甘えて、5題  TV


指を絡めて、寄り添って
月も待たずに、キスをして
息をひそめて、微笑んで
甘い声音で、ささやいて
側にいさせて、抱きしめて






























指を絡めて、寄り添って


仕事の最中である。左近も幸村も、己にあった仕事を三成に与えられていた。同じ屋敷内に居ても、執務と応接とでは居場所としている部屋がそもそも違う。あまり仕事の途中で顔を合わせる機会はないが、この日偶然廊下で出くわした。左近が両手にたくさんの書物を抱えているのを見かねて、手伝いましょうか、と幸村が声をかけたのだ。ああ、頼む、と言い掛けたが、左近はその言葉を飲み込んで、抱えていた書物を、山が崩れないように丁寧に廊下の隅に置いた。ふと目に入った幸村の指が、傍目で分かる程に赤くなっていたからだ。左近がつまみ取るように幸村の指を掴んだ。突然のことに驚いた幸村だが、左近もその指の冷たさに驚いた。まるで氷のように冷えていたからだ。
「先程まで洗濯をしていましたから、そのせいでしょう。」
季節は一日一日、冬へと近付いている。秋と言っても既に水は冷たい。洗濯一つにわざわざ湯を沸かすわけにもいかず、手が冷えてしまうのは仕方のないことである。左近は幸村の手に指を絡めながら、唐突に、ああ幸村に気の毒なことをさせているなあ、という思いになってしまった。そもそも、洗濯などは下女の仕事である。やるやらぬの話ではないが、幸村ほどの身分であれば、必ずしもやる必要のある仕事ではない。姫として屋敷の奥にこもっていることもできるのだ。だが、下働きの者が少ない石田屋敷では、自然、仕事の少ない者にその役目が回される。また、幸村は男として育ってきたわけであるから、そういった女の仕事には不慣れであろう。にも関わらず、幸村は嫌な顔一つしない。
「嫌だったら、ちゃんと言っていいんだぞ。慣れん仕事だろうし、お姫さんがやる仕事でもない。」
「嫌ではありませんよ。むしろ毎日が面白いです。新しいことの発見ですから。それに、私でも出来ることがあるというのは、本当に嬉しいです。どれ程感謝しても、し足りないぐらいです。それに、このお屋敷に居れば、左近どのに会えるだけでなく、こうして左近どのが手を温めてくれますから。」
にこり、と幸村が微笑めば、左近が幸村の身体を引き寄せた。やはり身体も冷えてしまっている。
「やっぱ、俺にお前さんは勿体ないなあ。」
まあ、今更手放す気なんてさらさらないがな。
と耳元で囁かれ、幸村は左近との距離に驚き、途端顔を赤くした。いつまで経っても近すぎる距離に慣れないのだ。それに、まだ陽はお空のてっぺんにあって、この廊下だっていつ誰が通りかかるかわかったものではない。そういったことが、一気に幸村の頭を駆け巡り、顔だけでなく首筋まで赤くなった。お、あったかくなったか、と左近がからかいながらも手を離そうとしたその瞬間であった。左近が最もおそれる人物の怒号が、背後から聞こえてきた。ああそうだ、俺は頼まれた書簡を届けなければいけなかったんだ、と廊下の隅に積まれている書物の山を見た。


「左近!まったく貴様、良い身分だな!夫婦仲が良好で、それを見せびらかしたいのも分からんではないが、いちゃつく前に、仕事を済ませろ!」





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11/04






























月も待たずに、キスをして


障子を開け放てば穏やかな風が吹き込んできた。左近は丁度空いた時間をこれ幸いと読書にあて、幸村もまた、その隣りで小腹を満たすには丁度良いだろうと林檎を剥いていた。偶然の沈黙を二人は共有していたのに過ぎなかったが、会話はなくとも二人の間に流れる空気は穏やかであった。

