『いろのない日記帳』 政宗→幸村


※このシリーズの幸村さんは基本ぼんやりとしていて、輪郭が曖昧なイメージで書いてます。





 言葉を声に出して紡ぐより、言葉を文に綴る方が得意だった。政宗は己の性質を理解していたので、文の中での方が饒舌だった。
 政宗は、孫市の言葉を借りるのであれば、今日も飽きずに文をしたためている。三日に一度の頻度で使いっ走りをさせられる孫市も今ではすっかり慣れてしまって、よくもまあそこまで書くことがあることやら、と呆れを通り越して感心している。隣接する真田屋敷へと文を届けるのがいつの間にやら仕事になってしまった孫市は、寝転がった姿勢で頬杖をついて、政宗が文を書き終えるのを待っている。

「今日はなんとしても、返書もらってきてやろうか?」

 政宗は、文の末尾に己の名を筆に滑らせながら、不要じゃ、と孫市の提案を短く斬り捨てた。政宗はこの手紙の相手から、一度として返書をもらったことがない。最初はそれをからかっていた孫市だが、政宗が取り合わぬものだから、そのこと自体に触れることをしなくなった。それでも時々、こうして気まぐれに気に掛ける。返書をしたためる時間を待たず帰ってしまう己のせいだ、と思っているところが多少にあるらしい。政宗は、孫市がどれほど待っていようが、それこそ彼の御仁の屋敷に泊まろうが、返事は永遠に手元に届かないことを半ば理解していた。彼は一度として、己の文を読んでいないに違いない。確認したことはなかったが、会って二言三言話せば、それは容易と知れた。ちぐはぐな会話に首をかしげたのは初めだけで、よくよく考えれば政宗が話したと思っていた事は全て手紙を経由してのものだった。政宗は自然、手紙の内容を無視するようになったが、それでも文は送り続けた。いつかは読んでもらいたい、といった女々しい理由ではなかったが、自分でも何故なのかは分からなかった。意地だと言われればそれまでだが、どうにも言葉が相応しくないような気がしてならなかった。


 言葉に『好きだ』と綴るのは至極簡単だ。そこに気を利かせた短歌を添えて、おれはお前をこんなにも好いている愛している、お前なしでは生きていけない。そういった情感をたっぷりと注ぐのは政宗の得意とするものの一つだ。
 けれども政宗は、そういった技法をとらなかった。元気でいるか、風邪などひいておらぬか。最近では庭の木々も色付いていっそう季節を感じさせるものよ。我が屋敷では孫市が何をやらかした、妙な女が乗り込んできた、と他愛のない話を載せて、最後にぽつりと会いたいと零す。会いたい、会ってお前の顔を朝といわず昼といわず眺めていたい。おれの為だけに手元に置いておきたい。夕餉でも共に摂らぬか、酒でも呑まぬか。おれとしては不服だが、孫市も同席させるぞ。まことにまことに遺憾ながら、兼続に声をかけても良いぞ、と。
 政宗は最後の恨み言を読み返しながら自嘲する。我ながら必死なことよ、と。あんな信州の片田舎の次男坊に、奥州王が振り回されておるわ、と。ああ、嗚呼、けれど、あの男はいっとう美しい。おれはあれ以上美しいものを知らぬ。己の仕事を忘れ、ただただ見入っていたいと思う。朝も忘れ昼も忘れ、夜すら眠ることを忘れて、あの男とただ世界に二人きりでいられたら、どれほど幸福だろうか、と。

 ゆえに、政宗の筆は止まることを知らないのかもしれない。欲しい欲しい、あの男が喉から手が出る程に欲しくてたまらない。あの男が手に入るのであれば、地位も名誉も要らぬ。奥州王などという肩書きも犬に食わせてやってもよい。いいや、それでは残される民が不憫か。ならば兼続にやろう。あれならば上手く治めるであろう。
 そう一通り考えてから、ああそれではいかぬ、いかぬ、と首を振る。あの男を手に入れてはならぬ。あれは傾国のそれに似ておろう。治世の出来ぬおれに、おれとしての価値はない。ならば、ならば、手に入れてはならぬ。指をくわえて、横目で眺めているのが最上であろう。そうでなければならぬ、ならぬ。

 ああ、嗚呼、だがしかし。
 葛藤する。
 文を綴る。
 名を書き終える。
 しばしの静寂。
 孫市が後ろで大きく欠伸をする。
 冒頭――『幸村どの へ』――名前だけで愛しさが募る。つぅとなぞれば、乾いた墨と張り付いた紙の感触がした。あの男の肌はもっとすべらかで、若武者らしい張りを備えていて、けれども指は肉刺が潰れてしまった痕がいくつも残っているせいで固い。いつもは一切の隙なく整えられている着衣の下は、合戦で負った傷が多く刻まれており、特に脇腹の刀傷と、左肩の銃創、両の太腿の矢傷は深く、触れれば引き攣れた肌の感触が生々しい。おれの指は足は肌はこの口唇は、あれらに触れたのだ。
 触れたという事実が、舞い上がる程に嬉しく、またおそろしかった。
 触れることが出来た、という事実が、今はただただこの上なくはしたなく思え、おれ以上の罪人はいないようにすら思えた。
 かッ、と体温が上がる。それが羞恥なのか、興奮なのか分からなかった。前者であれ、とは思うが、あの男の身体を思い出して劣情を抱いているのやも知れぬ。まったく、おれの浅ましきことだ。奥州の王として、他の大名から罵られることは多けれど、それでも己の中では一本の筋を通してきたことではあった。だからこそ、言いたい者には勝手に言わせておけ、負け犬の遠吠えよ、と澄ましていられたのだけれど、こればかりはいかぬ。権力に媚を尻尾を振る山犬が、恥を恥とも知らぬ痴れ者め。ああ、嗚呼、それはおれのことだ、


 政宗、と孫市から声がかかる。いつの間にやら起き上がっていて、背後から政宗の手元を覗き込むような体勢だった。彼の人の名前にしばらく手を置いてしまっていたようで、政宗の人差し指は、己の汗で染み出た墨で薄っすらと汚れていた。丁度『へ』の字が滲んでしまっていた。まるで涙をこぼしたような、いいや、これは嗚咽か。おれには、そちらの方が似合っておろう。
 汚れていない方の手で、もう一度彼の人の名前をなぞる。孫市は、儀式めいた、祈りめいたその仕草を、見て見ぬ振りしている。政宗は、彼の明け透けな気遣いに感謝して、文に封をした。懐紙で指先を拭いながら、孫市に文を手渡す。孫市も心得たもので、恭しくそれを受け取った。

「用が済んだら、さっさと戻って来い。おぬしが長居をしても迷惑なだけであろう。よいな、長居は無用じゃ」

 孫市は神妙な顔で頷いて、へいへい仰せのままに、と薄情な笑顔で一礼し、政宗の部屋を後にしたのだった。











設定はscrapの『顔のない男』シリーズです。
このタイトルの曲が、まんまこのシリーズの伊達さんなので、どうしても書かずにはいられなかったというか。
3の伊達さんはどこか不幸体質というか。うーん、そういう扱いにしてしまう。
歌詞もホントどんぴしゃで、是非とも、http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=19231 をご覧ください。歌詞サイトに飛べます。
優しい素振りしてるけど、結局優しくないよねー、気遣いの仕方間違えてるよねー、な幸村様です。
あ、このシリーズは基本、あんまり幸村さん喋りません。出てきません。悶々としてる伊達さんがメインなので。

13/01/06