清正は地元の学校を出て地元の企業に就職したから、未だに当時の友人や後輩がイベントごとに集まって、常に周りが騒がしい。運動部に所属していたこともあり、文字通りの同じ釜の飯を食った後輩たちは、今でも清正を慕っている。当然、夏祭りの季節となると、彼らはこぞって清正宅に集結する。築十年の1LDKのアパートは一人暮らしには広すぎるスペースを有しており、十人程度ならばすし詰め状態ではあるものの座ることができる。独身であるが故に使い勝手もよく、更に言うなら、アパートでありながら、夜に騒いでも苦情が来ることもない好条件が揃っていた。広いスペースと立地条件のせいでそこそこに高い家賃となっており、二階建ての内、清正が住んでいる階以外は全てが空き家となっている。唯一の住人は両隣なのだが、片方は出張が多いらしくほとんど家に居ることがないエリートサラリーマンで、もう一方は若い女性が住んでいるのだが、どうやら夜の仕事をしているらしく、夜から朝にかけては不在だ。こういった好条件であるせいか、清正の人徳か、休日ともなると人が途切れることはほとんどない。

 夏祭りとなる今日、去年や一昨年、いや、学生時代から変わらない、既に習慣と呼んでも差し障りない集まりとなっている。中には世帯を持っている者もいるくせに、毎年毎年、飽きもせず野郎共だけで夜店に繰り出す流れとなっていた。









ビニール袋の中の金魚







 清正の地元の夏祭りは毎年盛況で、テレビで取り上げられる程だ。ただ、毎年同じメンバーで回っていることもあって、特に新鮮味はない。それでも皆で集まってドンちゃん騒ぎをするのが楽しいお年頃である友人たちは、今も最高の盛り上がりを見せている。その先頭に立っているのが、先月結婚したばかりの正則であるから、これでいいのか、と思わずにはいられない。そう言えば、彼は甲斐と付き合い始めても、一度もこの集まりに欠席したことがなかった。特に今まで気に留めなかったが、彼女は不満ではないのだろうか。
 清正は馬鹿騒ぎをしている集団から抜けて、人気の少ない方へと足を向けた。神社の境内に続く道には所狭しと夜店が並んでいるが、遠ざかるにつれて人も店も少なくなり、灯りもぽつぽつとアスファルトを照らす程度だった。いつもだったら、彼らの調子に呆れつつも最後まで付き合う清正だが、今日はどうしてもそういう気分になれなかった。三成との会話が尾を引いているようだ。

 好きなやつ、と言われて、頭に思い浮かべる人間は、確かにいる。ただ、これは清正の片想いでしかなく、相手が相手なだけに誰にも打ち明けられない問題なのだ。名前はなんと言うのだろう、年齢は自分と同じぐらいだろうか。そんなことを延々と考えている時すらある程だ。これが正則であったのならば、彼は躊躇いなく正面から訊ねるだろうし、三成だったら、―――彼の場合は、清正と同じ道を辿りそうな気がする。人の体面や目を気にしてしまうのだ。客観的に見て、いい歳した男が、なんの繋がりもない和菓子屋の店員に「名前なんて言うんだ?年齢は?」なんて訊ねていたら、清正は思いっきり不審に思う。相手が異性であるのなら、まだマシだろうに。その判断が正しいのかすら、最早分からない。ただ、自分から切り出すことは至極困難であることは確かだ。

