「お前の言葉は正しい。だが、」
「正しくても間違っててもいいんだよ。お前を説得できる言葉こそが、今の俺にとっちゃあ一番だ。」
 『説得!』武蔵は己の口から飛び出た単語に、心の中で動揺した。なんだその作り物めいた響きは。幸村が俺程度の言葉で思い直してくれるものか。この男はもののふなのだ。武蔵が剣を捨てられぬ以上に、血といわず肉といわず、五臓六腑に染み渡っている性質であり、病だ。
 幸村は困ったなあ、と言いたげに笑った。困った時は困ったと言えば良いものを、この男はその程度の弱音は吐かない。そもそも、武蔵は幸村の弱音を聞いたことがない。無理であれば無理と言え、出来ぬと思えば出来ぬと言え。そういう簡単なことが、幸村はできない。しない、のではない。出来ないのだ。そうやって、淀の方に言われるまま、戦に勝て徳川に勝て内府の首を挙げよ、そう暗示をかけられ、その指令が達成できぬ故、幸村は死んでしまうのだ。簡単なことだ。武蔵にとっては至極簡単なことである。戦には勝てぬ。徳川には勝てぬ。家康の首を挙げるなど、秀頼が出陣する以上に難しい。そう言ってやれば良い。簡単なことだ。それをこの男は出来ぬのだ。もののふの、理解できぬ意地であるらしい。
「そうしたら、お前の中の凛とした正しさがどこかへ消えてしまう。」
 無理か?と問う。幸村はその言葉を直接返さず、こればかりは、と言葉を濁す。もののふは、偉いさまの我儘は聞いても、士兵の言い分には頷けぬ性分であるようだ。何て意地の悪い。
「うそでお前が繋ぎ止められるなら、」
 ああ、駄目だ。それは違う。それでは本末転倒だ。武蔵がぐるぐると思考を回している間、幸村はまた、困ったなあと笑みを作った。
「お前から武蔵らしさを奪ってしまっては、それこそ私の望むべきところではない。」
 そうだ手合わせをしよう、考えていたことが綺麗に吹き飛んでしまうぞ。幸村がいつもの調子で言うが、流石の武蔵も、この時ばかりはその誘いに乗ってやることができないのだった。






『意識』 【加爾基 精液 栗ノ花】【平成風俗】収録












































 孫市は暇を持て余し、大坂城内を回っていた。女の数が多い。秀吉が生きていた頃からその傾向はあったが、今となっては女に支配されている異様な城となっていた。ぶらぶらと陣所を覗き、知った顔を見つけては軽い挨拶などを交わした。また、戦だ。戦があるのだ。小田原の戦から何年経っただろう。関ヶ原の戦からは。長い、長い時を生きてしまった。
「孫市どの?」
 孫市は声に誘われ振り返った。随分と懐かしい声であった。沈痛さをまるで感じさせない、温かさすら感じさせる声であった。
「ああ幸村か。久しぶりだ。本当に、何年振り? それにしてもお前まで、」
「はい、誘いに応じ、入城致しました。」
「そうか、」
 来てしまったのか、と言いそうになり、孫市は慌てて言葉を切った。何年振りだろうか。記憶の中の幸村と然程変化はない。変わらなかった、とも、変われなかったとも言えた。いいや、正しく言おう。この男は変われなかったのだ。己と同じである。今もこうして、ぷらぷらと秀吉に縋って傭兵を続けている。だが、目の前の男は武家の男であった。だからこそ、己と幸村とでは違っていなければならなかったのだ。乱世の盛りを生き延びねばならなかった孫市は、傭兵としてむしろ時代に正しく流されたと言うべきだろう。だが、この男は抗った、流れに逆らってしまった。抵抗せずとも生きられたであろうに。最後の最期まで、己であることの誇り胸に抱き散ってしまうのだろう。だが幸村知っているか。生き方を変えようとも、それこそ息を止めようとも、陽は昇るし空は青いし、時は簡単に流れてしまうのだ。この男は、それを知っているのか。そんな簡単なことを、もしかしたら、本当に知らずに生きてしまったのではないか。

 孫市はそれ以上の言葉を紡げず、それじゃあ戦の時は頼む、と素っ気無く言葉を返し、その場を後にしたのだった。






『同じ夜』 【無罪モラトリアム】【絶頂集】収録













































『ああ、本当によかった。』
 そう、さぞかしほっとしたように絞り出した声を聞く度、三成は己の性ではないと分かっていながら、彼にくどくどと説教なぞをしてやりたくなる。生きていてよかった、と相手に思うのはお前だけの特権か?お前に関わってきた人間は、そんなにも冷たい人間だったのか。違うだろう、違うだろうに!なぜその矛盾を悟らぬ見ようとせぬ。お前がよかったと安堵の息を漏らしたその思いを、同様に抱く者がいると、お前にそれを思うのだと、どうして。

 三成は、幸村の名を呼ぼうとして止めてしまった。生憎、三成は生を絶望する程の挫折を味わったことがない。ああ絶望とは何であろう。希望とは?長篠など糞喰らえだ。信玄公はそんなにも眩しい存在だったのだろうか。ああそうだろう、そうだろうとも。俺にとっての秀吉さまのようなものか。それならば、うん、あるいは、そうかもしれぬ。だがお前は、そんな眩いものを直視し過ぎたせいで、目が焼かれてしまったのではないか。さあ前を見ろ、現実を見ろ、命の輝きを、俺の顔を見てみろ、いや、今はやめてくれ。

「三成どの、」
 なんだ、と三成は視線を向けた。躊躇うような手付きで、幸村は手を伸ばした。頬に、冷たいのか温かいのか分からぬ、幸村の、間違いなく幸村の指が触れた。
「もう、大丈夫ですから。」
 ああ泣いてなどおらぬ。たとえ泣いていたとしても、この涙は決して俺の為のものではなく、俺の命が永らえたことへの歓喜ではなく、ただお前にこの思いが通じぬことへの歯がゆさだ。それをこの男は生涯悟らぬのではないか?と勘ぐれば勘ぐるだけ、三成の涙は止まることがなかった。






『闇に降る雨』 【勝訴ストリップ】収録