泣けないとき その頭抱くひとはいるの 高虎→幸村 豊臣時代


 大坂城内で幸村を見かける時、大概はその横に誰かの存在がある。まるでその者の小姓にでもなったかのように、影に控えている。穏やかな印象を与える笑みを常にたたえており、確かに、彼の笑顔を見て気を悪くする者も居るまい。彼との親しさを自慢するように、引き連れたくなる気分が分からなくはない高虎だが、あまり良い趣味とは言えないことは自覚している。そもそも、真田幸村という男の手強さを知っている身としては、どうしても彼の笑顔の下を勘繰ってしまう。澄ました顔で、一体何を考えているのやら、と。


 先日、豊臣秀長が死去した。覚悟はしていたが衝撃がなかったわけではなかったし、ああとうとう、という想いも確かにあった。要は、自分の感情ながら、よく分かっていないのだ。未だにその事実をどう心に納めたらしっくりくるのかが分からず、ぽかりと穴が空いたままだ。
 豊臣秀吉は弟の死に、おいおいと涙を流していた。つられるように葬儀の席は次第に泣き声が広がり、大して関わりのなかった者まで泣き出す始末だった。高虎はその席にありながら、泣き声がわんわんと響き渡る部屋の中で、ぼんやりとしているだけだった。哀しくなかったわけなど、ない。ただ泣けなかった。自分はいつから、こんなにも鈍感になってしまったのだろう。
 幸村はその席で、隣りに座る泣きじゃくる小姓たちの背を撫でていた。流石に葬儀ということもあり彼の顔には笑みは貼り付けられていなかったが、周りの者たちより随分と落ち着いた様子だった。神妙な表情を作ることだって出来るくせにそれをせず、無表情に近い感情の起伏を感じさせない横顔をしていた。ふと高虎の脳裏に、彼は武田信玄の葬儀の時もこんな表情であったのだろうか、と疑問が過ぎった。泣いただろうか、取り乱しただろうか。弟の棺に縋り付いて、子どものような泣き声を上げる秀吉と同じように、彼も涙を流しただろうか。

 高虎の思う幸村は、あまり感情が多い方ではなかった。それを言うと、周りから大反論にあうのだが、高虎からしてみれば、あんた等は幸村が泣き叫ぶところも、怒り狂うところも見たことがないくせに、と内心でその反論に唾を吐いている。実のところ、見たいような、見たくないような、というのが高虎の本心だ。今更彼の新たな一面を見たところで、新たに関係を築くのは億劫だったし、まず第一に彼の心をほどかなければならない。その労力は想像するだに膨大なものだ。ああそれでも、本当に彼にそういった相手がおらず、たった一人でこれからも立ち続けるつもりならば、その役目は自分であってもいいな、と思う程度に、高虎は幸村のことが気に入っている。


 大坂城内で幸村を見かける時、大概はその横に誰かの存在がある。最近では、その相手がもっぱら石田三成だった。常に険しい表情を浮かべている三成と、場の険をそいでしまう幸村とでは釣り合いが取れている、とは誰の言だったか。三成が他人に与える印象を考えて幸村を侍らせているのだとしたら小ざかしい限りだが、あの男にそういった小細工が出来ないことなど知っている。三成に幸村は荷が勝ちすぎていることは分かっていたが、一時であっても幸村の安らげる場所になればいいと、三成に向ける笑みの中に高虎の知らない柔らかさを見出して思うのだった。











12/12/09