夢で逢いましょう、必ず逢いましょう
「幸村。」
と名を呼ばれた気がした。その声はあまりに耳に馴染んでいたが、幸村は夢の名残だと思って振り返らなかった。
「幸村、幸村。」
繰り返し呼ばれたが、それでも幸村は、未だ自分が夢の中の彼の声を、あまりにも不安定な器官である脳が発している声なのだと思った。色濃く残っている夢の残滓は、幸村の心どころか意識すら、もっていっていまいそうだったのだ。
何度呼ばれただろうか。耳鳴りのようだ、と幸村が首を振ったその時、名を呼ぶ声がとても近くから聞こえたかと思うと、腕を掴まれた。ふわりとかすかに鼻腔をくすぐる香りは、彼が好んで焚き染めている香のものだった。
「具合でも悪いのかい?」
覗き込んでくる眸に、幸村はこの時初めて、あの声が現実のものだったと悟った。
「けいじ、どの、」
おうよ、どうした?と慶次は豪快に笑ったが、幸村は二の句が継げなかった。夢だろうと思った。けれどこの感触は明らかに現実のものだった。いや、それとも。声すら誤魔化してくれるこの脳は、触覚すら簡単にすり替えてしまうのかもしれない。
ぼんやりとした幸村の様子に、流石に心配になった慶次が、その掌を幸村の額にあてようと試みた。だが幸村の額には既に鉢巻が巻かれていて、これでは熱が測れない。
「けいじどの、」
うん?と慶次は先を促す。
「ゆめを、見たのです。あなたが私の夢に出てきました。」
男前だったかい?
茶化すつもりで慶次はそう訊ねたのだが、幸村は悲しそうに瞳の奥の感情を震わせて、
「…はい。」
と頷いた。
それはよかった。と、どうも調子の乗らない幸村を励まそうと口を開いたが、幸村は覚束ない口調から抜け出せない。
「酔ってしまう程、でした。
嘘のように優しくて、嘘のように酷い方でした。」
まだ夢に取り憑かれている。これではいけないと、慶次は掴んでいる腕に力を込めた。途端、幸村はゆっくりとその眸に光を宿していく。戻ってきたのか、それとも夢の続きに酔っているのか。
「慶次殿は、一緒に死のう、と、そう仰いました。」
「お前さんは、なんて返事したんだい?」
幸村は慶次を見上げ、力なく微笑んだ。まるで全てを物語っているかのような幸村の眸を見ていられなくて、慶次は幸村の身体を抱き締めた。
「言いません。」
幸村の声が自分の身体に響いているような、妙な錯覚だ。自分の身体に彼の顔を押し付けているものだから、当然声がくぐもってしまう。
「少なくとも、目の前に居るあなたは、決してその言葉をくださらないのですから、私の答えなど、決して口外致しません。」
そうかい。と、慶次は言葉短く相槌を打つ。幸村が、思わず慶次の服の端を掴んだ。泣けぬと分かっていながらも、泣いているようだと慶次は思った。
「あなたの優しさが好きです。けれど、あなたの優しさこそが、何よりも苦しいのです。」
***
慶幸、を書きたかったんだよ、っていう。
慶次はんは普通に男前なので、難しいですね。
Coccoの『四月馬鹿』より、ネタ拝借。
06/07/21