけだった。確実に、彼はこの空気を楽しんでいた。性の悪い男なのだ。
「真田、それで証拠などは何もないのか?確かに秀吉さまのご遺言となれば、我らはそれを守る義務がある。がしかし、そのように曖昧では、」
 仮に幸村の言が真実でも、彼は一言も遺言とは言っていない。どうも脳内の情報処理が自分の好きなように改変されるようだ。大方、秀吉が好奇心で幸村に謎かけをして、それに答えた幸村と口約束を交わした、という程度だろう。この場を早く解散させたい、と思った清正がようやく口を開いた。が、それよりも先に、軍議の場に似つかわしくない甲高い女の声が、治長の名を呼んだ。大坂城の女主・淀の方であった。戦も始まっていない軍議に秀頼君が顔を出す必要はありません、と、秀頼の代わりに上座を陣取り、居並ぶ面々の顔を注意深く観察していた女丈夫が、ここでようやく口を出した。
「亡き太閤殿下との約束では仕方がなかろう。そうであろう、治長?」
 治長はその一言に頭を深々と垂れ、まことにお方様の仰るとおり、と手の平を返した。淀の方は治長の様子に満足そうに頷いていたが、不機嫌そうに顔を顰めている清正と、己に全く感謝しようとしない動じていない幸村の表情に、すぐにその秀麗な顔を不満げに歪めた。器用に片方の眉だけを吊り上げたまま立ち上がり、皆大儀、解散!と声高に宣言し、裾の音を響かせて去って行った。続いて治長もすごすごと淀の方の後に続く。場はようやく張り詰めていた空気を散らした。四方から溜め息が聞こえて、清正も思わず苦笑した。丁度目の合った宗茂が、大袈裟に肩を竦めてみせた。確かに、これでは前途多難だ。
 とりあえず、幸村には小言の一つでも言わねばなるまい、と、先程まで彼が居た場所に目を向けたが、既にそこには誰もいなかった。慌てて部屋を見回せば、丁度襖の敷居をまたぐところだった。折角集まったのだから、他の者と談笑の一つでもかわせばいいものを、彼は帰ることしか頭にないようだった。慌てて清正は、
「幸村!」
 と、己の大音量を活かして、彼の名を呼んだ。幸村はすぐに振り返って、何か御用で?とでも言いたげに首を傾げていた。全く以って、無害そうな男を体現したような表情である。薄っすらと浮かんでいる笑みは好意的だったが、清正は彼のこの笑みが崩れたところを見たことがない。彼の癖なのかもしれない。清正には考えられない癖だ。幸村が立ち止まったのを幸いに、清正は彼との距離を詰めて部屋の入り口の柱にもたれかかった。彼はこういう時ですら姿勢正しく、ぴんと伸びた背筋で清正からの言葉を待っている。
「幸村、ああいう言い方は、」
 どう言ったものか、咄嗟に言葉が出てこない。それでも敏い幸村は清正が言わんとしていることに気付いたようだ。表情を崩すことなく、
「なにか間違えましたか?」
 と、訊ね返す。そういうことじゃなくてだな、と清正は片手を髪に突っ込む。
「他の反感を買うだろ。もっと賢い方法を知ってるくせに、何だってああいう面倒になるような言い回しをしたんだ」
 どうにも、尋問のようになってしまうのが清正の悪い癖だ。しかし幸村は少しも怯まずに、表情を保ったままだった。黒々とした澄んだ眸が、真っ直ぐに清正に注がれている。又兵衛が飲まれたあの眸だ。公式の場で堂々と嘘をついたかもしれない男の眸は透けてしまいそうなほどに透明で、清正から勢いをそいでしまった。清正の方も調子が狂ってしまう。何を言ってもこの男はこの調子なのかもしれない。そういう相手は宗茂で慣れているが、あの人を食ったような表情を浮かべる宗茂とは違い、何だかこちらが悪いことをしているような気分になってしまう。あちらとは別の意味で、幸村も性質が悪い。
 軍議が終わったことをどこから聞きつけたのだろうか、廊下から幸村を呼ぶ女の声が聞こえた。相手はおそらく、彼の忍びと甲斐姫だろう。くのいちも相当のものだが、甲斐の声もよく響く。幸村は苦笑しながら、今行く、と廊下に返事をして、すぐに清正に向き直った。
「わたしは事実を述べたまでです」
「幸村!」
 反射的に声を荒げてしまったのは、清正の想像していた幸村ならば言わないだろう台詞を告げられたからだ。どうにも、誤魔化すのが下手だ。ただ、そう演じているように思えて仕方がない。彼はもっと、万事において賢かったし、立ち回りも上手かったはずだ。
 清正が思っていた以上に、今の怒鳴り声は大きく響いてしまったらしい。残っていた面々の視線が、一様に清正たちに注がれている。揃って好奇心旺盛そうな目で、あの温厚実直な真田が、どうやって清正を怒らせたのだろうと不思議がっているようだった。流石に居心地の悪くなった清正は、小さく舌打ちをして、「…もういい、行け」とあごでしゃくった。先程から、幸村を呼ぶ声がうるさくなってきているのも原因だ。幸村は清正の突然声を荒げたのにも顔色一つ変えなかった。
「はい、それでは失礼します」
 と、頭を垂れ再び身体を起こす時には、薄っすらと笑みすら浮かんでいた。手ごわい奴、と清正が内心で呟いた声にも、もしかしたら彼は気付いているのかもしれない。たいそうな役者ぶりだ。

