清正×幸村です。
大坂の陣っぽくしてますが、三成いるし、清正いるし、説明もなく仲良しこよしだし、な自由セッティングです。
遠く、ひぐらしが鳴いている。すぐそこまで、夏の終わりが迫っている。湿気を孕んだ風の不快感は大坂に比ぶべくないものの、冬の間は雪に閉ざされてしまう奥州の風もまた、じとりと湿っていた。兼続は合わせ目に扇で風を送りながら、一つ呼吸を置いた。既に己の役目は終えた。そもそも、使者として遣わされたものの、役目らしい役目などなかったのだ。最早、豊臣・徳川の対立は火を見るより明らかで、互いの陣営が必死になって味方を増やそうと工作に躍起になっている真っ最中だ。兼続もまた、そういった裏工作の為に伊達政宗の居城である岩出山城まで出向き、政宗と対面していた。とは言え、伊達は既に徳川へとはっきり旗色を鮮明にしている。無駄足である。まったくの無駄足である。それでも兼続が、役目とも言えぬ役目を引き受けたのは、ひとえに政宗と良かれ悪かれ誼があるからだ。こんな立場でなければ、こんな時代でなければ、良い友人になったであろうに、と兼続は思うのだが、政宗は一体どう思っていることやら。まだ戦は始まっていないものの、既に互い敵味方の身だ。気軽に訪ねられる空気ではないことは兼続とて百も承知だが、それを許してくれるであろう器量が政宗にあることを覚る程度に、気安い仲であるという自負がある。それを指摘すれば、政宗の顔も苦虫を噛み潰してしまったように顰められるだろうけれど。
豊臣に味方してくれ。厭じゃ、厭に決まっておろう。そうか残念だな。と挨拶もそこそこにさっさと役目を終えた兼続は元より、政宗も世間話の姿勢へとなっていた。こんな時期に兼続が訪れる理由など一つしかないくせに、内密の話であるから、とさっさと家臣達を追い払った政宗は、兼続を口実に執務を少し休む気でいるようで、早々に煙管に火をつけている。ふー、と一息ついて、ついでのように兼続に目を向ける。
「幸村は元気か」
まるで話題に困って探りあてたかのような、そんな間合いだった。だが、そんな嘘は兼続の前では無意味だった。兼続の来訪を受け入れたのも、さっさと帰れと追い払わないのも、この一言の為だ。兼続は政宗の虚勢が嫌いではない。秀吉をも手玉に取った奥州の竜が、たった一人の男のことになると、途端きゃんきゃん吠え立てる山犬に成り下がる。かわいらしいことではないか。
「ああ元気だとも。私はあの子が、元気でなかったところを見たことがないがな」
「それは、」
そうだな、と相槌を打ち、政宗は庭先に灰を落としに腰を上げ、兼続に背を向けた。無論、兼続に表情を読まれない為だ。兼続にとって幸村はもちろん面白な男なのだけれど、政宗も十分そうだ。政宗が幸村に抱く感情は変わっている。いや、変わっていると言うのも失礼か。熱っぽく見つめているかと思えば、眩しく目を細めている時もある。かと思えば、親兄弟に向けるような、あたたかい視線を向けている。掴み切れぬものの、そのどれもが尊いものだ。この男は、ちゃんと人を慈しむことが出来る。それが兼続にはこの上なく嬉しい。
「石田とはそろそろ懇ろになったか?あれから何年経つ?あやつもそろそろ、腹を括ったであろう」
表情を整え終えたのだろう、再び兼続の前に腰を下ろしながら、そう口を開いた。ここが、この男の面白なところだ。一つしかない眸を融かしてしまうつもりかと問いたくなる程熱っぽく幸村を見つめていたくせに、平気な顔で幸村の恋路に口を挟む。まあ、平気なのだろう。政宗は別段、幸村と恋仲になりたいわけではなく、ただただ幸村が健やかに生きていてくれさえすれば満足する男なのだ。
「あの二人か。三成もよいところまではいったのだぞ。友の名誉を守る為ではないが、少し慎重過ぎただけで、臆病風に吹かれていたわけではない。ただ、まあ、進展せぬまま、いつの間にやら自然と友の距離へと戻っていたよ」
