大坂で再会した幸村は、記憶の中の彼と大分印象が変わっているように見受けられた。元々、あまり接点はない。秀吉子飼いの将の代表格扱いを受ける清正と、秀吉から随分と可愛がられていた幸村である。顔を合わせる機会は多かったし、交わした言葉も十や二十などではない。ただ、互いに無意識に距離を置いていた。清正は彼の表面以上のものを見たいとは思わなかったし、幸村は幸村で他人と一線を引いている様であった。石田三成の存在が、二人を親密にさせなかった一因でもあるだろう。良い言葉を選んだとして、気難しい性質であった三成だったが、幸村をよく構っていた。自分の方から働きかける性格ではなかったはずだが、幸村のことはよくよく気にかけていた。冷徹とも呼べる三成の一面を知っているだけに、彼の様子は過剰とも言えるだろう。そうなると、自然清正と幸村は距離を置かざるを得なかった。幸村は三成よりも清正を優先する必要はなかったろうし、清正も三成のわずらわしい不興を買ってまで彼と一緒にいたいとは思わなかった。互いに物事に淡白で、執着は薄かった。そういう意味で幸村と清正は似ていたが、きっかけになるようなことはなく、むしろそういう性質であるせいで距離は縮まらなかった。
関ヶ原の戦の後、清正は幸村の蟄居先を訪問した。歓迎はされなかったが、それが当然だと思っていた清正に動揺はなかった。それから、秀頼君と家康との会見の際の護衛の末席に彼を強引に加えて、案の定決行された襲撃から協力して秀頼を守りきった。(その時に初めて武蔵と出会ったが、ここでは割愛する。)
清正は、彼との意思の方向性は決して一致していないと感じ取っていたが、構わずにずるずると彼を大坂城まで引っぱって来ることに成功した。彼の目的は清正のようにはっきりとしたものではない。彼が今大坂で豊臣の為と称して兵を預かる立場にあるのは、ただ単に蟄居先で朽ちるのは嫌だ嫌だと駄々を捏ねた結果だと清正は思っている。多分、彼の表面上を形作っているものだけを見るのであれば、それはおおむね正しいだろう。
軍議は毎日のように開かれている。内容は薄い。同じような問い掛け同じような問答、いつも同じ場所で結論に詰まっている。清正はその席を苦々しく思いながら、淀の方や大野兄弟にばれぬように、密かに根回しをして、いざという戦に備えている。彼らにその事実が露見してしまえば、すわ謀反だ寝返りだと騒ぎ立てられるのは間違いないだろうが、清正は隠蔽にあまり頓着していない。清正が仕えているのは淀の方ではなく、秀吉の遺児・秀頼であり、己以外に豊臣家を守ることができる人物はいないとの自負のせいだ。
その軍議に、幸村はほとんど出席していない。真田の姿が見えぬ、左衛門佐はどうした、と毎回同じ文句が彼らの口から喚き立てられるが、この問答が一番清正を辟易させる。記憶の中の彼は、少なくとも三成の隣りで笑っていた彼は、そんな不真面目な男でも、だらしのない男でもなかった。規律を守り、自分をいましめて場の空気を壊さぬように気を配る、そういう男であった。確かに、そうであったと清正は思う。思うのだが、実際問題、軍議の場に幸村の姿はない。代理の者もいない、これこれこういう理由で欠席します、との断りもない。いつしか幸村不在が当然のことのようになっていた。軍議の終わりに、明日は真田も参るようにと伝えよ、との伝言を預かって、その場はお開きになる。けれども、清正がどんなに言い聞かせても、彼は煙に巻くようにするりと逃げ出してしまう。ならば、引き摺ってでも、と思うところなのだが、清正自身、何故か幸村に強く当たることができなかった。あの穏やかすぎる表情と、真っ直ぐすぎる澄んだ目にじっと見つめられると、どうも居心地が悪いのだ。
軍議も終わり、清正はいつものように幸村の姿を探す。彼を見つけること自体は、そう難しいことではない。軍議の最中も関係なく兵の調練を行っているような、ある意味熱心な男である。軍団長にでも尋ねれば幸村の居場所は簡単に知ることが出来る。今日はどうやら武蔵と打ち合いをしているようだった。彼らの手合いは命のせめぎ合いそのものに見えて、何度その場に出くわしても未だに清正は肝を冷やす。流石に刃のついた得物ではないものの、実践さながらに隙あれば相手の急所を捉えようとしていて、とても平静に見ていられないのだ。そういった二人であったから、兵達の模範には相応しくない。彼らの技は妙技過ぎて真似ることすら困難なのだ。一対一ならまだしも、号令のままに突く薙ぐ進む後退する、それらを正しく揃えて実行する技術こそが軍隊に求められることなのだ。
