言い換えると  as far as I know様  武蔵と幸村


い いつも傍にいたい
い いっぱい抱きしめたい
か 悲しみは癒してあげたい
え 笑顔でいてくれると嬉しい
る る、まで発音できない
と とにかくあなただけを






























いつも傍にいたい


幸村が部屋で書を紐解いていると、武蔵は猫のような足取りで、そっと幸村の背に、彼も背を向けて座り込んだ。ああ珍しいこともあるものだ、この男は太陽の下を好むのに、と幸村は武蔵の存在を感知していたが、素知らぬ顔を続け、書物から目をそらすことはなかった。背を向けた武蔵は一言も言葉を発することはなかった。幸村の沈黙に耳を傾け、物音一つ立てない。けれども、その存在感だけは幸村にも届いた。妙にこじんまりと空気に収まろうとしている武蔵が、時々その窮屈な入れ物のあまりの狭苦しくさに音を上げて、音を立てずに動くのだ。次第にその頻度も増し、窮屈な入れ物をついには突き破ってしまった。幸村は口許を緩めて笑みを作ったが、背を向けている武蔵は気付かない。だが空気が少しだけ緩んだことを感じ取ったのだろう、武蔵も先ほどのように気を配った様子はなく、もぞもぞとその動きと存在を主張し始めた。さて何が始まるのだろう、と幸村が既に書物から意識を手放しながら、背後の気配を伺う。武蔵は何を思ったのか、幸村の背に己の背をくっ付けた。合わさった部分から、じわりと相手の温度が伝わる。相手にも己の体温がこうやってじわじわと伝わっているのだと思うと、何やら面映いような、くすぐったいような気分だ。ああそう言えば、私はいつもの鎧を脱いでいるけれど、武蔵はあの一張羅を今も纏っていたなあ。背中に金糸で縫い付けられた天下無双の煌びやかな文字が、己の背中にあたっている。押し絵のように、この文字が私の背中にもくっ付いて、武蔵のようになってしまったらどうしよう。ああでも、そうしたら私の背の文字は鏡に映したように逆になっているから、なんと間抜けなこと。
段々と思考がゆらゆらと揺れて、しまいにはお間抜けな想像が幸村の中に残った。たまらず、幸村は笑い出してしまった。声は殺していたけれど、その堪えた分だけ振動が生じ、背中合わせの武蔵に伝わってしまった。武蔵はむっとして、何笑ってんだよ、おいこら幸村ッ、と合わせていた背を離し、ようやく幸村の顔を覗き込んだ。
この世に天下無双は二人もいらないから、きっと、あのまま同じ体勢を保つ必要はなかったのだろう。





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09/05






























いっぱい抱きしめたい


「おーい、生きてるかー?」
武蔵の声にゆっくりと目を開ければ、冗談みたいに青い空と、その爽やかな空を贅沢にも背景に背負った武蔵の顔が映った。幸村は僅かに痛む頭を片手で押さえながら、緩慢な動作で上半身を起こした。近くには手合わせをする為に槍に似せた棒が落ちていた。びっくりしたんだぜ、あんた、いきなりぶっ倒れちまうし。俺の一撃はそんなにも強烈だったか?きっと打ち所が悪かったのだろう。ああ武蔵の一撃だが、時々びっくりするぐらい強烈な時もあれば、天下の剣豪の一発がこんなにへなへなでいいのかと思う時もあるぞ。そ、それは、あれだ!手加減してんだよ!ふふ、そういうことにしておく。
武蔵は幸村に手を伸ばし、幸村もそれに手を重ねた。ぐい、と武蔵はその手に力を込め、幸村を引っ張りあげた。幸村もそれに任せて立ち上がったが、どうやら武蔵の力が強すぎたようで、大きく武蔵の方へ傾いてしまった。うおっ、と間抜けな声を発しながらも、武蔵はなんとか踏みとどまった。幸村と繋がっていない方の手は、無意識に幸村の背に回されていた。支える為にはこちらの方が都合が良かったのだろう。斯く言う幸村も、無意識に目の前にある武蔵の身体にしがみ付いていた。
お前、見た目より軽くねぇ?それは私が鍛え方が足りないと、ああそうじゃねぇよ、着痩せする奴いるだろ、それの逆みたいな。武蔵、それは決して褒め言葉ではないから、私以外には言わない方がいいぞ。
ふぅん、と武蔵は鼻を鳴らした。この間も、先ほどの体勢のままだ。幸村は何やら居心地が悪くなってきて、もぞもぞと身体を捻り始めた。
「武蔵、そろそろ離れてくれないだろうか。」
「んー、あんたの無事確かめてるから、もうちょっと。」