あの二人らしいだろう?と政宗に同意を求めつつ、自分らしくない歯切れの悪い言葉の調子を切るように、ぱしりと扇子で軽く膝を叩いた。政宗は二人の関係の健全過ぎる変化を想像していなかったようで、は?と間抜け面をさらしていた。
「それは誠か?」
「私は友に嘘はつかん」
まあそんなことはないが、と内心呟きつつ、政宗も嘘じゃなあと思っていることを見透かしつつ、真面目ぶった表情を作った。
「馬鹿な男じゃ」
「あれは真っ当な奴だからな。まあ、三成にしては最善の判断をしたと私は思っているよ」
ちらりと政宗が兼続の眸の奥を覘き込む。ひどい男じゃのう、とその眸が言っている。ひどいなどと、心外だ。私は三成も幸村も大事に思っている。傷付かずに済むのなら、それで良いではないか。
「三成はきっと、気付いてしまったのだろうな。幸村の想いは自分では荷が重いと」
「ふん。女々しいことじゃ。わしならば、さっさと自分のものにしたぞ」
どうやら政宗も、幸村が三成のことを憎からず想っていたことを知っているようだ。まあ、一目瞭然の二人であったのだから、それは当然だ。兼続はこれでも二人が添い遂げることを歓迎していたし、また同じ位、二人はくっ付かぬ方がいいとも思っていた。
「お前では無理だろうよ」
兼続の声の調子は、世間話のままだった。兼続にとっては、そのつもりだった。他愛ない話、気晴らしの為の口慰め。兼続にはこれっぽっちの悪意もなければからかいもなく、ただただ本当にそう思っていただけだった。だが、政宗は一気に機嫌を損ねた。不愉快そうに眉を寄せて、眼光鋭いと言えば聞こえはいいが、目つきが悪いだけの眸をこれでもかと険しくして、兼続を睨み付けた。はて、自分は何を言ったかな、と兼続が己の言葉を振り返らなければいけない程だった。ああ、そうか、お前は幸村を慕っていたのだったかな。恋をしているでもないくせに、そういう機会があれば虎視眈々と狙っているところが、山犬が不義の輩であるが所以である。
「わしでは幸村に想いを告げられぬと言うのか、兼続。わしを石田のようなへたれ野郎だと言いたいのか」
兼続はぷっと噴き出してしまった。ああまた政宗が怒るな、と分かってはいたものの、ついつい飛び出てしまったのだから仕方がない。
「そうではない。お前の人の愛し方は三成に似ている。だから無理だと言ったのだ」
「不愉快じゃ」
「言わずとも分かっているぞ」
ふん、どうだかな、と政宗はこれ見よがしに鼻を鳴らす。兼続はからからと笑って、そうへそを曲げるな、ほら私から謝るから、と笑いかけるが、残念ながら政宗にはこの手は通じない。それよりも、兼続が何故そう思ったのか、そればかりが気になっているのだ。しようのない奴だな、と心の中で呟く。まるで幼い子どもを宥めるような心持で、兼続は柔らかい音を発した。
「幸村の愛は命と同義だ。お前は、幸村と共に生きたいと思うだろう?隣りにいつまでも居て笑っていて欲しいと思うだろう?幸村はそんな風に柔らかく人を愛することが出来ない。愛し方が違うのだ。互いの望む愛の形が、苦しい程に哀しい程に、まったくまったく、違うのだ」
***
大坂は戦支度に追われていた。身分の上下に関係なく、人が慌ただしく動き回っていた。兵糧や武器弾薬の準備、どこそこの家臣がこちらの呼びかけに応じそうだ、どこそこの家臣が徳川と内通している、なびきそうだ、裏切りそうだ、そんな情報が錯綜していた。それらを管理する三成は夜も眠らず働きっぱなしだ。仮眠を摂ったのはいつだったか、そもそも、いつ飯を食ったのだったか。疲れのせいか空腹の感覚も麻痺して、自分の身体のことながら、もうてんやわんやだった。そんな状態であったから、仮眠を摂るようにと、左近に半ば叩き出されるようにして執務室を追い出された。気付けば早朝だ。既に日は出ていたが、朝餉の準備をする者がぽつりぽつりと起き出したばかりの時間で、廊下に人影はなかった。仮眠をどこで摂ろうか、屋敷に戻るのは億劫だ、とどっと疲れが両肩にのしかかっている重たい身体を引きずりながらとぼとぼ歩いていると、前触れもなく襖が空いた。