清正が兵達に尋ね回って目的の場所へと辿り着いた時、既に幸村は姿を消していて、出丸の建造の際に余った角材の山に腰掛けてぼんやりしている武蔵だけがその場に居た。武蔵は清正が現れるだろうことを見越していたようで、片手を上げて挨拶代わりに、ごくろーさん、と苦笑した。
「幸村は?」
「んー、用があるとかないとかで、いまいま、真田丸の方に戻ってったけど。相変わらず、すげぇ勘がいいのな、あいつ」
「褒めるな、性質が悪い。分かってやってんなら、余計にな」
性質が悪いのは、俺も賛成。そう言って傍らにあった包みの中から団子を取り出して、むしゃりとがぶり付く。団子をくわえたまま、食うだろ?と包みを渡されたので、清正も遠慮なくその中から一本頂戴した。どうやら最後の一本だったようだ。
「幸村がさ、置いてったんだけど。きっとあんたが疲れた顔してるだろうから、来たら渡してくれだって。一応、心配はされてんだし、よかったんじゃね?」
「心配の仕方を激しく間違えてるんだよ、あの馬鹿」
八つ当たりと言わんばかりに勢いよく串にかぶりついて、清正は憮然とした表情を作った。まったくもって、幸村の意図が分からない。分からないが、分からないまま放置しておくことも出来ない問題だ。幸村は自侭が許される立場の人間ではないのだ。
「次はちゃんと引き止めてくれ。お前の口からも、明日の軍議には必ず出席するよう、よくよく言ってくれ」
「言うのは簡単だけどよぅ、俺が言っても清正が言っても、そう意味はないと思うけど?」
楽しげに清正の不機嫌面を眺める武蔵の態度は、どこまでも他人事である。お前の力だって、俺のそろばんでは、城を守るに必要な人員として計算されてんだよ、と言って小突いてやりたかったが、そんなことを言ったところで何処吹く風、隠すこともせずに嫌そうな顔を浮かべるに決まっているだけに、清正はその言葉を飲み込んだ。幸村といい武蔵といい、実力は確かなのに、扱いに困る奴らばかりだ。
「幸村が兵の調練に熱心なのは知っている。戦では兵の質も重要になってくるからな。それにしたって、秀頼様を蔑ろにし過ぎている。こうも不興を買っては、いざ戦になった時、齟齬が生じるだろうに」
「幸村はただ戦がやりたいだけであって、勝敗なんざどうでもいいんじゃねぇの?」
さも当然のことのように、武蔵はさらりとそう言ったが、清正はその言葉を理解するのに少々時を要した。幸村が、何だって?勝ち負けがどうでもいいとは、それこそどういうことだ。清正はつい呆然とした表情をさらしたが、武蔵はその顔を見ても、わっ珍しい面!とはしゃぐばかりだった。
「そんな、馬鹿な話があるか、」
ようやく絞り出した台詞だったが、武蔵は不服そうに唇を尖らせて、幸村は大馬鹿だから馬鹿な話もありだろ、と淡々と言う。そう言われてみれば、彼の行動の理由も説明がつくものがちらほらとあるのではないだろうか。幸村が大坂城に入城したのは、清正のような豊臣の為などというはっきりとした理由あってのことではない。もののふとはこういう生き物だ、武士の鑑とはこうあるべきだ。彼は、ただもののふの戦を世に示したいだけで、最善の策を最善の状態で実行したいだけなのではないだろうか。だからこそ、調練に余念がない。己の思う陣形を合図一つで作り上げる為だ。兵一人一人の鍛錬にも事細かに指導しているのは、陣形ばかりでなく集団として破られにくい隊である必要があるからだ。そして、それらを統制し、時に先頭に立ち、時に兵を鼓舞するのは、真田幸村という男とその男の手に馴染んだ得物であり、その男を操るものこそ、もののふの意地である。小戦ながら、何度か共に戦ったことのある清正は、彼の戦が時に無謀に見えることがあったが、そういう背景があったせいかもしれない。捨て身ではないのだが、己と己の隊を過信する幸村の戦いぶりは、清正の目には無謀に映った。
考え込んでしまった清正をよそに、武蔵はやはり軽口の調子で言葉を紡いだ。彼の口元では、何も刺さっていない団子の串がぷらぷらと揺れていた。
「確か、こうも言ってたっけ?幸村が言うには、勝つための方法なら幾つかあるんだと。ただ、それじゃあ自分が貫けないって。あいつ笑ってたぜ」
