一、 うつくしいものに取り憑かれている 武蔵と幸村 高校時代
二、 「もう、」の台詞を何度飲み込んだだろう。 政宗×幸村 日常の一コマ
三、 連立する必要がりますか? 三成と幸村 偶然街で会いました
四、 ルームミラー越しに目が合う 景勝と幸村 日常から一歩ズレた日常
五、 ひりひりと痛む古傷など、いっそ新しいものに 兼続と幸村 三成との出会い
六、 閉ざしたはずの目蓋 左近と幸村 再会
うつくしいものに取り憑かれている
武蔵が屋上に逃亡をはかれば、彼はいつだってそこに居た。あたたかな春の日も、灼かれるように暑い夏の日も、遠目に見える山々が紅く染まった秋の日も、身を切るような冷たい風が吹きすさぶ冬の日も、彼は変わらずそこに居た。体操座りをして、じっと校庭を眺めているのだ。仲良くなるにも二人には会話がなかったし、彼が武蔵の存在に気付いているのかすら怪しかった。それぐらい、彼は武蔵に無関心だったのだ。互いの名前を知ったのは、初めて会ってからうんと時間が経った頃だ。その時すら、武蔵は彼の名を名字だと思っていて、無遠慮に馴れ馴れしく彼の名を連呼したものだ。だってあの何者も寄せ付けぬ一匹狼の生徒会長が、まさか他人の名を親しげに呼び捨てるなど、考えもしなかった。
今日も彼はやはり屋上に居て、定位置の貯水タンク側の壁にもたれながら体操座りをして、じっと校庭を見下ろしている。テスト期間中につき、そこに人影はほとんどいない。
「この前、」
彼との会話はいつも唐突だ。武蔵は鞄からスケッチブックと筆ペンを出しながら、「ん?」と相槌を打つ。この男は、武蔵が反応をしなくても、喋りたければ喋るし、途中で会話が厭になったら黙り込むという、なんとも自分勝手な男であるから、武蔵の相槌は大して必要なかっただろうけれど。
「お前がちゃんと描き上げた絵を、初めて見た。」
きっと文化祭の展示のことを言っているのだろう。武蔵は今度は言葉を返さず、腕の動くに任せて、さらさらと真っ白のキャンパスに心の中で蹲っているもやもやを吐き出した。
「やっぱり、お前の絵が好きだなと、再確認した。」
「そうかよ。」
武蔵の声には、感情がこもっていない。大概、彼の"好き"は当てにならないのだ。前も、何の絵も描かれていない真白な扇子の骨格を指でなぞりながら、『好き好き大好き愛してる』と、ノンブレス且つ無表情で呟いていた。その扇だって武蔵の私物だ。100円どころかタダでもらった出来損ないだ。それに対しての熱烈な大告白を知っている身としては、素直に喜ぶことができない。
「俺はやっぱり、お前の書く文章は好きになれそうにないけど。」
武蔵は彼が書き殴った文章の一部を思い出す。詩というには長々と書き綴られていた一文は、けれども小説の一片と呼ぶにはあまりに表現が抽象的で要領を得なかった。けれども彼は、
「その方が良い。よっぽど健全だ。」
などと言うのだ。武蔵は釈然とせず、ただ絵を描くことに意識を集中させるのだった。
そして現在。
武蔵は伸びをしながら、横で丸まって仮眠を取っている彼をちらりと見た。相変わらずの不摂生で、顔色は決して良いとは言えない。元々の身体が丈夫なのだろうか、二、三日食べない生活が続いても、彼は過度に痩せた試しがない。スマート、細身、などという言葉できれいにまとまってしまえる体形だ。
武蔵は彼の身体を跨いでトイレへ向かう。用を足し、また彼の身体を跨ぐ。どうやら彼は、寝返り一つしていないようだ。紙束の海に溺れながら眠る彼は、武蔵の記憶と寸分の違いもない。いや、少しばかり表情豊かになったような。それは自分も同じだろうか。
ふと気になって、その海の中から一つ、水を掬い上げる。武蔵はまともに彼の書いた話を読んだことがなかった。彼がどのような思いで書いたのかは置いておいて、武蔵にとって彼の文章は、己への誹謗中傷の嵐としか感じられなかったからだ。彼の小説を読んで苦しいなあと思う人間は、案外に多いのではないだろうか。
拾い上げた紙切れはひどい走り書きだったが、同じような人種である武蔵は何とか文字を汲み取ることが出来た。
『胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか』
やはり幸村の書く文章は好きになれないな、と痛感しながら、武蔵はその一片を、埃の被った物置と化した机の引き出しに強引に押し込むのだった。
***
最後の『胎児よ〜』は夢野久作さんの 『 ド グ ラ ・ マ グ ラ 』 からの引用です。私はこの詩を初めて目にした時、何故だか鳥肌が立ちました。
08/11/31
!注意!