驚く元気もない三成はそれを眺めているだけだ。僅かな隙間から姿を現したのは清正だった。流石にこれには三成も驚いて、積もりに積もった疲労のせいで凶悪としか言いようのない顔を清正に向けた。清正もまさか三成がこんな時間にこんな場所に居るとは思わなかったようで、驚きを隠すように顔を顰めて三成を見返した。しばしの沈黙。頭の全く働かない三成は、ただただ清正を見つめる。通りすがりの人があれば、なんでこの二人はこんな場所でにらめっこをしているのかと奇妙に思わずにはいられない程度には時間が過ぎた。幸か不幸か二人に無関係の第三者の登場はなかったが、清正が姿を現した襖が再びゆっくりと開いたことにより、空気はようやく動き出した。清正は面倒臭そうに舌打ちをして、襖からさっと目をそらした。反対に三成は、咄嗟に目を向けた。そこから姿を現したのは、幸村だった。幸村はいつ見てもぴしりと背筋が伸びている。頭のてっぺんから、足の爪先まで、常に整っている。多忙を極める三成程ではないにしろ、新兵の教育や城の整備は幸村に任せているから、彼とて忙しいはずだ。それなのに、書き損じた落とし紙のようによれよれになる三成と比べ、幸村は疲れをまったく感じさせない。
こんな時間にこんな場所で、しかも二人が時間差で出てくるところに鉢合わせしてしまった三成としては、なんとはなしに気まずい。一時は幸村に恋を抱いていたとは言え、今となっては弟のように可愛がっている存在だ。見てはいけなかったというか、見たくはなかったと言うか。考えることを放棄し始めていた頭は思うように動かず、久しぶりに見る幸村を目の保養とばかりに見上げているばかりだ。
「おはようございます三成どの。お疲れのようですが大丈夫ですか?これから休まれるのですか?」
幸村の物怖じしないところは、流石だと思わざるを得ない。ここで三成のように気まずげにされたら、ますます互いに居たたまれないだろう。幸村は天然でそれを回避し、更には三成の心配までしてくれる。三成を睨みつけるだけだった、どこぞの男も見習ってほしいものだ。
「ああおはよう。とりあえず、仮眠にな。左近に追い出された」
「それはそれは。ではお休みになられたら、その後、共に朝餉に致しましょう。頃合いを見て呼びに伺います」
「うむ、頼む」
そう言って、それでは、と頭を下げる幸村に、ああ後程な、と言って互い背を向けてから、ちょ、ちょっと待て!と思わず大きな声を上げてしまった。幸村は振り返り、どうかなさいましたか?と首を傾げている。その後ろには腕を組んだ清正が、無表情で仁王立ちしている。突っつくか、流すか。聞くか、気付いていないふりをするか。二択が三成の頭の中でぐるぐると回っている。二人はそういう仲だったのか。いやいやそんな馬鹿な。だが、こそこそ部屋から出てくるなど、していたことなど一つしかないだろう。いや、だが、………。
「三成どの」
反射のように、幸村の声に彼へと眸を向ける。着衣の乱れもなく、髪もいつものようにきちんとまとまっている。やはり、頭から爪先までぴしりと整っている。いや、こういった視線を向けるのはあまりに不躾だったか。
「では、後程」
にこりと笑う幸村は、三成から言葉を奪う。生まれては消えてまた生まれてきた言葉たちが一斉に霧散した三成は、ようやく一言、ああ、と絞り出した。先程と同様のやり取りをして、ようやく三人はその場を離れた。三成の体力は、途中で二人に出会ってしまったせいでぷつりと途切れてしまったようで、部屋に辿り着く前に人気のない廊下にふらりと倒れ込み、そのまま数日振りの惰眠を貪ったのだった。
***
戦の情報が錯綜する中、戦には全く関係のない噂話が城内に広がっていた。どうやら加藤清正と真田幸村は恋仲であるらしい、というものだ。戦の準備に忙殺されていなければ、三成の耳にも届いただろう。残念ながら三成の耳は、他の情報を拾うことに精を出しており、片やかわいいかわいい弟分、片やかわいくない腐れ縁のことであっても、余所へ追いやられていた。
