ひどい話


ひ ひとでなし、と 三成
ど 度胸試し 政宗
い いらない 左近
































「幸村…!」

三成は咄嗟に、利き腕であり、戦場であれば鉄扇を扱う右腕を思い切り振り上げた。その勢いを殺さず、思うままに振り下ろすのは、至極簡単であった。だが、三成はそれが出来なかった。今まさにその右手で打たれようとしている幸村が、じっと三成を見つめていたからだ。

(私は、何も間違っていません。戦の非情とは、時として鬼にならねばなりません。)
(けれど、あなたも何も間違ってはいません。人として、当然のことなのです。)

(ですから私のことは、どうぞ、ひとでなし、とそう罵ってお気を静め下さい。)

三成は耐えるように歯を噛み締め、震える腕を力なくだらりと下ろした。途端、幸村が傷付いたような顔で、へらりと笑った。幸村は、激情に流されることなく己を制して見せた三成を、優しいお人だ、とそう感じたのだろう。だが、三成は幸村が何を望んでいたのかを知っていた。優しくなどない、不甲斐ないだけだ。俺は、一時の感情の波が持続せぬこの性質ゆえ、お前に何度もいらぬ懸念をさせている。


ああ、幸村、

ひとでなしはこのおれだ。





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08/21
































幸村、幸村、

はいはい何ですか、政宗どの。相当に酔っておられるようですが、そのような様子で陣中に無事帰れますか?

幸村もよう言うわ。ああだが、わしは今気分が良いぞ。それにしても、今宵は蒸すな。暑くて敵わんわ。

酔っておいでです。体温も上がりましょう。それに、今日は一日暑うございましたゆえ、夜分になっても冷えぬのでしょう。

幸村、幸村。わしは今、よいことを思いついたぞ。どうじゃ、肝試しでもせぬか。

酔っ払いの仰ること、私は聞く耳持ちませぬ。

ここは未だ陣中であるからのう、獲物には事欠かぬぞ。本多忠勝の陣から幟を拝借してくるも一興、加藤清正の陣から床几を頂戴するも一興。

政宗どの、酒はもうその辺りでお止めくだされ。

そうじゃ、徳川どのの寝所に忍び込み、その毛一本抜いてくるも、中々に良い、面白い。それとも前田か、上杉か。ほれ、名高きつわものであるお主のことじゃ、想像しただけで血が昂ぶりはせんか。

興奮のこの字も沸き上がってきません。酔っておられるゆえ、そう錯覚されているのでしょう。

気に入らぬと申すか。なれば、おおそうだ。世にも珍しき猿の太閤どののされこうべで、いつか酒を酌み交わさぬか。

私が政宗どののされこうべで、酒を干さねば良いのですが。

幸村が言うことよ。

さあさ、酒はもうおしまいですよ。

ああ、分かった降参じゃ。近う寄れ幸村。酒相手に拗ねるでないわ。





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08/22
































びりびりと紙の破れる音だけが庭に響いていた。幸村はさして広くはない庭に佇み、無心に紙を千切っている。細かく千切った紙片たちは、はらはらとまるで雪のように宙を舞い、力なく地面に落ちた。左近は腰掛け、その様子を見つめている。幸村は、まるで左近がそこに居ない風に、ただ黙々と手を動かしていた。左近は何度か声をかけようとも思ったのだが、この幸村の行為に儀式的な何かを感じたものだから、静寂を破ることは出来なかった。大きな紙ではない。しばらくもしない内に、手の中には何もなくなってしまった。幸村は地面に落ちてなお、風に吹かれて舞い上がる紙吹雪を眺めていたが、それが儀式の終了を告げる合図であったのか、幸村はゆっくりとため息をついた。ようやく、幸村によって空気が振動した。

左近が幸村の屋敷に居る理由だが、多忙な三成の代わりに幸村に会いに来ていたのだ。その最中、豊臣からの使者が訪ねて来た。流石に秀吉の命令で訪ねて来た以上、幸村も居留守を使うわけにはいかない。書状を受け取るだけの簡単な所用であったから、幸村も左近を待たせて接待にあたった。
幸村が再び左近の前へ姿を見せたのは、すぐのことであった。幸村は、おそらくたった今使者から受け取ったのであろう書状を握り締め、左近が居るのも構わずに、庭に降り立ちびりびりと破り始めてしまったのだ。

「いいのか?大事な書状だろう。」

先ほどまで、幸村の手には二通の手紙が握られていた。一つは秀吉からのものである。そしてもう一つは、朝廷からのものであった。
片や、幸村を左衛門佐に任命する旨が記されたものであり、もう片方は、豊臣姓を許すと書かれたものであった。破いてしまってよいものではない。下手をしたら、反逆罪にも相当するだろう。

「いりません。どうせいつかはなくなってしまうものです。」
「まあ、そうなんだが。それを言い出したらきりがないだろう。」
「はい。ですから困っているのです。何もいらない、いらないと言いながら、何かと物がたまります。この屋敷も、本当はいらないのですが。」
「仕方のないことだろう。生きていれば物が入用になる。住む家は必要だし、着る物も居る。食べ物飲み物、あとは、ほら色々あるだろう。そのうち知人は増えるし、友が出来る、そうすると共有できる思想が生まれる。そうしてまた、繰り返しだ。」

幸村は、そこでようやく振り返った。表情は驚く程、常と変わらなかった。左近の曖昧な言葉に、これと言った疑念を抱いていない様子であった。左近のずるい所と言えば、そこに己を含めているのかいないのか、それを曖昧にしてしまっていることであり、三成や兼続のことを匂わせ、義の心をちらつかせながらも、決してそれを口にしない所であろう。

幸村はいつもと変わらぬ口調で言った。ああ左近どの、お久しぶりですこんにちは。相変わらずお元気そうで何よりです、三成どのはいかがなさっておいでですか?そう会うなり訊ねた幸村と、その声は何も変わらなかった。


「なにも、いりません。」


左近の一番ずるい所は、その幸村の言葉が、挙げられたどれに当てはまるのか、幸村に問わなかったことであろう。





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08/22