今の自分が書ける限界のエロスに挑戦してみた話なので、ちょっとそっち要素があります。
じゅ、十五禁ぐらい、だと思うけれども。こういうのの区切りがいまいち分からないです。
なので、苦手な方はもちろん、義務教育を終えてない方は出来れば回避して頂きたいです。
だいじょぶ!って方はスクロールどうぞ。
「もう、」の台詞を何度飲み込んだだろう。
『小さな死、という言葉を知っていますか?』
あの男は、ベッドに押し倒されたその後の展開も察知しているだろうに、慌てた様子すらなく、そう己を見上げながら問いを投げ付けた。ああ、ああ、よく覚えている。一字一句間違えることなく、よくよく記憶している。
『事後は、死を思わせる程の深い眠りにつくと聞きました。そんな眠りから目覚めなければならない苦悩を、あなたは考えたことがありますか?わたしは一度だって、そんな絶望を味わいたくはないのです。』
政宗が目を覚ました時、まだ幸村は隣りで寝息を立てていた。同じベッドに入って眠るのは、何もこれが初めてではない。あえて否定はしないが、周りから自分たちは、付き合っているのだと思われている。政宗は目の前にある幸村の丸まった背中を視線でなぞりながら、ふと考える。付き合うとは、どういう関係のことを指すのだろうか。一緒に居ること?世話を焼くこと?それとも、こうして夜を共にすることだろうか。だが残念なことに、そういう意味で二人は閨を共にしたことはない。はっきりと言おう。政宗は幸村とセックスをしたことがない。こうして同じベッドに入り、決して短いとは言い切れない時間を共に過ごしておきながら、だ。付き合うとは、どういうことだろうか。同性間のセックスに性欲処理以外の役割があるのか。
取り留めのないことを考えながら、手持ち無沙汰となった指を幸村の髪に絡める。不健康な生活ばかり送っている幸村の髪の手触りは決して滑らかではないが、政宗は案外この感触が気に入っている。撫でる度に政宗が買い与えたシャンプーの香りが鼻をかすめるのも何とも嬉しい。
政宗は横たえていた身体を起こして、幸村の顔を覗き込んだ。政宗は、ずっと恋をしている。もう何年経っただろう。報われない恋だと、政宗自身分かっているのだ。政宗は幸村の隣りにあの男が存在していた時から今日まで、ずっとずっと幸村に恋をしているのだ。幸村に一目惚れをしたあの日から、この気持ちは全く変わらない。しかしながら、その幸村を見ていると、つくづく恋は一人でするものだと思うのだ。もしもこの恋が通い合ったのならば、それは初めて恋愛という言葉になるのだろうか。いいやそんな単純なものではないだろう。人の心の複雑怪奇な様は、この世の永遠のなぞなのだ。
飽きもせず幸村の髪を撫でていると、政宗の手の動きに目が覚めてしまったのか、幸村が身じろぎをした。政宗に背を向けたまま、寝言のような呻き声のような呟きを発し、数瞬の沈黙の後、ベッドのスプリングに腕を立てて、僅かに身体を起こした。膝をついた腕立てをしているような格好でしばらくぼんやりとしていたが、まだ眠気に勝てなかったのか、ぼふりと顔から枕へダイブした。
「幸村。」