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09/05






























悲しみは癒してあげたい


朝から、武蔵の機嫌は悪かった。幸村が怖いもの見たさに、どうした武蔵?珍しく眉間に皺が寄っているぞ、と茶化せば、ああそうだよ今の俺は最高に機嫌が悪い。しかも最高にくだらない理由で、だ!何だ教えてはくれないのか、人に言えばもしかしたら少しはマシになるかもしれないぞ。武蔵は口許をむっと歪めて、言わねぇ言わねぇ!お前にはぜってぇ言わねぇ!どうせお前は笑うだろうから、ぜってぇ言わねぇ!

しかし、しばらくして幸村は毛利勝永から、武蔵の不機嫌の理由を知った。その理由を聞いた幸村は、勝永と一緒に笑ってしまったから、武蔵の言う通りになった。

幸村は団子を片手に武蔵の許へと現れた。武蔵の不機嫌の原因は、昨日武蔵が、ちょっと席を外した隙に、後で食べるようにと取っておいた甘味を後藤又兵衛に食べられてしまったからであった。その甘味を幸村がやったものだから、なのかは分からないが、武蔵はその甘味を大層楽しみにしていたらしく、一時は武蔵の一方的な怒鳴り声が二の丸中にこだましていたらしい。
団子を前にした武蔵は、決まりの悪そうに、幸村をちらりと見た。そうだ私は知ってしまったぞ、言いはしないが、それは盛大に笑ってしまったぞ。うらむのなら勝永どのをうらめ。私とて人の子だ、一人前に好奇心は旺盛だ。幸村はにこにこと団子を差し出し、これで少しは機嫌を直せ、と暗に示した。

(ああ違うんだ幸村。別に俺はあのうまそうな甘味を食べられたことを怒ってたわけじゃなくって、いや、そりゃあちったぁ怒ってたけど、そうじゃなくって。人からもらったもんに執着しちまった自分が信じられなかっただけで。ああそんなに大切なもんなら、貰ったことに満足せずさっさと食っちまえばよかった、とか、んん?すると結局、俺は食われちまったことが悔しかったんじゃねぇか。)

「武蔵、」
何だ?と視線で問えば、幸村はふふ、と笑った。幸村は、誤魔化すような曖昧な笑みを浮かべることがうまかった。その顔の下で何を企んでいるのか、武蔵は幸村の言葉を聞かなければ欠片すら判断できない。
「平和だなあ。」
平和だよ、平和なんだよ、大坂は。だからお前はそんな遠い目で戦のにおいを嗅ぎ分けるなんて獣染みた癖はさっさと治して、俺みたいに平和ボケしちまった方がいいぞ。団子一つで機嫌がどうにかなる俺と同じぐらい、こいつも単純になっちまえ!





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09/05































笑顔でいてくれると嬉しい


「そういやあ、幸村、お前って自分の笑顔、鏡で見たことあるか?」
「そう言う武蔵はあるのか?大概の人は、鏡を覗く時、あえて表情を作ったりはしないと思うぞ。見ているのは自分だけなのだし、愛想を振りまく必要はないだろう。」
ああそう言われればそうだなあ、と武蔵は思った。武蔵は鏡で笑顔を見たことがあるか否かを訊きたかったわけではない。幸村が、自分が浮かべる笑みを自分の目で見たことがあるか、自分の笑みを自覚しているのか、ということを知りたかったのだ。それが転じて、冒頭の問いになった。
「しかし、唐突だな。私の笑顔はそんなにも無様だったか?」
「馬ッ鹿!違うっての!俺はお前の笑顔好きだぞ。なんつうか、気楽そうな笑みで和むし。ただ、戦場のお前の笑みはちょっと引く。俺ですら背筋ぞくぞくしたし、鳥肌立ったし。」
幸村の笑い声が、武蔵の言葉を遮った。なんだよ、お前ちょっと性格悪いぞ。笑うなよ、俺すっげぇ恥ずかしいだろうが!幸村はすまないと言いながらも、笑いを納める気はないようだ。
「あまりにお前が意味不明なことを必死に語るから、ついつい可笑しくなってしまって。」
「必死だけどイミフメイじゃなねぇ!ああもう!言葉ってのは面倒だなァ!」
あんま笑うなよ幸村、笑いすぎだぞそれ!
初めは幸村に流されまいと表情を保っていた武蔵だが、幸村がいつまで経っても笑っているものだから、ついには脆い防波堤は崩れてしまった。
「間抜け面だぞ、武蔵。ふふ、ふふ、折角の良い男が台無しではないか。」
「そう言う幸村は笑う度に男が上がって羨ましいもんだな!」
二人の笑い声は中々鳴り止まなかった。





