この夏、兄弟のように育った正則が結婚式を挙げた。相手は会社の同僚で、二年ほどの付き合いを経てゴールインしたそうだ。清正は何度か二人が共にいるところを見たことがあるが、あまり恋人らしい二人ではなかった。どちらかと言えばどつき漫才をしているような雰囲気があり、相性がいいということは分かるが、恋人らしい甘さはあまり感じられなかった。更に言うならば、正則は付き合っている時でさえ相手のことを、熊のような、男以上に男らしい女と言っていた程だ。なんだその評価は、と思った清正だったが、会ってすぐにその評価になんら間違いはないことを知った。黙っていれば正則に勿体ない程の美人なのだが、口を開いた瞬間に分かる。男より男らしい男前な女と言わせれば、彼女以上に相応しい女もいないだろう。とにかく、正則はそういった相手と結婚した。名を甲斐といった。
夏 思 う
「正則も片付いちゃったし、次はどっちだろうねぇ」
まだ夏が始まったばかりだというのに、昼間の外は立っているだけで汗が吹き出る程に蒸し暑かった。電車で訪れた清正の汗が、冷房に冷やされてようやくおさまってきた頃、見計らったようにねねはそう言った。清正が持参した和菓子をつまみつつ、正面に座る清正と三成を交互に眺めている。清正がねねの許を訪ねるのは決して珍しいことではないが、丁度タイミング良く三成と顔を合わせるのは、これが初めてのことだった。三成はそういったことには無精なのだ。
ねねは十六を迎えるとすぐに秀吉と籍を入れた。ねねにとっての結婚とは、幸せを掴む為の重要事項なのだ。だから、結婚適齢期となっても全くその影のない二人を前に、そう呟きたくなるのも分からなくはない。分からなくはないが、残念ながら清正にはそういった相手はいないし、三成も同様だろう。この男は未だに、仕事と付き合っているようなものだからだ。
「お前たちもいい歳なんだから、そんな相手の一人や二人はいるだろう?折角格好良く生まれたのにねぇ。いつでも好きな子を紹介してくれて良いんだからね」
そう言って、ねねは二つ目の和菓子に手を伸ばした。この手の話題は苦手だ。ねねの言葉に、悪意やからかうような思惑が一欠片もないことが余計に困るのだ。返答に悩んでふいと顔をそらせば、和菓子屋の袋がたまたま目に入った。清正が持参したものだ。赤椿色ベースの紙袋には、店の名前とロゴが白抜きで印刷されている。一徳庵のロゴは六文銭と言うらしく、何でも三途の川の渡し賃などと和菓子屋には全く似つかわしくないしっかりした由来があるのだが、単純に一徳庵の初代店主の家紋がそうであったこと、模様を描くのが簡単であり再現しやすいことが起用された理由らしい。清正がねねを訪ねる際は、決まってここの和菓子屋の上菓子にしている。細工が細かく目にも美しいので、持っていく度にねねが喜んでくれるというのもあるが、三成や清正もつまめる丁度良い甘さが気に入っているからだ。そう己を納得させようとしたのだが、やはり過ぎるのはいつも己に対応してくれるあの青年で、このタイミングで彼の顔を思い出す理由も、清正はちゃんと分かってはいるのだ。ただ、それを口に出すのは憚られるだけで。
押し黙ってしまった清正に、
「この話題になると、お前はいっつも目をそらすんだから」
と、ねねは頬を膨らませた。勘弁してください、と頭を下げることは容易いが、ねねに弱い清正が、彼女の追及についうっかりボロを出してしまったら、それこそ目も当てられない。それを思えば、ねねが違うことに意識を移すまでこうしてじっとしているしか出来ないのだ。
「清正にはまだ早いですよ」
珍しく、三成からの助け舟だった。いや、三成としてはいつもの皮肉を言っただけなのかもしれないが、今の清正にとって、その言葉は助け舟以外の何ものでもなかった。兄弟のように、更には言いたい事を言い合える仲に育ったが、三成の方が清正よりも四つ程年上で、清正などよりよっぽど結婚は身近な言葉であるはずなのだ。
清正がそう思う程であるから、もちろんねねは三成の言に異を唱えた。