 ぼんやりと歩を進めていたら、丁度神社の裏に来てしまったようだ。表の盛況振りとは異なり、ここは祭りの真っ只中でもしんと静まり返っている。灯りも最低限のものしかなく、表道のようにしっかり整備されていない。慣れない者が立ち入れば、小さな段差が点在する道につまづいてしまうだろう。幸い清正は子どもの頃からこの場所で遊んでいて、その辺りのポイントを知っている。ここの石段が腰掛けて休憩するのに丁度良いこともまた、よくよく知っていた。幼い頃、そうして皆の輪を抜け出したように、折角だからそこで時間を潰そうとここに来て思い立ったのだが、生憎とそこには先客がいた。薄ぼんやりとした灯りのせいで、はっきりとは分からない。ただ清正同様に一人でそこに腰掛けているようだった。一人だというのに浴衣を着ており、珍しい人間も居たものだ、とすら思った。おそらく、座高の高さから見て男だろう。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
 清正の足音に気付いたようで、その男からそう声がかかった。聞き覚えのある声だった。まさか、と思いその場で立ち止まってしまった清正を不審に思ったのか、男は立ち上がり、携帯電話をライト代わりに清正の方を照らした。決して明るいものではなかったが、顔見知りの人間を判別するのには不便のない明るさだった。
「おや、あなたは、」
 清正が気付いたように、彼もようやく清正が誰なのかを理解したようだった。ただ、互いに名前を知らない。咄嗟になんと呼んでいいものか、互いに分からなかった。清正が彼に顔を向ける。色々な感情を隠そうとして険しくなってしまった表情に、彼は良いように勘違いしてくれたようだった。
「よく買いに来てくださる方ですよね?わたしはその、駅前の和菓子屋の者です」
 知っている、と思ったが、口には出さなかった。彼はその間を勘違いしたようで、
「人違いでしたか?」
 と、僅かに首をかしげた。いいや、と言いながら清正は首を振ったが、あまりに小さい声だったから、唸り声のように聞こえたかもしれない。
「ええっと、あっ、そう言えば、わたしはあなたの名前を知りませんでしたね。あんなに顔を合わせているのに、なんだかおかしな話です。わたしは真田幸村と言います。あなたの名前を訊いてもよろしいでしょうか?」
 清正が幸村の店に通う周期は、そのままねねの許を訪ねる日数だ。彼に出会う前は月一程度だった訪問がいつの間にか増えていて、今では隔週ペース、多い月は週ごとに訪れる程だ。普通の店だったら常連とは言わないものの、和菓子屋ともなればこのペースはいささか多いのかもしれない。
「……加藤清正だ」
 まるで吐き捨てるように告げた名にも、幸村は嫌な顔一つしなかった。彼は店で会う時と全く変わらない、穏やかな雰囲気を纏っていた。
「清正さん。あ、ええっと、立ち話もなんですし、座りますか?」
 幸村は座っていた場所から少しだけ詰めて、再び腰を下ろした。横に座れば、それだけでいっぱいになってしまうだろう。肩と肩とがぶつかってしまうかもしれない。そう思い至ってしまえば、彼の横に座ることなどできなくて、幸村よりも三段ほど上の石段に腰を下ろした。幸村は律儀に身体をひねって、清正の方を見上げている。近くで見れば、彼の着物は店のそれだとすぐに分かった。

「なんでこんな所にいるんだ?」
 意を決して訊ねた問いも、どこか不躾なものになってしまった。自分のことを棚に上げた物言いだが、幸村は、
「人に酔ってしまって。あまり人混みが得意ではないんです。接客業なのに、情けないですね」
 と、少しだけ困ったように笑っていた。
 当然、
「清正さんは?」
 そう訊ねられ、お前と同じようなものだ、と咄嗟に誤魔化してしまった。
「それなら、仲間ですね」
 幸村はふふっと、柔らかく笑う。灯りが少ないせいで、やけに声が脳裏に響いた。一目惚れだったのか、何なのか、今ではよく覚えていない。ねねの手土産になればと思って慣れない和菓子屋にふらりと立ち寄って彼と出会い、気になる存在から、いつの間にやら好きな相手となっていた。幸村がどう思っているのかは知らない。よく店に来る、店の雰囲気に似合わない男程度の認識なのかもしれない。だから幸村はたまたま清正の顔を覚えていただけなのかもしれない。清正は幸村のことを何も知らないのだから、憶測しか出てこないのは当然なのだ。