と声をかければ、返事をしようとしているのか、政宗の方へ身体を転がしてきた。だらしのない格好の幸村を目の当たりにする度に、どうして自分はこの男が好きなのだろうと思ってしまう。清く正しく美しくを体現したような、やわらかな微笑で佇む幸村に恋に落ちたというのなら、その後に見た、彼の生涯の中で最も"ひどい"時期を知っている政宗は、恋から冷めなければならないはずだ。
もう一度、幸村の名を呼び、同時に彼の頬に手を伸ばす。無防備な彼の頭を引き寄せるのは簡単だった。口を合わせても抵抗は一切なく、半開きになっていた口内に舌を入れるのも容易だった。そろりと口唇を舐め、歯列をなぞり、縮こまっている舌をつつき、戯れに甘噛みする。絡み合った唾液の水音は妙に生々しく、行為以上のことしているように錯覚した。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、お互い、吐息になる前の振動を交換し合う。どちらのものとも知れぬ唾液は二人の間を行き来して、口の端から零れた。とうとう口腔に溜まった唾液に我慢しきれずに嚥下するのを、彼の喉をやわく撫でていた手のひらが感じ取った。二度、三度、幸村の喉が上下する。忘れていた、唾を飲み込むという行為を思い出したかのような躊躇いのない動きに、政宗はようやく口を離した。互いの舌が紡ぐ銀色の糸は、繋がることなくあっさりと切れてしまった。
幸村は口の端の唾液を指で拭いながら、ぼんやりと政宗を見つめる。政宗が、もう一度彼の身体を引き寄せようと力を込めたその時、幸村はさっと身を引いて、ベッドから抜け出した。政宗の手が虚しく空を掴む。
「目が覚めました。朝食はわたしが作ります。」
そう言って顔色一つ変えずに、さっさとスリッパに足を突っ込み、床に放ってあったカーディガンを羽織った。その間に政宗も身体を起こし、幸村の動作を見つめている。
「待て、幸村。」
言葉よりも早く、政宗は彼の腕を掴んだ。わざと痕を付けるような、強い力だった。細い幸村の手首には、政宗の指の痕が残ってしまうだろう。
「続きがしたい。」
幸村は僅かに首を捻り、片目だけを政宗に向ける。その眸に浮かんでいる感情は、少なくとも嫌悪ではなかった。怠惰、に一番近いような気がしたが、それはいつもの幸村を知っている政宗の錯覚ではなかっただろうか。
「続き、とは?」
「わしはそなたと、セックスがしたいんじゃ。」
ふいと視線を前に戻し、腕が外れるのではないかと思わせる程強引に、幸村は政宗に掴まれている腕を振った。それは決して政宗の拘束を緩ませるような強い力ではなかったが、政宗はするりと彼の手首を解放した。はっきりとした拒絶は、伸ばす手すら許されていない気がしたのだ。
「それならば、セックスをさせてくれる人のところでお行きになればいい。」
「わしは、そなたがいいんじゃ。」
「人の身体の構造に、個性はないと思いますが。」
「わしは、そなたからの"何か"が欲しい。」
幸村はようやく振り返って、スリッパを足にひっかけたまま、ちょこんとベッドに飛び乗った。
「わたしは、あなたについては随分色々なことを許容していると思います。」
「こういうことを、か?」
そうして再び幸村の唇を奪ったが、幸村からの返事はなかった。
***
小さな死については、勝手な解釈してます。
あ、と、温くてすいません。エロが書ける人って普通にすごいと思います。
連立する必要がありますか?