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09/06






























る、まで発音できない


大坂城は川に囲まれた城だ。真田丸からも四方の川の様子がよく見えた。木津川は特に川幅が広いから、きっと海を知らなかった頃の自分が見れば、ああこの広大さこそ海だろう、と錯覚すると思わせる程であった。じっとその川の流れを凝視する。大坂は豊かな水源を利用して、輸送には船も用いている。しかし、いざ戦となれば水軍を持たぬ豊臣はこの海上を封鎖され、敵方の船がこの川に並ぶのであろうと思われた。幸村は短く息を吐き出し、気詰まりになりがちな思考をどうにか和らげようとした。最近は暑さが顕著になってきたから、そのせいで思考も澱むのだろう。もう一度、息を吐き出す。と、その瞬間、ぬっと背後から唐突に人が現れ、幸村が驚いているのも構わずにその隣りに立った人物が居た。武蔵であった。
ここに居たのか、相変わらず陰気背負ってるなあ、と幸村は、おそらくは彼が吐き出すであろう言葉を待ったが、彼は幸村の様子には何も触れず、一言、
「泳ぎに行きたい。」
と、幸村と同じように遠くの川を見つめた。幸村が咄嗟の反応が出来ず、けれども目だけを真ん丸に見開いている様子に、武蔵も気付き、
「ああ!今ガキっぽいって思ったろ!最近あっちぃからなあ、あん中で泳いだら、きっと気持ちいいだろうからよぅ。」
幸村は声をどこかに忘れてしまったかのように、またしてもふ、と息を吐き出すのがやっとのことであった。
「海に行きてぇなあ。」
なあ幸村、いつか一緒に海に行こうぜ、と武蔵はそう言ったが、幸村には聞こえていなかった。幸村はいよいよ驚いてしまって、武蔵の言葉どころではなかったからだ。驚きを隠すことなく、幸村は武蔵を見た。視線に気付いたのか、武蔵は唇を僅かに尖らせながら、なんだよぅ、と言った。
「私は泳げないぞ。山育ちだし、何度か教えて頂いたこともあるのだが、どうやら筋金入りの金づちらしくて。」
「俺が教えてやるよ。別に海がこわいってわけじゃないんだろ。」
きっと武蔵は、幸村がああ海はこわいぞおそろしいぞ私はもう二度と海で泳ぐ真似などしたくない、と言ったところで聞き届けてはくれないだろう。
「こわくはない。むしろ良い経験をしたと思っている。一度本当に溺れてしまって、意識を失ったこともある。」
「あんた、よくそれでこわくないって言えるな。」
「知らぬからこわいと思うのだ。私は海の無情さを知ったし、広大さを知ったし。私との相性が良くはないことも知ったな。」
あれはいつ頃の話であったか。丁度上杉へと質へ入った頃であったか。そうだ、私はあの時初めて海を知ったのだ、見たのだ、肌で感じたのだ。
「なあ幸村、この戦が終わったら、」
「武蔵。」
幸村は彼の名を呼ぶことで、その言葉をやめさせた。お前は別段鈍いわけではないけれど、時々私を動揺させる程聡い言葉を吐き出すから、私はその言葉に耳を塞ぐしか道がなくなってしまう。この男は、私の横顔に何を覚ってしまったのだろう。
「思い出を思い出で塗り潰すのは、実はあまり好きではない。」
そう言えば、今日は又兵衛どのと会う約束をしていたんだ。そう幸村は告げ、さっさと出窓に背を向けた。武蔵のせりふが幸村の背にぶつかったが、幸村は一瞬、僅かに息を詰めただけで、決して振り返ることはなかった。
「塗り潰すわけじゃねぇよ。いい思い出も悪い思い出も、たくさん作って胸にしまっとくんだ。」





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私、地理がホントどうしようもないぐらいに苦手です(言い訳)
09/07






























