三成は声を限りに叫んだ。一面が雪である。視界を覆うほどの白である。四方八方が雪まみれだ。吹雪いている。びゅうびゅうと通り過ぎる風の音が、思いを限りに叫ぶ三成の声を消してしまう。三成自身、己の声よりも風の音ばかりが聞こえ、もどかしくて仕方がない。しかし三成は声をとめなかった。雪崩が起きるだの、無駄な体力を消耗するだの、考えていられなかった。既に体力は底をつき、雪の中を這うように、三成が前と決め付けた方向へ突き進んでいるに過ぎない。遭難してしまう、いや、半ばしているようなものだ。だが三成は、そんなことを気にとめなかった。息を吸い込めば、冷たい空気が肺へと侵入した。体温が奪われるそれにも、三成は舌打ちをする程度、決して声を止めたりはしない。名を呼ぶ。それはもう、有らん限りの力を込めて、三成は腹の底から声を出す。だがその声も、風の音に消されてしまう。ああ忌々しい!これではあの男には届かぬ。あの無関心を装った男に、僅かとも届かぬではないか!三成は名を呼び続ける。返事をしろ!近くに居るのだろう!俺を助けたいと思うのであれば、今すぐ姿を見せろ!でなければ、互いにここで凍死だぞ!ほぼ脅迫だ。
『あれは、一人で生きる以外の道を知らないんです。だから、殿が出来ることと言えば、せいぜい、気休めの言葉をかける程度ですよ。』
『お前の志は美徳であろう、ああ何度でも言ってやる。お前は正しい。憎らしい程に正しい。だが、あの子は既に、"正しさ"すら斬り捨ててしまっているのだよ。』
脳裏に突然に蘇った声に、三成は忌々しい!と首を振った。知ったか振りをするな。人は一人では生きられん。平懐者と罵られる俺ですら、そんなことは知っている。それを、あいつが知らぬとはそんな道理はあるまい。避けているだけだ、おそれているだけだ。あいつは、他人を傷付けることに臆病なだけだ。馬鹿馬鹿しいことだ、ああまったくもって、馬鹿馬鹿しいことだ!
「返事をしろ、名を呼べ!一度でよい、俺はしかと聞いてやる。早くしろ、声を上げろ、
ゆ き む ら ! 」
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三成は、焚き火の木がはぜる音に目を覚ました。どうやらうたた寝をしてしまったようだ。大坂へと兵を引く最中、この雪山を越える際、派手な雪崩に巻き込まれてしまった。幸い、左近の手腕で軍の壊滅は避けることができたが、肝心の総大将である三成が、幸村と共にその雪崩にさらわれていた。正確には、三成が雪崩に巻き込まれ、それを庇う為に幸村も彼の後を追ったのだ。幸村のお陰で三成に大した怪我もなかったが、反面幸村は足を捻っていた。地理の分からぬ雪山を歩き回るには少々酷であった。不幸中の幸いであろうか、偶然にも洞窟を見つけ、その中で暖をとっていたのだ。
疲労とが重なり、三成は寝入ってしまったようだ。三成はゆっくりと身体を起こす。幸村はこちらに顔を向けていたが、暗い洞窟の中、灯りは二人の間に横たわる焚き火だけだ、相手の表情までは分からない。
「随分と、深く寝入っておられましたね。冷えて参りましたから、そろそろ起こさねばと思っておりました。」
「夢を見たような気分だ。」
幸村は三成の言葉に、ゆめですか、と焚き火をかき回しながら言う。手慣れたもので、幸村に任しておけば火が消えてしまうようなこともあるまい。
「俺が辺りの様子を伺ってこようとこの洞窟を抜け出す。すぐに戻るつもりだったのだが、慣れぬ道ゆえ手間取ってしまった。随分と時間をかけ、この洞穴まで戻る。が、怪我をして動けぬはずの幸村、お前の姿がどこにもない。どうしたことだ、俺は戻る場所を間違えたのか、と洞窟内を探る。するとどうだ、焚き火の近くに、炭で書いたのだろう、言葉が彫ってあった。お前の仕業だ。」
私はそんなことしておりませんよ。幸村はそう軽やかな声を出しながら、自然な動作で地面をさらさらと撫でていた。当然だ、夢のはなしだからな、と三成は続きを紡ぐ。
「お前の言付けはこうだ。『深い山ではありません。三成どのの足でしたら、十分に降りられるはずです。足手まといの私は先に参りますゆえ、三成どのもお早く私に追いついてください。』
三成を置いていったような言葉だが、実際は違う。怪我をして動けぬ幸村は、己が三成の重石とならぬよう、自ら進んで失踪したのだ。三成の身体は、幸村がうまく庇ってくれたお陰で、せいぜい戦の疲れが蓄積している程度である。確かに雪の中をひたすらに歩くのは骨の折れることだが、三成は見かけによらず膂力のある男だ。それぐらいのことはやってのけるだろう、と幸村は思ったのだろう。
三成も愚かではない。幸村の言葉の意味を瞬時に覚った。あとは無我夢中であった。ひたすらに幸村を追いかけた。名を叫んだ。叫ぶと言うに相応しい程に、三成は声を張り上げた。
「それで、"私"は見つかりましたか?」
「分からん。お前を探して、力尽きたところで目が覚めた。」
「夢の中の私も、随分とひどいことをしますね。」
「俺はそうは思わん。お前はお前の最善を思っての行動であろう。それが、俺の意思とそぐわなかっただけだ。だが幸村、夢の中の話だとお前は笑うかもしれんが、」
ぱち、とまた木がはぜた。三成が思わず口を閉じた。幸村はじっとこちらを見つめている。しかし、何分、暗い。彼が何を考えているのか、己の感情が彼に伝わっているのか、まったく分からなかった。
「俺を置いていくなど、もってのほかだ。傷付けるだけが、関わりでもないだろう。」
人付き合いが下手な俺が言うのもおかしな話だがな。三成はそこで会話を終わらせ、お前も少し休め、と最後を綴った。幸村はそれに頷きながら、三成の目から隠すように己の指を撫でた。そこには、三成が夢に見た、地面に書かれた字と同じ煤で汚れていた。幸村はゆっくりと視線を伏せ、唇だけを動かした。おそらく三成は、幸村が唇を振るわせたこと自体、分からなかっただろう。
(みつなりどの。)
幸村が形取った言葉は、たったそれだけの言葉であったが、幸村は一人満足し、安堵の息を漏らすのだった。
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『私とワルツを』を聴いてたら、こういう話が書きたくなって、でも自分でもよく分からなくって、分からないままに終わらせました(コラ)
01/17