戦前の酒宴というのは、場を包む異様な熱気で、季節を忘れさせる程だ。それは、明日あるかも分からない命の不安を、大騒ぎすることで紛らわそうとしているのかもしれない。
用意された部屋は、そう大きな部屋ではない。秀頼の呼びかけて顔見知りになった数十人が集まれば、いっぱいになってしまうこじんまりとした部屋だ。けれども、女官たちの視線を気にするより、こちらの方が多少狭苦しくても気分が楽だった。
既に部屋中に酒の匂いが満ち満ちていた。幸村は一応武蔵に声をかけたものの、酒嫌いの彼はすっぽかすだろう。武蔵ほどではないにしても、酒の苦手な面々は、呼吸から酒精を摂取してはなるのもかと口を押さえて、心なし気分が悪そうにしている。隅で縮こまっている面々がつまらないのか、正則が大声を張り上げている。既に酔いが回っているようで、呂律が怪しくなっている。それを律儀に宥めているのは清正で、確かに彼の力を抑え込むのに清正は適任だった。
幸村は騒ぎには加わらず、隅の方で酒を舐めている。大勢が持ち寄ったおかげで色々な種類の酒が揃っていたが、やはり一番好きなのは焼酎だ。喉を焼くような、強いものならば尚良い。幸村にとって酒宴は酒を飲むのが目的であり、交流の場ではなかった。昔から、隅っこの方でただ黙々と酒を飲んでいることの方が多かった。小姓時代はあれこれと世話をして回っていたが、今はそれをする必要もない。格式ばったものではないのだ。各自が自侭に酒を飲んで酔っ払って、わいわいと騒ぐことが醍醐味なのだ。
幸村の酒好きは生粋のもので、父も兄も幸村同様の大酒のみだった。そういう家系なのだろう。賑やかな場を好む父も、酒の席だけは騒ぎの中心に加わらない。その血をしっかりと受け継いだ幸村もまた、そうだった。幸いに、幸村の隣りには、機嫌を損ねるには少々憚られる、厄介な人がいた為に、今までは見世物になることもなかった。
ぐいと杯を空ける、酒を満たす、また杯を飲み干す。この動きを何度繰り返しただろうか。気付けば密かに確保した焼酎の瓶は空になっていた。仕方がなく杯を置いて、幸村はため息と共に辺りを見回した。先程まで騒ぎの真ん中で声を上げていた正則は、今では随分と大人しくなっていて、大きな寝息を立てているだけだった。大きな子どものようだなあ、と微笑ましく思っていると、まず宗茂が幸村の横に腰掛けた。声をかける前に、置いていた幸村の杯に酒が注がれて、幸村は一気にそれを乾した。喉に残る独特の甘みを感じて、ああ芋焼酎か、と頭の中で一人ごちた。
宗茂に遅れて、清正も反対側に腰を下ろした。彼の表情には疲労が浮かんでいた。確かに、自分よりも大男を宥めるのは、十分な一仕事だろう。清正は深いため息をつく。どうやら、幸村の隣りに腰を落ち着けたようだ。非難したつもりはなかったのだけれど、何故ここに?と視線で訴えてしまったようで、清正は早口に言った。
「ここが一番静かだからな」
確かに、一人黙々と酒を飲んでいる幸村に遠慮しているのか、周りも必要以上に幸村に話しかけることはなかった。まだ始まったばかりの頃は違ったが、今では面々がそれぞれ飲みやすい場を見つけて寛いでいる。
「それにしても、本当に強いな。よくまあ、水を飲むように一気に行くものだ」
「酒が好きなものですから。本当、何の自慢にもならぬ取り得です」
言葉をかけながらも、宗茂はほいほいと幸村の杯に酒を注ぐ。その合間に己のものにも注いで、からかうように清正にも「いるか?」と訊ねたが、清正は顔を顰めて首を振った。決して弱くはないが、酒飲み自体があまり好きではないようだった。視線で、幸村の側に転がっている瓶を指摘されて、幸村は軽く中身を振ってみせた。僅かに水音はするが、杯を満たすには至らない。せいぜい、一滴二滴が落ちる程度だろう。
「一人で空けたのか?」
清正が、少しばかり信じられないものを見るように訊ねた。幸村は少しだけ考えて、それから、はい、と頷いた。
「昔から、焼酎には目がなくて。ありがたいことに、共に飲む方々はわたしが独り占めしても気にせぬ方ばかりでしたので」
そう言って、宗茂が注いでくれた杯を煽った。宗茂は、やはり何かを企んでいるような、底知れぬ笑みを湛えていたし、清正は清正で、苦虫を噛み潰してしまったような険しい顔をしていた。ああいけないな、と幸村は表情には出さずに思う。清正は敏い。幸村が思っている以上に、幸村の言葉の裏側を感じ取ってしまう。幸村が他意なく、ただただ本当に過去の思い出としてそれを語っただけであっても、幸村より何倍も繊細に出来ている清正は、幸村以上に、それに気付いてしまう。
「こういった席で、お前の両隣にはいつも決まった奴らが座っていたからな。その両隣ががら空きでは、お前も寂しいのではないかな?」
芝居のかかった調子で宗茂が幸村の顔を覘き込む。幸村はそれにやんわりと笑みで返して、二人のやり取りをどこか気まずそうに眺めている清正の表情を、ちらりと盗み見た。本当に、そういうものではないのだ。山からあふれ出た湧き水が小さな川を通って、上流から下流へ流れ落ちるように、本当に単純な話でしかないのだ。それを、清正は知らない。幸村が言わないせいだ。宗茂は、どうだろうか。清正は宗茂のその姿勢を不誠実だと言う。幸村の性質は、きっと宗茂に近い。もしもそれを告げてしまったら、幸村のことも不誠実だと言うだろうか。
「そうでもありませんよ。だって今のわたしの両隣には、お二方がいらっしゃいますから」
清正は殊更険しい顔をして、口唇を結んでしまった。宗茂も珍しく一瞬返す言葉を見失ったようで、咄嗟に返ってくる言葉はなかった。ただ彼はすぐさま立ち直って、極々自然な素振りで、ああ酒がなくなってしまったな、と先の幸村と同じように、徳利を揺らして、それだけでは言葉が足りぬと思ったのか、ああ暑いなあ、と手で風を顔に送っていた。ええ本当に、と幸村も頷いた。場を包む熱気は夜の冷気と交じり合っているはずなのに、一体今がいつの季節なのか、分からなくさせていた。
『かなしいとか、さびしいとか』
うっかりすると、途端不穏になるのが、大坂の陣辺りのおそろしいところです(…)。
12/06/10