「そんなことはないよ!特に三成!お前もそろそろいい歳なんだから。もう!正則に先を越されて悔しくないのかい?」
矛先が三成に向けられて、清正は隠れてほっと安堵の息を吐いた。それに目敏く気付いたのは三成だけのようだったが、珍しく三成からの文句は飛んで来なかった。時々、いつもの鈍さはどこに行ったんだと思わせる程度に、三成は察しが良くなることがあった。
「悔しくはありませんが、なんだか不思議な感覚です。あれが結婚したなど、未だに実感がありません」
なんだいそれは、とねねは笑ったが、清正も同じ思いだった。彼らが付き合っていたのも知っているし、彼らが号泣した結婚式に最初から最後まで出席もした。それでもまだ、正則が家庭を持った、ということがよく分からないのだ。
それから互いの近況など世間話をして、二人はねねの家を後にした。もう夕方になるというのに、涼しくなるどころか、外に一歩出た途端に不愉快な熱風が顔を撫でて、思わず二人揃って顔を顰めた。羽柴夫婦宅が会社の近くでもある為電車で来ていた清正だが、帰りは会社寮で生活している三成の車に世話になることにした。相変わらず殺風景な車で、控えめな芳香剤が置かれている以外は売られている状態と変わりない。後輩たちが何かとコーディネイトしてくれる清正の車とは大違いだ。これはこれで三成らしいと思いながら、助手席に乗り込み、シートベルトをつける。三成はエンジンをかけるなり、すぐにエアコンのダイヤルを最大に絞った。当然生温い風しか出てこないのだが、三成は舌打ちをしただけでダイヤルを戻そうとしなかった。
「好きな女でもいるのか」
そう三成が口を開いたのは、全くの唐突だった。清正は思わず三成の方を見たが、丁度車が進み出したところだった。彼は正面を向いたまま、清正に一瞥もしていなかった。清正は咄嗟の返答が出てこず、不自然な沈黙が流れる。ようやく頭が正常に動き出して、何とか一言を絞り出した。
「なんだ、お前まで。らしくないぞ」
タイミング良く信号で止まった。三成は意外そうな表情で清正を見、
「いるのか」
と、殊更驚いた声を出した。訊ねているイントネーションではなく、己の中の確信を思わず口に出してしまったようだった。まったくもって、見透かされている。腐れ縁が長いと、これだから嫌なのだ。
「……好きな女なんかいねぇよ」
たっぷりの沈黙の後、清正はそう告げた。いつもならば舌戦は五分五分のはずが、今日は初めから負けっぱなしだ。話題が悪いのだ、話題が。この手の話題は、昔から苦手だった。己の想いを口にするのは、自分らしくないような気がするのだ。
清正が空けていた空白は、清正が思っていた以上に長く、信号待ちの時間をそのまま使ってしまったようだ。苦し紛れに吐き出した言葉の語尾が、車のエンジン音に少しだけかき消されていた。
「その言い回し、」
「ああ?」
「その言い回しは誤解を生むぞ。好きなやつがいないとも取れるが、好きになったやつが女ではないとも取れる」
「……そうかよ」
「ああ」
それきり、会話が途切れた。二人共あまり饒舌ではない。もう一人の馬鹿が加われば場は賑やかになるのだが、二人きりの場合、沈黙している時間の方が長い。それでも、これほど清正が一方的に気まずい沈黙も初めてだ。三成がどういう解釈をしたのか、清正は分からない。問いただした方がいいのは分かっているが、正直、訂正する気にはなれなかった。好きなやつがいる。それは女ではない。いつも訪問する際の手見上げにしている和菓子屋・一徳庵の男性店員だ。それ以外の情報を、清正は知らない。名前も年齢も、彼がどういった経緯であの店で働いているのかさえ、清正は知らない。ただ知っているのは、そこに行けば彼の姿があって、自分に笑いかけてくれるということだけだ。
清正は小さくため息をついた。もちろん、隣りの三成にも聞こえただろうが、彼は何も言わなかった。この沈黙は、三成の車が清正のアパートの前に停車するまで続いたのだった。
検索かけたら『一徳庵』って本当にあるみたいなんですが、全くの無関係です。
おじい様の『一徳斎』から拝借しました。
11/09/25