しゃりしゃりと林檎の皮を剥く、小気味良い音が響いている最中であった。あッ、と幸村は小さく声を上げた。左近は思わず読んでいた書物から顔を上げ、幸村へと視線を向けた。幸村は手許を隠しながら、何でもありません、と笑ったが、左近は構わず本を畳に伏せ、腰を上げた。幸村の傍にしゃがみ込み、ひょいと幸村の手をつまみ上げる。右手には小刀が、もう片方には剥きかけの林檎が握られていた。ふぅん、と左近は鼻を鳴らす。左近が掴んだのは左手である。幸村の白い人差し指に、赤い線が一本引かれていた。林檎を剥いている最中に、誤って指先を掠めてしまったのだろう。いとも簡単に見破られてしまった幸村は、居心地が悪そうにもぞもぞと身体を動かしている。己の指をじっと見つめたまま動かない左近に痺れを切らし、幸村が口を開いた。
「舐めておけば治ります。もうよろしいでしょう?」
そう言って指を引っ込める。左近も強い力で掴んでいたわけではない、すんなりと拘束は外れた。
「薬を出しておいてやるから、洗って来い。化膿でもしたらどうする。」
「そんな、大袈裟な。」
そう幸村は言ったが、左近はさっさと立ち上がり薬箱の場所などを探し始めてしまったものだから、幸村も苦笑しながら立ち上がった。深く傷付けたわけではないが、傷の端には血の玉が出来ていた。幸村は無意識にそれを口へと運ぶ。が、左近が突然声をかけてきたものだから、顔まで持ち上げた姿勢のまま振り返った。左近は薬箱の場所が思い出せないのか、幸村に背を向けて箪笥の中をあさっている。

「それとも、薬の代わりに、舐めてやろうか?」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった幸村だが、みるみる内に顔を赤く染めた。それが臨界点に達すると、左近どのなど知りません!と、叫ぶようにして駆け出した。いつもならば、それをからかう左近であったが、今回ばかりは幸村の後を追うこともしなければ、振り返ることもできなかった。未だ薬箱を探す振りをしている。

(ああ、俺もまだまだ、青いじゃないか。)

左近はため息をついて、ようやく薬箱を諦め、半分ほど実を現した、幸村が置いていった林檎に八つ当たりするようにかじりついたのだった。





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11/04






























息をひそめて、微笑んで


関ヶ原の騒乱の後、石田屋敷を訪れる人数は急激に増えた。元から親交のある大谷吉継や小西行長だけではなく、以前からそりの合わぬ者たちも訪れるようになっていた。更に秀吉からの覚えがめでたくなった三成と誼を通じておきたい、という者も確かに居ただろうが、理由はそれだけではないだろう。

関ヶ原後、石田屋敷には一人、人が増えていた。幸村である。女の身ではあるが、何か出来ることはないだろうか、と考えた末、三成から与えられた仕事は、多忙な三成の代わりに客人の相手をすることであった。元々豊臣の人質であった幸村であるから顔は広いし、また、人当たりの良い性格もあり、訪れる人を不快にするようなことはない。最近では、わざわざ三成が多忙であったり、不在であったりするころを見計らって訪れる者も居るというから、これはこれで困った傾向ではあった。

さて、そうして通い詰めてくる者があれば、当然幸村も屋敷の者も顔を覚えるは必至であった。丁度この日は三成が風邪をこじらせて臥せっており、幸村が代わりに応対した。戦がなくなってからというもの、そもそも差し迫っての会談などほとんどない。大体が他愛のない世間話をしにやってきた者たちであるから、その対応が幸村であっても全く支障はない。むしろ、三成の賢しら顔が気に入らぬ者たちにとっては、幸村が相手の方が気が楽であろう。

「先日お越し頂いたばかりだというのに、度々申し訳ありません。生憎三成さまは風邪をこじらせておりまして、いえ、大したことはありませんが、連日の疲労が蓄積していたのでしょう。寝ていれば治る病気です。」
そろそろ見慣れた顔に、幸村はにこやかに対応しつつ、いつもの部屋へと案内する。手土産に団子などの甘味が渡されることも毎度のことであったから、幸村も別段不思議がることもなく、けれど毎度深々と頭を下げてそれを頂戴する。幸村が好きな甘味屋の団子だ。
部屋に腰を下ろし、世間話が始まる。私の城の周りはもう紅葉が始まっていて、それはそれは見事なもので。ああそう言えば、今年は豊作になりそうだ、などなど、とるに足らぬ、本当にただの世間話である。幸村はその一つ一つに丁寧に相槌を打ちながら、一度は拝見してみたいものです、と笑う。愛想笑いのような、作り物じみたものではない。心に染み入るような、あたたかな笑顔だ。

