三成はふとしたその瞬間、唐突に悟った。ああ己が幸村に向けている思いの深さは恋である、と。三成は幸村が好きだ。ただ好きと言っても数多くの分類があることを三成は知っている。けれど、今まで一度として幸村に対する"好き"がどれに属するものなのかを考えたことはなかった。ただ漠然と、幸村が好きだったのだ。

幸村は告げられた言葉を、ぼんやりと繰り返した。この方は、私のことを好きだと仰ったのか。軽々しく、ええ私も三成殿を好いていますよ、と応えられる空気ではなかった。三成が真摯に幸村の目を射抜いてきたからだ。今まで酒が入っていたとは思えぬ、鋭い視線であった。私は、あなたの、甘い棘が好きです。幸村はいつであっても真っ直ぐな姿勢を保っている三成のその真正直が好きだった。言葉を返す代わりに、今まで杯を持っていた指を、そっと三成へと差し出した。触れれば三成は面白いぐらいに狼狽した。幸村は、その動揺で告げられた言葉の意味を悟る。

「良いか。」

問われる意味を幸村はおそらく正しく理解しただろう。返事一つ、頷き返すこと一つしなかったが、幸村は一つ吐息をこぼした。酒気を帯びた、熱っぽい息であった。
三成は幸村の腕を掴み、強引に畳に押し倒した。幸村は、やはり声を上げなかった。そうなることが当然であるような様子であった。三成が性急に幸村を求め、顔を首筋にうずめた。三成の荒々しい息が幸村の耳といわず、頬といわず、幸村の肌にかかる。幸村はごく自然な動作で瞳を閉じた。まさに、その時であった。

ひた、ひた、と廊下を歩く足音を幸村は聞いた。部屋の前、障子の向こう側に迫った気配は、次の瞬間には屋根裏に移動していた。幸村は頭から水をかぶったように、今の状況を理解した、理解してしまった。そう現実に戻されてしまった以上、幸村はどうすることもできなかった。己の身体をまさぐる三成から逃れようと身をよじり、軽く拘束されていた腕を持ち上げ、三成の身体を押した。突然の抵抗に、三成の動きも止まった。どうしたのだ、やはり嫌だったか、俺が早とちりをしてしまったのか。三成の矢継ぎ早紡がれる問いに、幸村は答えることができなかった。違うのです違うのです、間違えてしまったのは私なのです。
三成の下から這い出た幸村は、顔を伏せながら言う。懇願するような、切ない声音であった。
「どうか、今宵は屋敷にお戻り下さい。明朝、必ず弁明に参りますゆえ、どうか今宵は何も言わず、お帰り下さい。お願いします、どうか、どうか。」
放って置けばそのまま平伏をしてしまいそうな勢いであった。三成は納得できなかったが、この場から立ち去る以外の選択が出来ただろうか。お前の来訪を待っている、とだけ告げ、足早に去って行った。

残された幸村は、三成の足音の余韻までもが消え去るのをじっと待った。待って、まるで独り言のような小さな声を絞り出した。
「佐助、何故帰ってきた、何故止めた。」
足音の主は佐助であった。忍びの気配だ。三成はその存在すら気付かなかっただろう。けれど幸村は気付いた。気付いてしまった。
屋根裏で息を殺していた気配が、幸村の目の前に降ってきた。幸村は驚かない。顔を覆い、何故、とだけもう一度繰り返した。
「…どうしてだろうねぇ。」

「…三成殿を傷付けた。」
「うん。」
「三成殿に嫌われてしまったかもしれない。」
「うん。」
「私は三成殿が好きだ。」
「うん。」
「けれどお前は、」
「止めて欲しそうに見えたから、俺はそうしただけだよ。」

幸村は顔を覆っていた手を放し、佐助の顔を見た。常と変わらぬ顔をしている。薄ら笑いを佐助は浮かべていた。ああ、佐助が言うのであれば、それはきっと事実なのだろう。幸村は思う。

「佐助、」
「ん?」
「…すまなかった。」
「若ですから。それぐらいは大目に見ますよ。」

それもそうだ、と少し笑った。寂しそうな笑みであった。いつの間にか幸村は、そんな笑みを覚えてしまっていた。

「佐助、」
「うん?」
「おかえり。」
「うん。」





三成は屋敷へと帰り付いた。既に夜半に差し掛かっている。屋敷は静まり返っていた。が、三成の部屋だけは灯りが点されていた。思い当たる人物に、三成は思わず眉を寄せた。
部屋の中には、当然のように兼続が居た。三成は兼続が訪問しているにも関わらず、幸村の許へ走ったのだ。兼続はどこか青ざめた表情の三成を大して気にとめることなく、ああおかえり、と手を上げた。書を読んでいたのだろう、兼続の周りには本が散乱していた。
「幸村にフラれてきたか?」
楽しげに言う兼続を三成は一睨みしてみたものの、効果はない。乱暴な動作でその場に腰掛ける。
「あの子は、正しくお前の感情を理解することはできないよ。お前に向ける好意も、私を好きだと言った想いも、あの子にとっては同じだ。そして、お前があの子を好きだと言ったその感情も同じだと思っているよ。」
まるでその場面を見ていたかのような兼続の口ぶりに、三成の視線の剣呑さは深まる。が、兼続はそれすら見越していたように、私はずっとここに居たさ。島殿がそれを証明してくれるだろう、と笑った。この男は、傷心の三成を前に嗤ったのだ。
「あの子は恋を知らない。知ることもないだろう。あの子は恋をする前に、こいびとが傍にいるからな。」
ああして育ってしまった以上、恋は出来ぬし見えぬ。感情を理解せぬだろうよ。
「こいびととは誰だ。誰のことだ。」
「気付かなかったのか?」
兼続は笑みを濃くする。三成の眉の皺はいつの間にか増えていた。
「あの子の捨て駒の一つだよ。」





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