な、性質が悪いだろ?と武蔵は清正に笑いかけたが、清正はそれどころではない。今までは利害が一致していたから良いものを、これからの戦はどうなる。彼が臨んできた戦は、いつだって勝ち戦でなければならなかった。けれども、今回の戦はどうだ。清正は勝たねばならぬと思うし、正直、戦略次第では勝てる戦だと思っている。皆が自分の役割を果たし、なすべきをなせば勝てるのだ。決して、関ヶ原での三成のような画餅ではない。だが、幸村にとっては?幸村にとって、勝ちはそもそも目的ではないのだ。
「幸村はよぅ、俺みたいな半端もんからして見たら、死ぬことばっか考えてやがるようにしか思えねぇんだ」
「止めろよ。あいつ止められるのは、お前だけだ」
武蔵は笑い声を上げた。自嘲だとか、嘲笑だとか、そういった類ではなかった。傍目には、清正の冗談に笑っているようにしか映らなかっただろう。だからお前たちは異様なんだ、と清正は思うが、言ったところで、あいつが、だろ?と言うに決まっているから、清正は口を挟まなかった。
「冗談言うなよ。幸村は誰にも止められない。もし俺があいつの腕掴んで引きとめようとしたら、あいつは躊躇いなく俺の腕を斬り落とすだろ。それでも俺はしぶといから、何とか幸村に縋り付いて圧し掛かって幸村を引き止めようとするとして、そうしたら今度は両足だろうな。引っ付いてたら、顔に拳の一発でも食らうかもしれない。まったく、容赦ねぇ男だ」
ここでようやく、清正の異様なものを見る目に気付いたようだったが、彼は幸村より随分と誤魔化すことが下手だった。へらりと笑ったのは明らかに気まずさを隠す為だったが、清正はそういった一歩踏み込んだ相手の気持ちまでを指摘する性質ではなかったから、彼の不自然な状態はそのままになってしまった。
「あ、ああ、でも殺されはしないだろうよ。あいつは俺を殺したいんじゃなくって、邪魔なもん追っ払いたいだけだからな」
辛気臭ぇ話はあんま好きじゃないんだ、と武蔵は話を強引に終わらせようと反動をつけて立ち上がり、清正に背を向けた。天下無双の文字がなびいている。幸村は何を思いこの文字を見つめているのだろう、何を願って祈って、彼の隣りでその心を暴露してしまったのだろう。
「武蔵、」
「又兵衛の旦那んとこ行って来るわ。あそこは俺の性に合ってる」
もう一度、武蔵、と名を呼ぶと、もう呼んでくれるなよ、と彼は振り返った。問答無用に自分の世界に閉じこもってしまう幸村とは違って、彼はこういうところが律儀だ。幸村も、話を聞いてくれないわけではないのだけれど、どんな言葉で語っても、異世界のことのように思えてしまうのかもしれない。聞く耳を持たない時があることは確かだった。
「悔しくないのか?」
武蔵は笑っている。笑っているが、どこか寂しげで悲しげで、幸村の表情に似ているな、と清正は思った。例えば、その表情が諦めであったのならば、清正の胸がこんなに苦しくなることはないはずなのだ。
「悔しいに決まってんだろ。俺、あいつのこと好きだし。悔しいし、悲しいし、寂しいし、よく分かんねぇけど、すっげぇ苦しい」
「なら、」
あいつは生きるべきだ、生きたいと自覚させるべきだ。そう台詞が浮かんだが、これこそ清正が忌避していたものではなかったか。これでは三成と同じだ。自分の道理を押し付けている。三成が、それでも幸村の中で清廉のままであるのは、ただただ幸村のことが大切だからこその思いだったからだろう。清正は、そうではない。幸村の生死云々は確かに重要で必要で大切で。けれども、そういうものの上にはいつだって豊臣の為秀頼様の為という大前提がくっ付いている。豊臣を守る為に、彼には生きてもらわなければならない、彼の槍は豊臣を守る大切な力の一部なのだ。結局、清正自身の道を貫きたいが為の我儘でしかない。
「言ったろ?あいつを止めるなんざ無理だ。"真田幸村"を捨てろなんて言える程、俺は強くはねぇし、あいつ自身、捨てちまったら生きられないだろうよ。あんただってそうだろ?」
この城は、強情者で我儘で自分勝手な奴らの集まりに見えて仕方がねぇんだ。そう言って、清正が引き止めないことをこれ幸いと、武蔵はこの場を逃げ出したのだった。
コメントが思い浮かびません。とりあえず、色んな方面にごめんなさい。
10/01/21