「あの、色々お訊きしてもよろしいですか?」
 幸村がそう控えめに声をかける。清正はそらしていた視線を僅かに下げたが、その辺りの機微が彼に伝わったかは分からない。薄暗くてよかったと思うべきか、否か。
「ああいうお店ですから、若い男の方の客は珍しくって。よく買ってくださるのは誰かへのお土産なのかなあ、と店の者ともよく話しているんですよ」
 いえ、お客様のプライバシーはちゃんと保護してますから!と、幸村は少しだけ慌てた様子で手を振った。清正にしてみれば、自分の存在を僅かでも気にしてもらっていることに動揺した。それが物珍しさからであったとしても、だ。
「……母親、のように育てていただいた方がいるんだが、その方が、その、そっちの菓子を気に入って」
 半分が嘘である。いや、言葉に嘘はないのだが、彼の店の菓子を買っていくのは、ひとえに清正が彼に会いたいが為であって、ねねの好みは関係がないのだ。マザコンと仲間内からからかわれる自分に、ねねは関係がないとすら言わせるほど、清正はこの男が好きなのだ。
「それはありがたいことです」
 さも嬉しそうに言われて、清正も返答に困った。間違いはない、間違いは。ただ、自分に多少なりとも後ろめたいことがあるせいで、彼の喜びを共有できないのだ。
「お歳はいくつですか?」
「あ?あーっと、その方のか?」
「いえ、清正さんです。同じくらいか年上かなーと思っていたものですから。この機会に訊いておこうかと思って」
「……25だ」
「ならわたしの方が年下ですね。今年で24になります」
 その時、ちゃぽんと幸村の手許から水音が聞こえた。決して大きな音ではなかったが、祭りの喧騒が届かないこの場所には大きく響いた。無意識に清正は視線を下げ、その音の正体を探った。彼の左手には、屋台の金魚すくいですくい上げたのであろう、赤い金魚が二匹、ゆらゆらと動いていた。清正の視線の先に気付いたのだろう、幸村は金魚が泳いでいるビニール袋を持ち上げて言った。
「ジャンケンで負けてしまって、父たちに色々と買い物を頼まれて来たんです。みんな出無精で、折角の祭りなのに家でお留守番です。祭りに来たついでに、弟たちになにか喜ぶものをと思って、金魚すくいをやってはみたんですけどね。思えば、金魚で喜ぶような年齢ではないものですから、どうしようかと実は途方に暮れてたんです。川に流してしまうのは、やはりマナー違反でしょうか」
「弟がいるのか?」
「ええ、中学生と高校生が一人ずつ。難しい年頃です。清正さんは?」
「兄弟のように育ったやつならいるが。その中じゃあ、一応俺は末っ子だ」
 年齢だけで見たのであれば、長兄が三成、次兄に正則となるのだが、彼らを兄と思ったことはないし、彼らも清正のことを弟と思ったこともないだろう。
「それなら、お兄さん方は随分と誇らしいと思いますよ」
「なにが」
「だって、自分の弟が母想いの優しい人だからです。あと、格好の良い兄弟って、それだけで自慢になりますから」
 幸村はそう言いながら立ち上がった。
「わたしはそろそろ行きますが、清正さんはどうされますか?」
 と、着物についている汚れを落としながら訊ねられたが、清正は咄嗟に返事ができなかった。それなら家まで送る、と言えばよかったのだろうが、頭が彼に告げられた言葉をうまく処理できていなかったからだ。
「いや、俺はまだ、」
「そうですか?では、おやすみなさい。またいらして下さいね。新作、作っておきますから」
 幸村はそう言って踵を返す。このまま彼を帰してしまうのは勿体ないような気がして、清正は思わず、
「ああ、おい!」
 と、叫ぶように声を発したが、その先が続かなかった。それでも幸村を引き止めるのには成功したようで、幸村は階段の下から清正を見上げている。暗くてよかった、とこの時ばかりは思う。きっと今の自分は、色々な感情に振り回されて真っ赤だろう。
「幸村でいいですよ。あの店は真田しかいませんから、紛らわしいですし。これでもわたし、次期店主なんですよ。見えないでしょう」
 幸村はくすくすと笑って、なんでしょうか?と清正が引き止めた理由を訊ねる。
「金魚、」
「はい?」
「金魚、困ってるんなら、俺がもらってもいいか?」
 咄嗟に飛び出た言葉に、自分は何を言っているんだろう、と清正が思ったように、幸村もまた、思いもしないことを言われたようで、一瞬沈黙が流れた。言われたのが清正だったら、厚かましいやつ、と思って吐いて捨てただろう。彼の前だと、どうもいけない。まったく冷静ではいられないのだ。
 けれども、幸村はそう思わなかったようで、
「よろしいのですか?」
 と、一歩階段を登った。清正がああ、と小さく頷けば、こちらが申し訳なくなるほど嬉しそうな声で、ありがとうございます、と更にその距離を詰めた。
「実を言うと、家族全員、生き物を育てるのが苦手でして。サボテンぐらいじゃないと、すぐに枯れてしまうんです」
 幸村の言葉も、あまり頭に入ってこない。よろしくお願いします、と幸村の指が、ビニールで出来た赤色の紐を差し出す。彼の仕草を真似るように清正も人差し指を伸ばす。引っ掛けるようにして、幸村の指が優しく清正に触れた。幸村の指先は冷たかったが、それはもしかしたら、清正の体温が上がりすぎているからそう感じたのかもしれない。自分ばかりが舞い上がって、羞恥で更に体温が上がりそうだ。
「わたしだと思って、大事に育ててくださいね。って、ふふ、冗談です」
 それでは、おやすみなさい。
 幸村がぺこりと頭を下げて、その場から去る。去って行ってしまう。けれども清正は、彼に金魚を手渡された状態のまま、彼の背中を見送るしか出来なかった。色々なことがありすぎて、湯立った脳みそがうまく状態を整理出来ていない。その状態で固まってしまった清正は、仲間からの携帯電話の着信音が鳴り響くまで、その姿勢のまま立ち尽くしていたのだった。











かゆくってすいません。書いてる本人が一番ひぃひぃ言ってる。

11/09/25