三成は別れの時、決まって、またな、と言って去っていく。幸村はその言葉の意味が瞬時に理解できず、茫然といつも彼の人の後ろ姿を見つめている。
そして、三成の姿が豆粒程度から、消えてしまう頃になてようやく彼が紡いだ台詞の意味を悟る。
(かわいい人だなあ。)
幸村はそう思った。表情には僅かな苦悶が浮かぶ。それは幸村と三成とが使う、"また"には含まれる意味があまりにも違うせいだからだ。
この乱世、いつどこで誰かが唐突に死んでしまうかも知れぬ。故に幸村はああこの人は生きている限り私と顔を合わせ言葉を交わし情をもって接することができる、と自覚する為の言葉である。しかし三成はそうではない。三成が不安を隠して次を約束するのは、ただただこの恋愛が終わってしまうことをおそれてなのだ。
幸村はこの差を知っている。けれど三成は、生涯悟らぬことであろう。
(三成殿、私は、)
(私は恋を知らぬのです。)
***
ニュ、ニュアンスで読んで…(他人任せ)
いつかもっとしっかりしたものを書きたいなあと思った(感想かよ)
04/03