清正と幸村が書類を広げながら頭を並べて話している姿は、度々目撃されていた。城の修繕や兵の指揮系統の頭は実質清正であるし、その指示を受けて直接兵を鍛えるのは幸村の仕事だ。自然顔を合わせる機会は多くなるし、また、二人共が仕事熱心なこともあり、朝も夜も関係なく、時に長時間に渡って、そこはこうした方がいい、いやこうした方がいいと話し合いは繰り返されている。互いが遠慮なく言葉を重ねていながら険悪な関係にならないところが、例の噂を後押しする要因だったろう。確かに清正は幸村を好いている。幸村もまたそうだろう。ただ、恋仲ではない。そもそも、互いが互いを気になったのは、随分前の話である。噂はまことしやかに、共にいる時間が増えたことで互いを意識するようになったのだと、まるで男女の恋愛のように取り沙汰すが、むしろ顔を合わせる機会が増えたせいで、そういった意識はいつもそっちのけになっている。秀吉が存命していた頃、戦が終わっていたあの頃、徳川方の人間からしてみれば仮初めの平和であった頃、清正は確かに恋をしていた。残念ながら、戦の準備でばたばたと忙しいこの時期に、他に現を抜かしていられるような余裕は清正にはない。そんな余裕が欠片でもあったら、もっと戦のことを考えるだろう。どこに城を築こうか、土塁を積もうか、砦を立て、罠を仕掛け、城の守りを厚くし、勝つ可能性を僅かでも押し上げようとするだろう。清正の恋は理性でするものだ、あるいは、意志をもってするものだ。だから、一番の最優先事項、この命を懸けても足りないくらいの大事の前では、そんなものはどこかへ飛んで行ってしまう。
幸か不幸か、幸村もそういう男だった。この時期だ、この時勢だ、顔を合わせれば戦、戦、戦の話だ。調練に使う弾薬が欲しい、槍衾の厚みが足りない、弓兵からもう少し兵を割けないだろうか、七手組の配置を変えた方がいいのではないか。延々、そんなことを話し合っている。清正が同意することもあれば、いやそれはやめた方がいい、と反論することもある。幸村は温和な性格ではあるものの、こと戦のことになると確固たる主義を持っている男だ。衝突も一度や二度ではないが、それはお互い様だ。丁度良い妥協点を見つけるまでに、ああでもないこうでもないと知恵を振り絞らなければ納得しない性分であった。そんなやり取りを続けて、どれほど時間が経っただろうか。始終そんな調子であったから、私情が挟む隙間などちっともありやしないのだ。
空いている一室を拝借して、差し向かいで行われた協議が決着したのは、既に日の出が過ぎた頃だった。心地良い疲労を感じ、仮眠を少しだけ摂ろうかと室外へ足を踏み出したところが、丁度三成と顔を合わせた辺りである。清正は当然のことのように、三成もあの噂を知っていると勘違いしてしまい、言い訳するのが面倒になった。清正としては、三成が幸村に抱いていた感情を知っていた分、僅かなりとも気まずさがあった。彼に遠慮するつもりはないが、誰がどこから嗅ぎ取ったのか、清正の横恋慕だの三角関係だの、ああ見えて幸村はかなりのやり手だのと、勝手自儘な尾びれ付き放題の妄言に辟易していた清正だ。そんな厄介な噂話を訂正して回る暇があるなら考えたい事が山ほどあるわけで、そうなると勝手にしろと放置していた弊害がまさにこの現状だ。幸い三成は、激務に重ね、多忙になると飲まず食わずの連日徹夜といういつもの仕事病のせいで、咄嗟に口も回らないようだ。一度は呼び止められはしたものの、幸村があっさりと場を流してくれたおかげで、何とかその場を去ることが出来たのだ。
清正だって戦へ情熱を持っている。ただし、幸村の異常な戦への執着には、ちっとも敵わない。幸村は戦の気配を嗅ぎ取ると、いつ眠っているのか分からない程働き回っているし、それなのに三成のようによれよれのへろへろになることはない。今日も快眠、早寝早起きで健全な生活を送っているのだろうと、彼の仕事熱心ぶりを知っている者ですらそう思わせてしまう程に、幸村は生き生きとしている。