 幸村さま遅いー、すまない話し込んでいて、え、大丈夫だったんですか!と三人の話し声が廊下から響いている。清正がこぼした大きなため息に、「幸せが逃げるぞ」とぽんと肩に手を置いてきたのは、事の成り行きをきっと楽しげに眺めていただろう宗茂だった。
「見事に注目の的だったな」
「あいつの発言がどうも気に入らん。もっと上手く出来るだろう、幸村なら」
 馴れ馴れしくもたれかかってくる宗茂の手を鬱陶しそうに振り払った清正は、不機嫌そうな声でそう吐いた。結局、清正が思うのはそこなのだ。何故亀裂を入れるような真似をするのか。清正の知る幸村ならば、もっとうまい方便が使えただろうし、本当だとしても上手に繕うことが出来ただろう。過剰評価だとは思っていない。決して彼との付き合いが深いわけではないが、秀吉存命時には何かと協力し合っている。何より、あの秀吉が好んだ青年だ。優秀な若い人材を事の他好んだ秀吉に目をかけられた幸村が、無能であるはずがない。
 清正の不機嫌の理由を察した宗茂は、例の胡散臭い笑顔を浮かべたままだ。確かに、彼にとっては清正も幸村も、遊び甲斐のあるおもちゃだろう。
「ガキだな、清正。自分の思い通りにならずに拗ねているのか」
「うるさい」
「まあ、お前も上手い方法ではなかったがな。これで加藤清正と真田幸村の不和が噂になるぞ。それとも、徳川が吹聴して回るかな」
「うるさい、黙れ馬鹿」
「余裕がないな」
「あってたまるか」
 うんざりとした様子で冷たく言い放った清正の言葉にも宗茂は堪えた様子は欠片もなく、むしろぽつりとこぼれた本音のようなものに、おや?と顔を輝かせていた。彼の顔には、楽しげな何かよからぬことを企んでいそうな笑みが浮かんでいた。





 幸村はくのいちと甲斐に挟まれながら、大坂の長い廊下を歩いていた。別段、急用があったわけではないのだ。
「くのいち、助かった」
「どういたしまして」
 え?何が、と甲斐が二人の顔を交互に眺めるが、幸村は曖昧に微笑むばかりで何も言わなかった。
「ま、幸村さまのお役に立てたってことで、喜んどきなよ」
 そうなんですか?と甲斐は幸村の表情を窺ったが、幸村はやはり笑うばかりで返答はなかった。
「幸村さま、大丈夫ですか?元気ないですよ?」
「大丈夫です。自分の不甲斐なさに少し気落ちしてるだけですから」
「幸村さまって、器用なのか不器用なのかわかんないからにゃー。今回は、不器用な面が出ちゃいましたねー」
 甲斐だけが頭に疑問符を浮かべていたが、主従二人は視線を交わすばかりでそれ以上何も言わなかった。あるいは、しっかりとした言葉に表すことが出来なかったのか。男心は単純だけど、妙な意地のせいで複雑になっちゃって厄介だなぁ、とくのいちは主の横顔を覗き見ながら思ったのだった。











そうです私は大野さんが大好きです(えええ)
BGMをしゅがーままさんの『裸の心臓』にするとすごくはかどることに気付きました。イメージもそんな感じなのかもしれない。
幸村の、甲斐姫に対する口調が分からない。結構丁寧に喋ってた気がするんですけど、何か書いてみて違和感です。

10/04/18