少し時間が経つと、客人の来訪を聞きつけ、左近が姿を見せる時もある。こちらは手が空いている時に限るのだが、今日はたまたま時間があったのか、左近が湯飲みを片手に障子を開けた。幸村は無言で立ち上がり、左近の手から湯飲みを乗せたお盆を受け取り、それぞれの前に置く。流れるような連携である。

そうして、今度は三人で談笑をしていた、ふと、間が空いた瞬間であった。左近が世間話の続きのような、軽い口調で言った。
「これは中々鈍くできてますから、あなた様も大変ですなあ。」
ぎくり、としたのは目の前の男である。左近と幸村が夫婦であることは、皆、重々承知のことだからだ。左近はその反応が楽しかったのか、団子は皆でいつもおいしく頂いてますよ、と笑う。幸村がどういうことだ、と視線を向ければ、左近は幸村の頭をかき回しながら、お前のことだよ、と穏やかな視線を向けた。だが幸村は頬を膨らませ、どうせ私は鈍感ですよ、と顔を背けた。左近がすかさず言葉を続ける。
「そう言やあ、さっき殿が目を覚ましたぞ。お前、急いで粥でも作って、持って行ってはくれないか。」
「はい、分かりました。」
幸村が腰を上げる。そういうことですので、すいませんが失礼致します、どうぞごゆっくり。そう客人に頭を下げる。左近は顔を上げた幸村の腕を引っ張り、ちょいちょいと手招きをする。耳を貸せ、と言う。幸村は左近に引っ張られた姿勢のまま、左近の顔に耳を近付けた。客人の前では告げられない程、三成の様子は悪いのだろうか、とも思ったせいだ。
『風邪は大したことないんだが、やはり身体を壊して心が弱っておられた。心細くなっているようだから、お前、うんと甘やかしてやってくれ。』
『左近どの公認ですか。』
『まあ俺が妬かない程度に。』
嫉妬など、そもそもなさる人ではないでしょう、あなたは。幸村はそうくすくすと笑いながら、分かりましたよ、と左近から離れた。二人にあてられた、この客人ほど不憫な者もいないだろう。





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11/04






























甘い声音で、ささやいて


幸村ー、幸村ーと左近が呼んでも、返事はない。そもそも然程大きな屋敷ではない。珍しくどこかに出掛けているのか、と左近が諦めかけたその時、三成が息を潜めて左近の腕を引いた。
「見つかった」
んですか?と続くはずが、三成が強引に左近の口を塞いだ。静かにしろ、と言う代わりに、あの鋭い眼光で左近を睨み付ける。三成も左近同様、幸村を探していたはずだ。先程まで二人は客人の対応をしていたのだが、その客人も帰り、さて折角頂いた土産を、早い内に幸村にも分けてやろう、と思い立っての行動である。もちろん、その土産は幸村が通っている甘味屋のものだ。

幸村は部屋の隅に、壁にもたれかかってうたた寝をしていた。春の陽気にやられたのだろう。幸村の寝顔は穏やかであった。三成も、そんな幸村を起こしてしまうのは忍びないと左近の大声を咎めたのだが、左近は幸村の寝顔にため息を一つついただけだった。ああまたか、と苦笑しているようにも映る。

左近は三成の指を解いて幸村に近寄った。そして、躊躇うことなくその肩を揺さぶり、幸村に目覚めを促す。幸村は睡魔と格闘しているのか、中々目を開けない。
「おい、左近。起こさずとも良いではないか。」
「俺はどっちでもいいですがね、こいつが、後で拗ねるんですよ。どうしてあの時起こしてくれなかったんですか、って。」
そう言いながらも、行動に容赦はない。揺さぶっても駄目ならば、こちらにも手段があるぞ、と幸村の顔をぱちぱちと優しく叩く。ようやく幸村の瞼がぴくぴくと動き、目覚めの兆しを見せた。よし、もう一押しだ、と左近は言葉を告ぐ。



「ほら、さっさと起きろ。じゃないと、"食っちまうぞ"」



それは囁くような小さな声であったが、顔を近付けていた幸村には十分聞こえていた。困ったことに、三成にも、聞こえていたのだが。

幸村はその一声にがばりと覚醒し、駄目です!駄目ですよ!私の分も残しておいてください!と左近を突き飛ばす勢いであった。





「あー、もしかして団子の話か?」
「は?」
「いや、何でもない。」





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11/11