この偶然は夢か幻か。そう三成に思わせるに十分な光景が目の前に広がっていた。だからだろうか、三成は迷うことなくその人物の名を呼んだ。叫んだ、に近いかもしれない。地下の駐車場に三成の叫び声はわんわんと響き渡ったが、幸運にも二人以外の人影はなかった。
急に声をかけられ、彼は幾分か驚いた様子だった。三成も彼がこんなデパートの地下駐車場に居るとは思わなかった。彼にはこういった生活のにおいが染み付いた場所は似合わない。ではどこが相応しいのかと訊かれると、答えに困窮する。三成にとって幸村は、兼続に紹介された今も、どこか遠い存在のままだ。本の中の人物とそう大して違いはない。
「買い物か?」
「あ、はい、そんなものです。」
「一人か?」
「はい。でもこれから約束があるので、もう帰らないと間に合わないんです。」
お互いにぎこちない会話を繋ぐ。三成は周りを見回す振りをして、幸村の顔をちらちらと窺った。まさにその時だ。ぐらりと、幸村が足元から崩れる。三成は咄嗟に腕を彼の身体に巻きつけ、幸村の顎を己の肩に乗せて体重を支えた。まるで頬を寄せ合い、抱き締めあっているような格好だ。
三成は彼の体温の近さに動揺して、
「す、すまない。」
と身体を離そうとしたのだが、幸村が三成の服の端を掴んでそれを拒絶した。
「ゆ、ゆきむら?」
「すいません、眩暈がしたものですから。少し、肩、貸してください。」
そうして目を閉じて、風景が回っているのをやり過ごそうとする幸村を視界の端に捉えた三成は、ただ無言で彼の眩暈が去るのをじっと待つことしかできないのだった。
そうやって彼に肩を貸していた時間は長かったのか短かったのか。三成にはいまいち判断がつかない。彼は三成の心配をよそにさっさとタクシーで帰ってしまったのだから、当事者たる人間は三成しか居なくなってしまった。
三成はぼんやりと彼が去って行った方を見つめながら、腕に、身体に残る彼の感触を、幸村の言葉を、何度も脳内で再生させていた。
成人男性の質量は痩せ型であっても結構な重みだが、それにしても、腰回りの肉付きの悪さといったらない。背骨が浮いているのではないかと懸念してしまった程だ。体温だって今の季節を差し引いても、ちょっと冷たすぎるのではないだろうか。それに、三成が不躾に訊ねた問いの返答は、あまりにも三成の心を揺さぶった。
(『愛と恋とは並び立たないものだと、わたしは学びました。』などと、言わせるのではなかった。)
ふと、兼続の言葉が脳裏を過ぎる。何やら兼続の言う通りに動いているような気がして、苛々とした気分が腹の中に蓄積されるのだった。
***
08/12/05
ルームミラー越しに目が合う
出版社に打ち合わせに来ていた幸村は、そろそろ、と腰を上げた。先程、幸村の担当である兼続は急用が出来て、飛び出すように部屋を出て行ったところだ。幸い打ち合わせは既に済んでいて、ほとんどが兼続一人で喋っていたようなものだから、支障はない。いつもならば幸村を自宅まで送り届けてくれる兼続だが、今回はタクシーを拾わなければいけない。幸村は全く減っていない己のティーカップを覗き込んで、小さくため息をついた。何かと気を遣ってくれる兼続に、どうしても居た堪れなくなってしまう。
「幸村、」
ぼんやりと部屋に佇んでいた幸村は、声がした方へ緩慢な動作で振り返った。幸村に声をかけた人物は、ドアを半分ほど開けて、身体を乗り出している。上質なスーツに身を包んだ彼は、兼続の上司であり、ここの編集長だ。名を上杉景勝と言う。本来ならば、締め切りをろくに守れない幸村が直接話を出来る人物ではないのだ。
「そろそろ帰るだろう?」
「あ、はい。」
幸村は乱雑に散らばっていた紙束を掻き集めて、適当に鞄に放り込んだ。
「俺も帰るからな、ついでに送って行こう。」
「え、そんな、いいですよ。」
「兼続もお前のことは気にしていた。遠慮するな、ついで、と言っただろう。」
