「三成どのの、」
 幸村は一旦そこで言葉を切り、息を大きく吸い込んだ。言葉を吐き出すという行為を、呼吸するようにしていたのは彼であり、幸村はこうして気を入れなければ、思いを吐露することなどとても出来ない。
「三成どのの勝利を信じた私は、あなたの眸には、とても愚かに映っていたことでしょう。」
「いいや、そんなことはないよ。お前の心はいつだって真っ直ぐで、私の目にはとても喜ばしく映る。魂が気高い証拠だ。ただ、」
 幸村は、きっとその先を知っている。彼の理想郷とはすなわち三成の理想郷であり、けれど、それを"理想郷"だと信じきってしまっているのも彼であった。理想は理想ゆえ、現実にはならぬ。その線引きをしてしまったのが兼続であり、三成は、理想を現実にした男に仕えていたからこそ、夢物語という言葉を知らなかった。理想郷とは、いつかは己の手で築くものである。それが三成であった。幸村は、その違いに兼続が何を思い考え、三成にどう接していたのかまでは知らない。嘲笑っていたのか、同情していたのか、ああお前ならば、と期待をしていたのか。どれかでもあり、どれでもないように思えた。
「ただ、一つだけ、お前の醜いところがある。三成という虚像を、盲いた眸で崇め続けたことは、あまりにも俗物染みて、お前らしくはなかったよ。」
 幸村は心の中でもう一度、三成どのの、と繰り返した。兼続はゆっくりと微笑みながら、ああ違う、お前はきっと勘違いをしているよ、と優しく言った。直江兼続という男の矛盾は、言葉と表情が食い違ってしまうことにあるのかもしれない。
「人として三成を信じたことは、とても素晴らしいことだ、良いことだ。お前の言葉を借りるのであれば、また会えることを根拠もなく信じたお前は、人として正しい、ああ正しいとも。それがいかに無根拠であったとしても、そう信じる心こそ人の美しさであろう。」
 だが、と兼続は更に言葉を続ける。言葉とは何であろうか。彼をこうまで縛り付ける、言葉という薄っぺらな―――。

「お前の不幸は、そうやって無根拠に信じた人間が石田三成であったこと、そして、私という人間がお前たちの間に入ってしまったことだ。」






『汚れなき悪意』 【.hack//Roots O.S.T.2】収録













































「久しぶりだねぇ。」
「ええ、兄上もお変わりなく。」
「何が"お変わりなく"だい。私はうんと歳をとってしまったよ。それに、右近が最近特にうるさくってねぇ、風邪をひくから外出は避けてくれ、だなんて言うんだもの。私だってねぇ、好きで風邪を拾ってくるわけでも、寝込んでいるわけでもないのにねぇ。」
 信之が肩を竦めれば、幸村はふふ、と笑みを漏らした。なんだい、私は何一つ面白くないよ、と信之は言うが、顔は笑っていた。幸村の次の言葉に気付いているのだろう。
「ほら兄上、お変わりない、でしょう?」
「ああそうだ、そうだねぇ、私が身体が弱いのも、右近が妙に過保護なのも、もうとうの昔からの話だものねぇ。」
 信之はそして、幸村の頭を撫でた。手習いが上手く出来た時など、こうして相手の髪に触れたものである。いや違う、それはあくまで理由だ。ただただ、信之は純粋にこの弟に触れたくて触れたくて仕方がなかったのだ。愛でていたかったのだ。
「幸村、」
「はい。」
(ああ何も言うまいよ、お前の決めたことだ、何も言うまいよ。けれど口には出さずとも、私の最後のお小言を、お前はちゃんと聞いておくれよ。)
 信之は決してそれを口にしない。だが、幸村は信之の目を見、嗚呼!と心の中で呻いた。信之の思いが、手に取るように分かるのだ。
(私だって出来ることなら、兄上に弱音を吐いて慰めて頂きたいのです、ああけれど言いません。兄上が折角許して下さったのですから、私は決して兄上の許へ逃げ帰ったりはいたしません。)

 二人は顔を見合わせ、ふ、と呼気を漏らして笑った。今、この瞬間の、何と穏やかで甘やかな空気ときたら。






『月光夜』 【Noblerot】【神々の黄昏】収録












































 地を這いながらも生き延びる道に、生命そのもののしぶとさを感じられる、美しいとすら、武蔵は思う。必死に生きる人間は、皆きれいだ。それをこの男は醜いと言った。一度そうして生き延びてしまった男である。幸村は言った。そうまでして生き延びてしまったからには、清々しく散るべきだと。

「なあ、生きることと死ぬことが同義になるって、それってどう考えても矛盾してねぇか。」
 けれど目の前の男は、ああそうだな、と笑いながら頷いたものの、武蔵の言葉に応などと塵芥程度も思っていないのだ。そういう男だ。言葉なぞ信用できぬ、その顔に貼り付けられた笑顔など、とんと信用できぬ。ではどうすればいいのだろう。武蔵がこの男と思いを明かし合うには、その信用できぬ道具を使わねばならない。ああどうしたら。
「だが武蔵、人の思考とは常に難解だ。ならば、言葉二つが矛盾をしていた程度、人の複雑さを思えば当然のことではないか。」
 武蔵は己の言葉をやんわりと否定されたことよりも、生と死の問いを"言葉二つ"と味気ない、素っ気無い、命のにおいがまるでしないくくりにされてしまったことが悲しくて、思わず目を伏せたのだった。






『春蚕』 【薔薇架刑】収録