誰ひとりこの恋を知らない 政宗→幸村 ※幸村死後


 真田幸村は先の大坂攻めで幕府軍を大いに苦しめた一人だ。既にその首は挙がっており、丁重に埋葬されている。その幸村が若い頃から懇意にしていた兼続の元へ彼の遺品が届けられたのは、当然と言えば当然かもしれないが、その経緯はあまり明るみに出せぬものだった。生き残った真田忍びの一人が兼続の寝所に忍び込み、そっとその品物だけを届けて消えたからだ。幕府にばれれば余計な詮索を免れぬ。兼続は来訪者があったことを主にも告げず、ただ一人、十数年前は確かに奥州の覇者であった男にだけひっそりとこぼした。遺品の中に紛れ込んでいた手紙は、己ではなく彼へと向けられたものであったからだ。おそらくは真田忍びも、それを意図して兼続に渡したのではないだろうか。


 届けられた遺品とは、文箱だった。漆塗りを施された文箱は艶やかで傷もなく、鏡のように磨き抜かれていたが、模様などは一切ない、飾り気のないものだった。幸村らしい、とつい昔を懐かしんで、鼻の奥がツンと痛んだ。本当に真田幸村という男は、一点の曇りもなく、生涯をかけて完璧に『真田幸村』というもののふを貫き通した。それを美しいと言う者もおれば、恐ろしいとおののく者も居る。無意味だ馬鹿らしい、全く無駄な意地だ、と詰る者も決して少なくはないが、だがそれゆえに、死して尚、皆から称賛されるのだろう、と感心されている。兼続も、幸村の一生こそいっとう美しいと思う。同時に恐ろしい男であったとも思うし、だからこそ、馬鹿な子だとも思う。だが最後はいつも決まって、ああ私の大事な者が死んでしまったのだなあ、と涙ぐむ。誰だって、大切な者を亡くしたら哀しいものだ。あっぱれ、あの男らしい生涯だった、と誇らしく思えるのは、二の次だ。生きていてくれさえすれば、と思うのは、生きている者の傲慢な願いでしかないことを、兼続は重々に理解していた。

 文箱の中身は、無数の手紙だった。表に宛名はなかったが、一度は封を開けられている様子だった。だが、それとは分からぬように、まるで貰ったままを保つように、丁寧に折り畳まれ、跡に沿って仕舞われていた。試しに一番上の文を取れば、まだ幸村が九度山で細々と流人の生活を送っていた頃の日付であった。何故だか宛名である幸村の名が滲んでいたが、同様に末尾に綴られている差出人の名も文字がぼやけていた。まるでそこだけ、強く擦ってしまったかのような、涙を零してしまったかのような状態だった。
 一つ、二つと読んでいく内に、ああこれは政宗が幸村に宛てた恋文か、と容易に知れた。その文の稚拙なこと。文の定型を美しく綴ることの出来る政宗とは思えぬ、なんとも等身大な、切実な、それでいて心を打つ文だった。これ以上二人の間に立ち入るは無粋であろう、と、兼続は三通ほど目を通したところで読むのをやめた。
 幸村は何を想って、この文をこの箱に仕舞い込んでいたのだろうか。幸村を映し出したかのような文箱の中に、彼の想いをたっぷりと仕舞い込んで、幸村は満足していたのだろうか。
 兼続は、あの二人の関係を、実はよく知らない。政宗の想いをからかうには、彼はあまりに思いつめていたようであったし、幸村自身はそのことに触れられること自体を拒んですらいた。最早、当事者しか分からぬことだ。
 文箱の一番下には、政宗が使用する上質な和紙とは違う、混じり物が入った紙があった。なんであろうか、とそれを取り出した兼続だったが、宛先を見て、すぐさま元の位置に戻した。そこには幸村らしい凛と整った文字で、『政宗さま へ』と綴られていたからだ。



***



『この手紙が正しくあなたさまの手元に届くことを望み、或いは、届きませぬようにと祈ります。
 願わくば、火をつけ、灰にして、厳しい奥州の冬の海に撒いてください。』


 幸村の文は、そうして始まっていた。政宗の視界が滲む。彼の願うように火をつけることは出来なかった。一番に目に飛び込んできた一文、彼の望みに縋りつきたかったからだ。


『この文をご覧になっているということは、わたしは既にこの世にいないのでしょう。
 お怒りになるかもしれませんが、それでよいのです。でなければ、わたしはこの文をあなたさまへしたためることも出来ぬ臆病者なのです。

