「最悪だ」
吐き捨てるようにそう言って、清正は最後に残されたジョーカーをテーブルに叩き付けた。土曜の夜、暇を持て余して集まった友人たちが、珍しくトランプを持ち込んでいた。酒も入って無駄に盛り上がった場で、誰が最初に言い出したかは覚えていないが、いつの間にやら簡単な賭けが始まっていた。賭けといっても金銭が絡むようなものでもなく、ビリが一番の人間の言うことを何か一つきく、といった遊びの延長線でしかなかった。ただ、長年慣れ親しんだ友人たちである、中々にえげつないことを提案したりしているのだが、その辺りはビリになった自分を恨むしかないだろう。
カードゲームの類は別段得意ではなかったが、持ち前の仏頂面のおかげで、こういった勝負事に際立って最下位になることは滅多にない。特に、この場には正則という良いカモがいるおかげで、大体の負けは彼に自然と集まる。そう高を括っていた結末が、まさかの最下位だった。ばば抜きなんてものは運と両隣の人間との駆け引きなのだが、運に見放され、更には両隣の巧みなカードさばきに翻弄された清正の手許には、最後までジョーカーが残ってしまった。一体自分はどんな理不尽な目に遭うのだろう。恨みがましく一位通過した長政を睨みつけてみたものの、彼はにやにやとさも楽しげに清正を見、高らかに宣言した。
「こういう時の相場は決まってるだろ。気になるあの子に告白だ」
空蝉のささやき
酒の席だ、酔った弾みだ。そう思って、その賭けを無視してしまうことは簡単だった。誰かが成し遂げたかどうか確認するわけでもないし、清正が適当に言い繕っておけば容易く場は収まることもちゃんと分かっていた。けれども、こうした強引なきっかけがなければ、自分は彼に想いを告げることなど出来ないことも自覚していた。想いを告げることなく、彼が誰かと結婚すると決まった時、悔いは残らないだろうか。残るに、決まっている。未練がましく、捨てることも出来ずに金魚を大事に大事に育てることだろう。それも一途でいい、とは清正は思わない。そんなうじうじと想いを抱え続けるくらいなら、いっそ当たって砕けてしまえばいいのだ。
清正は背中を押された気持ちで、あの店へと足を向けた。歩けば十分とかからない距離だ。八月もそろそろ終わりがけだというのに、午後二時の陽射しは焼くように熱かった。歩いているだけで汗が滴るほどだったが、今までの経験上、この時間帯の客入りが少ないことを知っている。
店の前に到着しても、清正は中には入らなかった。早鐘を打つ心臓を少し休ませてからにしようと思ったからだ。店の駐車場には丁度良い木陰が出来ており、そこで一旦休憩しよう、と駐車場に顔をのぞかせた。照りつける日差しに手を翳しながら、額の汗を拭う。無意識に到着したことに安心していたのだろう、背後からの声に、休ませるはずだった心臓がどきりと大きく波打った。
「清正さん?」
と、声をかけるその人物を、どうやったら間違えることが出来るだろう。心の内を覗かれたような気がして、清正は気まずい気分で振り返った。そこには、やはり店の着物を着た幸村が、片手にほうきを片手にちりとりを持って立っていた。いつも涼しげな風貌の幸村だが、やはりこの炎天下は堪えるらしく、清正が目当てとしていた木陰に佇んでいた。
ここで去るのも不自然だ。清正はぎこちなく笑みを作りながら、よぅ、と手を上げ、影の中に足を踏み入れた。
「夏もそろそろ終わりですね。まだまだ暑いですけど、蝉の声が少なくなりました。蝉の抜け殻もいつもは大量なんですけど、ほら、今日は一つしか落ちてなかったんですよ」
幸村はそう言って、ちりとりを持ち上げる。覗き込むまでもなく、掃き集めた青々とした落ち葉の中に、蝉の抜け殻がころりと転がっていた。幸村の笑顔が眩しい。野山を走り回る子どものようだった。幸村には、その笑顔がよく似合っている。
「今日もねねさんのところへ行かれるのですか?時間があるのでしたら、一服、どうですか?」
どうぞ、と言って、幸村が歩き出す。待ってくれ、と言おうとしたが、炎天下の中歩いてきたせいか、咄嗟に声が出ず、思わず彼の腕を掴んでしまった。少々力の加減を間違えてしまったようで、清正が掴んだ幸村の手に握られていたちりとりから、彼が折角集めた蝉の抜け殻がころんと落下した。あっ、と声を出したのは清正だったろう。落ちて行く抜け殻が、何故だか物悲しく映った。これは夏の盛りを必死に生きた証なのではないだろうか。