そう言うや幸村が困惑していることに気付いていながら、景勝は素知らぬ顔をして、さっさと幸村の荷物を手に抱えた。そのまま、ついて来いとい言わんばかりにさっさと歩き出してしまったものだから、幸村も従うしかなかった。
寝不足な幸村に気付いていたのだろうか、あえて後部座席を勧められて、幸村はほっと胸を撫で下ろした。バックミラーになるべく映りこまないように身体を縮こませる。
「今日は兼続が悪いことをしてしまったな、あれも中々忙しい身だ、許してやってくれ。」
「いえ…、」
ちらりとバックミラーに映った彼の眸が、背後を窺うように視線が移動した。幸村は息を押し殺して、言葉を噤んだ。
「どこか、食事でもして行こうか。何か食べたいものでもあるか?」
「いえ、わたしは、」
「遠慮はしなくていいぞ。どこでも好きなところで、」
「あ、の、帰れば食事が用意してありますので、申し訳ありませんが…、」
幸村はそう言ってさっと顔を伏せた。僅かな沈黙。景勝が背後の車を確認する振りをして、幸村を一瞥した。景勝は、幸村の嘘を見抜いているだろう。幸村もまた、己の嘘が彼に見破られていることに気付いている。気付いているが、二人ともそれを嘘だと暴き立てるようなことはしなかった。景勝は一瞬の沈黙の後、そうか、と平坦な声を発して、それは残念だった、とわざとらしく笑った。幸村の性格を知っている景勝は、必要以上に幸村に干渉してくることはしなかった。代わりになる話題を探して、そう言えば、と会話の矛先を変えた。
「兼続は、お前に何か無理を言ってはいないだろうか。」
「そんなことは…、とても、とても良くして頂いています。」
「それならばいいのだが。いや、あれは中々精神的にもタフなヤツだからな、無意識に、何だその、」
「兼続さんは、よく気を遣ってくださいます。ただ、」
「ただ?」
思わず顔を上げてしまった幸村の眸を、丁度バックミラーを見つめていた景勝の視線が捉えた。幸村は慌てて顔を伏せる。表情から何か感情を勘違いされることを怖れたからだ。
「わたしにとって、人という存在は、もちろんあなたも含めて、とても眩しいんです。」
***
08/12/21
ひりひりと痛む古傷など、いっそ新しいものに
(切り取ってしまえ、焼いてしまえ、抉り取ってしまえ、どうせこれ以上悪化しまい)
「石田、三成さん、ですか?」
幸村が鸚鵡返しに問えば、兼続は大仰に頷いた。
「あの、有名な方なんでしょうか?すいません、どうも、芸能は疎くて。」
「そう言うと思ってな、これが、"彼"だ。」
兼続はテーブルに一冊の雑誌を広げ、一人の男を示した。漆黒のスーツに身を包み、こちらには視線を合わせず目線を下げて佇んでいる。見事な八頭身、すらりと伸びた手足と整った小さな顔。傲岸とも取れる表情が、絵を更に引き立てている。完成された絵画のような、雑誌の一ページとは思えない静寂な雰囲気がそこにはあった。格好良いというよりは、綺麗だな、と幸村は写真を覗き込みながら思った。
「最近知ったことなのだが、三成はお前の大ファンらしくてな。私がお前と顔見知りだと知って、一度紹介してくれと頼まれた。何度か私も断ったのだが、あいつは中々情熱的なヤツでな、お前を紹介しても良いのではないかと、私も思い始めている。」
「…わたしは、顔は出さないと、」
幸村は己のプロフィールを一切公開していない。性別すら公にしていないものだから、読者の間でその辺りの論争を呼んでいる。十代・女性と言われたこともあれば、七十代・男性と指摘されたこともある。幸村の書く話は、それほどまでに振り幅が大きい。
幸村は、困ります、と顔を曇らせれば、兼続は、そうではないよ、と笑顔で軽く手を振った。組んだ手の上に顔を乗せて、幸村の表情を窺うように、じっと視線を送る兼続に居心地の悪さを感じ、幸村は僅かに顔を伏せた。
「友人である私が言っても説得力はないだろうが、彼はそういった区別をちゃんとしてくれる人間だ。これはあくまでも、私からの、個人的なお願いだよ。」