清正の今日の予定は、正則の兵の鍛錬の様子を見て回ることが主だ。正則にもそう前もって伝えてある。ただし、彼の場合忘れている可能性も十分あった。案の定、鍛錬なのか喧嘩しているのか分からない統率の仕方に、まず清正の雷が落ちた。白兵戦の仕方を教えていると言えばまだ聞こえはいいかもしれないが、正則の訓練は殴り合い蹴り合いだ。こうして時々見て回らなければ、風紀が乱れる一方だった。幸村を見習え馬鹿、と拳と共に叱り付ければ、あいつんとこの訓練が一番辛いって噂だぜ、俺んとこに逃げてきた奴もいるし、と、ガキ大将がそのまま大きくなったような笑顔を見せる。それは仕方がないだろう。だって幸村の訓練は、たくさんの自分を作る為のものなのだから。こうしてわたしは強くなりましたよ、こうやってわたしは勝つ方法を見出しましたよ、同じことをやっていれば、あなたも同じことが出来るかもしれませんね。幸村の言い分はきっとそうだろう。別段、自分を押し売りしているわけではない。幸村のように強くなりたい、と皆が言うから、幸村はそれに応えているだけなのだ。
一日の大半を正則を怒鳴りつけて終えた清正は、正則と連れ立って城内を歩いていた。もうすぐ夕餉の時刻だ。飯を炊いた、甘く香ばしいあたたかなにおいが漂っていた。目を離せば足元不注意になりかねない正則を横で叱っていると、廊下の向こうには幸村の姿があった。己の仕事は終えたようで、両腕いっぱいに抱えている書簡は三成の手伝いだろう。互いに相手に気付いたものの、わざわざ声をかけるまでもないと思った清正は、軽く手を挙げて彼を労う。幸村も心得たもので、ぺこりと小さく頭を垂れた。丁度清正たちは曲がり角に差し掛かっていたし、幸村も清正たちとは反対の部屋に用がある様子だった。二人は歩を緩めることなく互いに背を向けたが、正則はそんな二人の様子が少々不満なようであった。
「なんだ、余所余所しいな幸村の奴。仮にも恋人だろ」
お前も馬鹿な噂に踊らされるな、と言いたいのをため息で流して、足を速める。今日中にまとめてしまいたい案件があったから、世間話の時間が少し惜しかった。
「馬鹿、違う」
「へ?そうなの?」
正則は小走りで清正に追いつき、歩調を合わせながらも、清正の顔を覗き込むように、少しだけ前のめりになっていた。
「俺はお前らがくっ付いたって聞いたんだけど。流石幸村だよなあ、三成よか清正選ぶんだからよぅ」
「そうじゃねぇって言ってんだろ」
「じゃあ真実は?」
言わずともいいが、言ってもいいか、程度のものだった。口を閉ざす理由も、口を開かない理由と同じくらい思いつかなかったが、正則がしつこく付きまとうことだけは経験則から容易に想像がつき、清正は今日何度目か分からないため息と共に言葉を吐き出した。
「徳川と険悪になってすぐの頃だったか。告白はした。だが、」
「だがってなんだよ。歯切れ悪ぃな。で?で?」
あれはなんと言い表したものか。戦が始まる空気は肌で感じていても、今のような忙しさではなかった頃だ。まだ清正の眸が恋を見つめていられる程度に余裕があった頃のことだ。どれほど前の話だったか。まだ大坂城が桜で包まれていた季節だったろうか。
幸村は清正の言葉に頷きもしなければ、首を振るでもなく、清正に背を向けたまま、空を見上げいたように思う。その眸は目蓋が下ろされていたが、随分と前から、幸村の眸が見据える先は戦の真っ只中であったのだろう。
『戦が終わったら、』
幸村の第一声だった。
戦が終わったら、 終わったら、
俺はともかく、あいつはちゃんと生きているだろうか。この約束の為になんとしても生き残ってやろう、なんて、微塵も考えやしない男だ。ならば、この口約束はなんであろうか。ちっとも彼の枷になりやしない。ああそれは、俺も同じか。あいつの為に生き延びてやろうなんて、これっぽっちも頭に浮かばなかった。勝つために戦って戦って戦って、負ければ死ぬしかあるまい。だから勝つしかないのだ。俺が守りたいものを守る為には、もうそれしか手段がないのだ。そうして勝った後に生きていたら御の字ではないだろうか。