「話が、あるんだ。ここで、聞いてくれないか」
中の方が涼しいことは分かっている。木陰に居ても、風が吹かない限り暑いのは一緒だし、十分という短い間であっても、この陽射しの中を歩いてきた自分が涼を求めていることは分かっていた。それは幸村も同じだろう。幸村も額にも汗が滲んでいる。それでも、幸村は何も言わずに頷いただけだった。拒まれなかったことにほっと安堵の息を吐いて、清正も腕をほどいた。
「好きなんだ」
えっ、と幸村が清正の目を見つめる。清正は、幸村の目に映る自分の姿を見た。余裕なんて全然なくて、馬鹿みたいに焦っていて、格好悪いことこの上ない。それでもこの想いに偽りがないことが伝われば、それでいいのだ。どれだけ、そうして見つめ合ったのだろうか。暑さだけではない頬の赤味が段々と濃くなっていくにつれて、幸村にもそれが伝播した。さっと頬に走った赤は、清正の言葉の意味を正確に感じ取ったからではないだろうか。
「俺と、結婚を前提に付き合ってほしい」
幸村の目が揺れている。断られたって、拒絶されたっていい。それが、本来は本当なのだろう。ただ、この想いが真剣なのだと、幸村に伝われば、答えはなんだっていいのだ。
「わたしは、」
蝉の鳴き声がうるさい。さっきまではそんなもの気になりもしなかったのに、幸村の声を掻き消してしまうような気がした。
「男です」
「知ってる」
「男同士では結婚は出来ません」
「それも知ってる」
結婚、と出したのは、将来を見据えて一緒にいたい、ということを伝えたかっただけだ。清正個人に、今の日本の法律をどうこうできるだけの力はないし、それは無理だろうとも思う。でも、結婚と言いたかったのは、何だかんだ言いつつ、仲の良い正則たちを少しでも羨ましいと思ったからかもしれない。目に見える絆だ。籍を入れるなんて、本当は署名をして判子を押すだけの事務手続きでしかないと分かってはいるのだけれど。
「…勝手に、都合の良いように捉えてしまいますよ?」
「例えば?」
「一生一緒にいたいってことです」
「そう取ってくれていい」
タイミングを見失っていたのか、幸村は大きく息を吐いて、もう一方の手に握られていたほうきを地面に置いた。幸村の顔は、今や清正と同じぐらい真っ赤になっていた。情けないだとか、取り繕うだとか、そういった感情はなかった。人の気持ちにこんなにも真摯に向き合っている自分たちは、世界中のなによりも尊いものに感じたからだ。
「三成先輩に怒られてしまいます」
「それってどういう意味?」
もごもごと幸村が口ごもる。本当は、言葉にしなくても、幸村の想いは十分に伝わっていたが、あえて分からない振りをした。
「わたしも、清正さんが好きだってことです。先輩の大事な弟さんを、わたしが奪っちゃうなんて、」
ああ恥かしい!と、幸村が両手で頬を押さえる。その腕に手を伸ばしながら、
「なあ、」
と、距離を詰めた。
「とりあえず、抱きしめてもいいか?」
「ちゃんと泳ぎ方を教えてくださるのなら」
もちろんだ、プールに行こう海に行こう、八月はもう終わってしまうけれど、まだまだ夏を楽しめばいい。言葉の代わりに、少々強引に幸村を抱き寄せた。突然のことに驚いたようだったが、耳元で幸村が小さく笑い、その呼気にくすぐったいと清正も笑ったのだった。
蝉が鳴いている。真っ盛りの時のような大合唱ではないけれど。清正は、夏の持つ生命の力強さを知っていた。蝉の抜け殻が二人を見つめている。睨んでいるのかもしれない。
(お前の夏はもう終わってしまうけれど、
俺たちの夏は、今ようやく始まったばかりだ。)
<完>
ひぃぃかゆい!かゆいけれど、何とか完結しました。せめて少しでも暑さが残ってる時期にアップしたかったものですね!今更ですけど、季節外れです。
今回の話のイメージは『ありあまる富』なのです。二人には似合わないよね。でも歌詞が好きなのでチョイスしました。でも似合わないよね。好戦的な二人が好きなので、、、どうしても似合わないよね(…)
11/10/03