幸村は微動だにせず、じっと秀頼の手が止まるのを待っていた。一度は結びあがった鉢巻だったが、ゆるいから、と結んだ張本人である秀頼が解いてしまった。幸村は少しでも秀頼が結びやすいようにと、動かずにじっと待っている。
(もし、)
(もし、この鉢巻を私が奪ってしまったら、幸村は出陣せずにすむだろうか。)
幸村は秀頼が手を止めていることに気付いているのかいないのか、じっとじっと正座したまま待ち続けている。こんなことを考えている自分が申し訳なく感じた。幸村は誰でもない、秀頼の為にその身を危険にさらそうとしているのだ。その決意を既に固めているのだ。それを秀頼が汚そうとしている。
「幸村、」
はい。と変わらぬ声がした。戦に赴こうとしているのに、常と何も変わらない。秀頼が持っているような不安など何一つ持っていないのだ。
「わがままを言ってもよいか?」
(こんな城など開城してしまえ。豊臣は滅びる、私も死ぬ、母上は、どうなるだろう。けれど幸村や武蔵を初め、この城に入ってくれた者達は生きることが出来るだろう。再び牢人となるだろうが、生きることが出来るだろう。ゆきむら、)
ゆきむら、と彼の名を呼んだ。幸村は振り返ってもよろしいですか?と断ってから、秀頼に顔を向けた。穏やかな表情だった。城下に行って来ましたので土産を買ってきました、と団子を渡された時と同じ顔をしていた。
「何なりと、お申し付けください。」
(もしこの鉢巻を奪って細かく切り刻んでしまったとしたら、幸村は戦に行かぬだろうか。)
(いいや、そんなものは関係ない。幸村は鎧が隠されたとしても、戦場に飛び出していってしまうに違いない。)
「ゆきむら、」
秀頼はどうすることもできず、ただ幸村にしがみついた。しがみつく、というよりは抱き締めた、といった方が正しいだろう。秀頼の長身は、幸村の身体をすっぽり包んでしまうことができるのだ。
「今しばらく、このまま時を忘れさせてくれ。」
幸村は穏やかに笑って、仰せのままに、と折角秀頼が結んだ鉢巻を解いてしまったのだった。
(私の決意もこの魂もあなたに捧げましょう。あなたに仕える今回こそ、終わりに致しましょう。)
兵の命の重みに今にも押し潰れそうな秀頼には、何よりも幸村の手にある彼の決意こそが、一番の重みであった。
***
突然に書きたくなった話。三成にしようかとも思いましたが、流石にここまで戦を知らないわけじゃないかな、と思いましたので。
01/05