幸村は兼続から目をそらして、さっと視線を下げた。その先には偶然にも彼の写真が広がっていて、幸村は余計に息苦しくなってしまった。
「…彼を気に入ったかい?」
「…綺麗な人、ですね。」
「ああ、性根ももちろん、綺麗だとも。」
「私は兼続さんに初めてお会いした時、こんなに綺麗な人がいるのかと感動しました。…"彼"は、兼続さんの隣りに立たれても、きっと遜色ないんでしょうね。」
幸村がじっと写真を見つめていると、視界の中に兼続の腕が介入した。そうして、つぅと写真の上を撫でていく。"彼"の着ているスーツにべったりと兼続の指紋が付いてしまった。
「それで、会ってくれるな?」
「…兼続さんには、色々とお世話になっていますから。」
そうかそれはよかった!ありがとう!と兼続は勢いよく立ち上がった。
「…ただ一つだけ、約束してくれませんか?」
「ん?」
「もっと明るい、読んでいて楽しくなるような小説を、彼に紹介してください。」
兼続は一瞬返事を躊躇い、幸村の表情をまじまじと眺め、苦笑交じりに、承知した、と頷いたのだった。
***
08/12/21
閉ざしたはずの目蓋
(忘れてしまいたい過去を共有している)
促されるままに、出されたコーヒーを一口含んだ幸村は、思わず顔を顰めた。そうして左近を一瞥すると、カップをさっさとソーサーに戻し、それ以上は手をつけなかった。頬杖をついて幸村を眺めている己を視線に入れないように、足元の上質なカーペットを見つめている。あの不機嫌そうな顔は、左近が淹れたコーヒーが不味かったせいではない。味音痴ではないのだが、不味いものも平気で食べてしまう性質の人間であったから、一々コーヒー一杯の味に表情を変えるような殊勝な性格ではない。
出した時と中身がほとんど減っていないコーヒーの水面を覗き込むように、僅かに身を乗り出して、左近は口を開いた。
「インスタントコーヒー スプーン一杯半に対して、黒砂糖一杯、角砂糖二粒、さらにクリープも一杯半。」
幸村は微動だにしない。黙々と左近の言葉が終わるのを待っている。自分だって、こんな話がしたいわけじゃない。だが、目の前の男は確実に己との会話を拒んでいる。拒絶している。いいや、左近を疎んでいるわけではないのだ。この世界全てが煩わしいのだ。だからこそ、この世界のたった一粒一片というちっぽけさではあるけれど、それを成している左近も自分自身も疎ましいのだ。
「これは最早コーヒーじゃない。糖分が過剰に溶けた泥水だ。」
コーヒーの中でわだかまっている糖分は、どろりと左近の脳内に広がっていく。
「何度だって繰り返した会話だ。覚えてるか?お前はいつも決まって、」
「忘れてしまいました。もう、遠い昔の話ですから。」
左近の言葉を遮って、冷たい声で言い放った幸村は、さっと腰を上げた。左近も慌てて立ち上がる。
「アポイントもなく失礼しました。三成さんがいらっしゃる時に、また伺います。それでは。」
「なあ、お前をそうやって かろうじて 繋ぎとめてるヤツは誰なんだ?」
スッと目を細めて、幸村は左近を見た。まるで見透かされるような、そんな錯覚を抱く。幸村の少年期を知っている左近は、幸村の多くの表情を知っているつもりだったが、こんな顔は見たことがなかった。時の流れが、彼を歪めてしまったような気すらした。左近の知っている幸村は、生気に満ち明るく輝いていたはずなのに、今となってはその影すらない。生きていることを忘れてしまっているかのような翳りのある表情は、過去を知っている左近を何故だか哀しくさせた。
「あえて、言うのであれば…、政宗さん、でしょうか。」
「あの坊ちゃんは、まだお前に入れ込んでるのか?」
「…政宗さんは、気の毒な被害者ですよ。つくづく、そう思うんです。」
そうして幸村は、左近が呼びとめるのも聞かず、さっさと退室して行った。残されたコーヒーに沈んでいる糖分の塊の行方を憐れんではみたものの、それが己とどう違うのかはっきりとした言葉に表せない葛藤を、左近は何故だか哀しく思うのだった。
***
08/12/21