 九度山を出る際、初めてあなたさまからの文を読みました。
 無礼だと思われるかもしれません。わたしもそう思います。
 ですが、わたしは生来の臆病者ですので、その時でなければ、もう生涯、あなたさまの文を読めぬと思い、未練がましく保管しておいた文を一つ一つ拝読いたしました。
 久しぶりに、声を出して笑いました。目尻には涙すらあって、本当に久方ぶりに、大笑いをいたしました。
 そうしてまた一つ、確信いたしました。
 ああ、あの時、あの若い時分に、あなたさまの文に触れなくてよかった、と。

 なにゆえ、とお強いあなたさまなら思われることでしょう。
 わたしは、生まれつき臆病者でした。不器用でした。同時に何かを行う、ということが出来ぬ愚図でございました。成長してもそれは変わらず、随分と己の拙さをうらみました。
 そんなわたしが、唯一人並みに出来ること、ええあえて何かは申し上げません。聡いあなたさまならば、既にご存知でしょう。
 それしか出来ぬのであれば、それ以外はいらぬ、と。いえ、見栄でございましょう。それしか、わたしには出来ぬのですから。

 わたしは、"それ"以外に夢中になってしまうことがあってはならぬ、と思いました。
 不器用な性質です、唯一にして絶対のものすら片手間になってしまうのは、まるで足元が抜けて奈落の底に落ちるような、そんな恐怖がありました。
 わたしは、あなたさまの想いが、ただただ、おそろしく、心苦しく、有り難く、これ以上のない歓喜でもありました。

 紀州での生活は貧乏ではありましたが、これといった事件もなく、わたしの心は平和でした。
 ただ、このまま朽ちていくのだけは、我慢がなりませんでした。わたしの唯一を、奪ってくれるな、と。
 そう呪詛を吐き続けました。

 そして、やがて戦が始まる予兆がやってきました。わたしは、嬉々としてこの山を降ります。戦に赴きます。わたしには、それしか術がございません。
 ふと、あなたさまの文を思い出しました。たった一つの心残りでもありました。どうせ死にゆくのだから、と。

 苦しかった。嬉しかった。哀しかった。歓ばしかった。
 どれもが正しく、また、言葉としては不足していました。
 そして、次にはおののきました。
 この想いは、戦場には連れて行けぬ、と。
 わたしは臆病者です。同時に何かを為すことが出来ぬ性質です。本当は、あなたさまの眸に止まるような男ではないです。
 あなたさまへの想いを自覚してしまったら、わたしはわたしの目指すものではなくなってしまう!
 その予感は既に強く心にありましたが、この時ほど激しく実感したことはありませんでした。
 このままでは、あなたさまが褒めてくださったわたしではなくなってしまう。あなたさまの眸に映ったわたしではなくなってしまう。
 その事実が、わたしはおそろしかった。目の前が真っ暗になりました。
 わたしがわたしとして、あなたさまの眼に映り続けるには、もうこの想いを置いていくしかない、とそう思いました。

 ゆえに、文をしたためます。あなたさまへの想いを、置いて行く為です。わたしに纏わりついている死臭で、腐らせぬ為です。
 あなたを愛おしむ想いが汚れてしまうくらいならば、この身から想いが千切れてしまった方が何倍も良い。

 どうでしたか?わたしは最期まで、あなたさまの想い描く"真田幸村"だったでしょうか?』



 気付けば、じとりと手の平に汗をかいていた。既に夏の盛りは過ぎた。木々の葉は赤に黄色に色付き、既に散ってしまった。込み上がる熱と、背筋を撫でる冷気が、政宗の気分を悪くさせる。ああ、嗚呼、何故あの男は死んでしまったのだったか。討ち取ったのは、首を挙げたのは、誰だ。それを手柄と言ったのは、一体誰だ。おれは、あやつの物言わぬ首を見た、見てしまった。もうこの世でいっとう美しい、あの男はどこにもいないのだ!



『あなたさまは、すべて読んでしまったでしょうか。
 わたしは、それを祈り、拝み、呪い、けれども、それを望みません。
 願わくば、千々に破って、どこへなりとも吹き散らしてくださいますよう。

 さようなら、まさむね さま。
 さようなら、左様なら。』











なんとなーく、このシリーズがこれで完!って感じになりました。
多分、書きたかったことは書いたし、っていうか、盛大なネタバレしたし、で、とりあえず現状満足しました。
13/01/08