正則が、どうしたんだよ、どうなったんだよ、と先を急かす。どうもなりはしていない。自分たちは最初から最後まで、互いを慈しむように愛することが出来ないようになっているのだ。それを、この男は理解するだろうか。まあ、しないだろう。しない、という確信を持ってしまう程に長い付き合いになっていた。なれば、どう言ったものか。いっそのこと、そのまま教えてやろうか。秘密でもなんでもない。幸村が人を愛するということはそういうことで、清正もまた、そういう風にしか人を愛することが出来ない。清正の想いを正則が知っている以上、彼の告げた言葉がどうであれ、そういう覚悟の上だということがばれていると同義だ。ああけれども、正則はそういう風にしか愛することの出来ない人間を理解出来ないのだ。理解出来ないことを噛み砕いて説明することは、非常に面倒だ。
「……戦が終わったら、教えてやるよ」
なんだよ、ケチー!と正則が横で騒ぎ立てる。清正はそれを鬱陶しそうに払いのけながら、ゆっくりと目蓋に焼き付いている情景を思い浮かべる。
幸村はこちらに背を向けたままだ。腕を掴んで顔を覗き込むことも出来ただろうに、清正は凛と伸びた背筋を、一切の澱みのない声を、好きだと感じた彼の全てをただただ眺めていた。
『わたしは、同時に二つを想うことが出来ません』
それは清正も同じだ。あの時はまだ戦の気配が迫っているだけであったが、今ならば幸村の言葉はよくよく分かる。今は、なんだって戦の二の次になる。幸村は、二の次になるどころではない。戦しか、眼中にない。戦しか、見つめていない。それ以外のすべてが彼には背景になった。他のものが割り込む隙間など、一縷たりともありはしない。もののふの鑑のような男だ。炎のような、水のような、空気のような、そんな男だ。そんな幸村のことを哀しいと言う人間もいる、置いて行かれる者がいることを考えないのかと詰る人間もいる。それでも幸村は笑っているだろう。他の人間の言うことなど気にも留めず、わたしはわたしが信じた道を真っ直ぐに、愚かな程真っ直ぐに、突き進むだけです、と、きっとそう言うだろう。幸村は誰もがなれなかったもののふの理想だ。誰もが一度は、そうありたいと願った姿だ。だから、どんな悪態を吐いていた者でも、最後には決まって言うのだ、あの男の生き方は美しい、と。
『わたしの心に在るのは、常にたった一つだけです。それでもいいと言うのであれば、"そういう風"でもいいと言うのであれば、』
彼は戦に執着している。愛していると皮肉ってもいい。戦に向ける情熱は、文字通り命がけだ。真田幸村という存在全てを燃やして、彼は戦を愛している。幸村はそんな愛し方しか出来ないのだ。二の次三の次?そんな片手間な愛し方など、彼は出来やしないし、許してもくれない。そんな柔らかな愛を、彼は望んではいない。幸村は命を差し出すのだ。だってこの男が人を愛するということは、そういうことだ。彼が人を愛するということは。
それならば、それならば、同じものを差し出さなければ、帳尻が合わない、釣り合わない。彼の情熱に負けてしまう。そんなものは嫌だ。清正は昔から、人一倍負けず嫌いだった。
『戦が終わったら、
わたしたちが、まだ、生きていたら、
その時は―――――、
あ た し の 心 臓 あ げ る
インスピレーションはそのまんま、黒木/渚さんの『あたしの心/臓あ/げる』です。
テレビで、このワンフレーズに一目惚れしました。このラストから追いかけて設定を捏ねたので、色々ご都合主義です。
うちの清幸はお互い一歩も引かない攻め×攻めなので、毎回こんな感じになっちゃいますが、少しでも共感して頂けると嬉しいなあと思います。
16/01/22