とにかくあなただけを


特にこれといった会話があったわけではなかったが、二人は共有する沈黙の心地良さを知っていたから、ついつい武蔵は幸村の部屋に長居をしてしまった。外は既に暗くなっており、部屋には薄ぼんやりとした灯りが点されていた。ちらり、と幸村がその中の油を覗き、残りが僅かしかないことを認めたのと、武蔵が立ち上がり障子に手をかけ月明かりを呼び込もうとしたのは同時であった。幸村はふと頭の中に浮かんだことを実行したくなって、武蔵が障子を開けてしまう前に、
「武蔵、待て。」
と声をかけた。武蔵はぐっと指先に力を込めたところだったが、幸村の声にその意識は散り、振り返ると同時にその手を下ろした。ちょっと、と幸村は先ほどまで武蔵が座っていた場所を叩く。座れ、という合図であることを武蔵も感じ取って、障子は閉めたままに幸村の言葉に従った。
「盛親どのから聞いた話なのだが、」
「祐夢さんから?」
「そうだ。あれは今日のような満月が見事な夏のことで、」









「その女は、今も京の町をさ迷っているのだろうか。」
語り終えた話は、俗に言う怪談話である。幸村は長曾我部盛親から聞いた話を、更に僅かに脚色して武蔵に話して聞かせた。さて、この男はどんな反応を見せてくれるだろうか、という純粋な好奇心であった。が、武蔵は下を向き、拳を握り締めてふるふると震えていた。怖くなかったのだろうか、私が盛親どのから聞いた時は、鳥肌が立った程怖かったのに。幸村は武蔵の言葉を待って、じっと武蔵の様子を眺めていた。
次の瞬間、武蔵はばっと顔を上げ、幸村に掴みかかってきた。咄嗟のことで避けることも出来なかったが、何とか後ろ手をつくことで二人分の体重を支えた。
「馬ッ鹿!怪談なんか話すんじゃねぇ!夢に見ちまったらどうすんだよ!ああもう幸村、この野郎!!」
武蔵の言葉に、幸村はきょとんとしたものの、ああこの男、怪談話が嫌いなのだなあ、とようやく合点した。誰が天下無双の剣豪が、怪談が怖いなどと想像できただろう。
「それは、すまないことをしてしまったなあ。」
「のん気なこと言ってんじゃねぇ!ああもうどうすんだよこの鳥肌!」
「大丈夫だ武蔵。」
「大丈夫じゃねぇ!」
「私も、怪談は苦手だから。」
言葉が咄嗟に思い浮かばず、一瞬だけ沈黙が出来た。
「ば、」
「ば?」
「馬鹿野郎!ならなんで俺に話したりしたんだよ!」
「私ばかりが怖い思いをして、何やら悔しかったから。」
その時、今まで辛うじて部屋を照らしていた灯りが、ふっと消えてしまった。武蔵は情けない叫び声を上げて、幸村をぎゅうぎゅうと抱き締めた。幸村も突然のことで少しばかり肩がはねたが、ああそう言えば、油が切れかけていたんだっけ、と思い当たり、だいじょうぶだぞ武蔵、とぽんぽんと武蔵の背を叩いた。
しばらく二人はそうしていたのだが、何とか一時的な恐怖は去ったのか、武蔵は身体を離して、むんずと幸村の腕を掴み立ち上がった。幸村も当然立ち上がらなければならくなり、引き摺られるようにして幸村も腰を上げた。手を繋いだような格好がおかしくて、幸村は一人笑みをかみ殺す。
武蔵は空いている方の手で乱暴に障子を開け、部屋に月の光を入れた。
そのままずんずんと進み、縁側でようやく立ち止まり、すとんと腰を下ろした。幸村もそれにならう。腕を掴む武蔵の力が存外に強かったせいもあるだろう。
「今日はここで寝るからな。」
「ああ。」
「でも一人じゃこええから、お前もここで寝ろよ。」
「…ああ。」
あ、今笑ったな笑ったろ!仕方ねぇだろう、こええもんはこええし!明日になったらきっと忘れてるだろうから、だから今日だけだ!
ぎゅうぎゅうと、武蔵は強く強く幸村の腕を握り締めている。
(私はお前の、聡くて、でも最後のあと一歩が鈍いところに、ついつい甘えてしまっている。)
幸村の顔がまだ笑っていたから、武蔵はぷいと顔を背けた。けれど腕は未だ繋がれたままだった。




***
盛親にしようか、勝永にしようか迷ったけれど、祐夢さんって呼ばせたい衝動に駆られたので、盛親どので。
09/09