「幸村、幸村、生きているか、ああ生きているな、ああ、ああ、」
三成は幸村の姿を見つけるなりよろよろと駆け寄り、戦の汚れが移るのも構わず、幸村をぎゅうぎゅうと抱き締めた。幸村の手すらろくに握れぬ人間であったから、戦の熱というものはまこと計り知れぬものである。いいやこの場合は、生命の歓喜がそうさせたのであろうか。
「三成どのの方が傷だらけですよ。」
大丈夫ですか?と幸村が問うが、三成はああ生きているな、と繰り返すばかりで、どうやら会話は望めないようだ。
「俺は勝った、勝ったぞ、」
このはしゃぎ振りときたら。まるで子どものようである。いいや、この人は子どもなのだ。限界を知らぬゆえ、どこまでも遠くを見据え、常に進もうとしている。
「三成どの、」
先程まで、幸村をぎゅうぎゅうと抱き締めていた腕から、ゆっくりと力が抜けていく。ようやく落ち着いてきたらしい。周りが見えるようになってきたようだ。そして今の己の状態を知ったのだろう。なんて、眩しい人だろう。私はこの人の為に命を賭けたのだ。なんて、誇らしいことだろう。
「ゆ、幸村、すまぬ、今離すから、離すからな。」
逃げ腰になる三成を、幸村が慌てて引き止める。三成どの、ともう一度呼べば、合わせていた心ノ臓から相手に言葉が伝わった。
「戦で疲れてしまいました。もうしばらく、もたれさせて下さい。」
三成は耳の裏を真っ赤にさせていたがその腕は離さす、幸村は三成の呼吸に目を閉じたのだった。
『手の鳴るほうへ』 シングル【陽の照りながら雨の降る】収録
少し、言葉遊びをしましょうか。幸村は政宗の陣に忍び込むなりそう言い、それきり口を噤んでしまった。政宗は、幸村の突然の来訪にも驚かなかった。ああこの男ならば、この程度ことはやってしまうだろう、とどこかぼんやりと思った。政宗同様、人の虚を突いて楽しんでいる節があるのだ。
「文を、読みました。」
「そうか。わしはてっきり、そなたが破り捨ててしまったのかと思うたぞ。返事の一つも寄越さぬとは、いい度胸じゃ。」
「文を書いておりますと、直接にお顔を見たくなってしまいます、文字になどせず、己の口からそれを伝えたくなってしまいます。ですから、返書は控えたのです。」
幸村はそう言うが、政宗は幸村特有の嘘である、と思っている。嘘、と言っても、偽りではない。確かにそれは幸村の本心であり、ついと出た言葉であろう。しかし、それが全てではない。それ以上の理由が幸村の心理の奥深くに存在しているのだ。表面上の、かさぶたのような言い訳では政宗は満足しない。嘘ではないが、だが、まことでもない。政宗は、ああ、こやつもとうとう疲れたのか、とその横顔にようやく人らしさを見出した。幸村は、政宗との本音の化かし合いに疲れたのであり、また、政宗との本心を隠した、けれど色恋の空気を滲ませたやり取りに疲れてしまったのだ。うつつを抜かしている場合ではない、もっと、それ以上に夢中にさせるものを見つけてしまった、取り戻してしまった。幸村は、政宗との恋の終わりを願っているのだろう。
「忘れてしまってください。恋すら厭わしくなった私など、どうぞ斬り捨ててください。」
「そなたは、おそろしい生き物じゃ。」
「そうでしょうか。私にとっては、あなた様がおそろしゅうございましたよ。」
政宗は、未だ幸村への執着が恋だと確信していない。ただただ、幸村の存在が空気が雰囲気が魂が、政宗には好ましく映った。肉欲的なものを伴わずとも、人をこうも急き立たせることができるのかと、政宗自身が思った程だ。真田幸村という男を求めた。それはそれは純粋に、獣の親子兄弟が寄り添うような自然さで、政宗の心を支配した。この感情を幸村は何と言っただろうか。政宗は、何と呼んだだろうか。
「慕情です。私はあなたに慕情を抱いていたのでしょう。ですが、今となっては、その感情すら翳んでしまいました。ならばいっそのこと、こんな感情など風化してしまえばよいのです。その後に残るのは何でしょうか。」
幸村の目が真っ直ぐに政宗を射抜く。この男は、いつも隠された右目をじっと見据えていた。もしかしたら、失くした右目がこの男には見えていたのかもしれない。その右目は美しいか醜いか。お前は、おそろしゅうないか。
「ですから、どうせ忘れてくださるならば徹底的に。私の存在すら風化させ、どうか葬ってくださいませ。」
「出来ることなら、とうにそうしておるわ。」
幸村は政宗の言葉に、お優しいことをおっしゃる、と満足そうに笑うのだった。
『風化風葬』 【サングローズ】収録
「幸村、」
そう名を呼ばれ、幸村は目に見えて動揺した。選りに選って彼に見つかってしまうとは。幸村は動きを止めて、ゆっくりと振り返った。
「少し休んだらどうだ。鍛練に精を出すのは結構だが、朝から休憩すらしてないらしいじゃないか。」
「そんなことは…、」
幸村は言いよどむが、反論らしい反論が出来ない。左近の言葉の通りであるからだ。相手が三成であったのならば、幸村もそれらしい嘘をついてしまうかもしれない。だが、相手が左近である以上、それは出来ない。見破られる為の無様な嘘をつける程、幸村の面の皮は分厚くはない。
「なら、今休め。ほら槍をそこに置いて。茶も菓子もないが、一息つくだけならいいだろう。」
左近は言いながら、幸村から槍を奪い取り、無造作にぽいと投げ捨てた。幸村は視線だけでその動きを追う。そして腕を引かれるままに、屋敷へと追い上げられ、腰掛けざるを得なくしてしまった。
ぼんやりと外を眺める。良い天気だ、気温も丁度良い。こんな日はじっとはしていられない。何かしなければ、どうにかしなければ、持て余した思考の末、幸村はいつも槍を振るっている。身体を動かすことは、鍛練という言葉に直結して、とても単純で楽であった。
「そう必死に掴まえようとしなくても。お前が思っている程、この好日は儚くはない。」
幸村はゆっくりと視線を左近へと向けた。だが左近は、先の幸村同様、外をじっと見つめていた。
「そう思っていたものが、いとも簡単に失くなってしまいました。」
あっと思った時にはもう遅い。幸村が慌てて口を閉ざしても、言葉は音になって左近の耳に届いてしまった。これではただの八つ当たりだ。けれど幸村は繕うべき言葉を忘れて、困惑した果てに視線を地面に落とした。女々しいことを言うものだ、と思われただろうか。しかし左近は、幸村の失言にも顔色一つ変えず、そうかねぇ、と間延びした相槌を打った。
「少なくとも、殿は目を離した隙にどこか遠くへ行ってしまえる程、器用ではないだろう。」
言って、左近は掛け声と共に立ち上がった。仕事の合間であったのだろう。
「幸村、」
「、はい。」
「泣きたくなったら、いつでも来な。」
「は、え、ちょ、左近どの!!」
「それじゃあ俺はこの辺で。仕事放っぽって来たからな、このことは殿に内証で。」
言うなりさっさと立ち去ってしまった。幸村はしばらくぽかんと左近のいなくなった方を向いていたが、じわりじわりと左近の言葉を理解し、膝を抱えてしまったのだった。
『しなやかな腕の祈り』 【ラプンツェル】収録