沼底の火  as far as I know


ぬ 拭っても拭っても、火はとまらないのです
ま 幻はみんな、沈黙にだけ閉じ込めました 兼続と幸村
そ 逸らした視線で、結局あなたを見ています
こ 心がなんです、心臓だけが現実でしょう 慶次×幸村
の 飲み込んだ色々が、胸の裡を食い荒らします +おまけ 武蔵と幸村と毛利勝永
ひ 開いた窓は、そのまま未来のような気がして































幻はみんな、沈黙にだけ閉じ込めました





久方ぶりに顔を合わせた二人の間に、ぴりぴりとした緊張感が走った。それは大方が、九度山の蟄居先に訪れた兼続のせいである。もちろん、幸村と親しくしていた兼続が、こうして彼の蟄居先へと極秘で訪れていることが徳川家の耳にでも入ってしまったら、当然何かしらの罰が下るだろう。だが兼続が纏っているのは、そういった浅ましい緊張感ではなかった。
幸村は、そんな兼続の唐突の訪問にも、僅かに表情に驚きを浮かべた程度で、大した動揺はなかった。幸村は哀しげに微笑みながら、どうぞお上がり下さい、と頭を垂れた。

幸村は音もなく湯飲みを差し出した。兼続は慣れた幸村の様子に、思わず泣きつきたくなるほどに哀しくなってしまった。お前はあの真田家の、関ヶ原では大層活躍したあの真田家の男であるのに、お前のその姿はあまりにもむごい、むごたらしい。体面を繕った上杉は、禄を減らされはしたが大名としての姿を保っていたが、真田本家は意地を通したがゆえに、体面を失ってしまった。あの輝かしかった幸村の姿を知る兼続にとって、彼の没落の様があまりにもあわれに映った。

一向に茶に手を伸ばさない兼続に、幸村は一言、粗茶でございますが、と言葉を繋いだ。兼続が慌てて幸村を見やる。幸村はその視線をおそれて、そっと顔を伏せた。
「幸村。」
「はい、」
「お前は私を憎んではいるだろう。」
「まさか。」
そんなことはありません、と幸村が続ける間もなかった。兼続は懐に忍ばせていた刀を抜き放ち、その柄を幸村に握らせた。骨ばった幸村の手が、尚あわれであった。
「幸村、私は醜くくとも生きていかねばなるまい。お前はそれを理解してくれないだろう、共感してくれないだろう。だが、私はそうして生を繋がねばならないのだよ。もし、お前がそんな私に僅かでも同情をしてくれるのなら、」
「兼続どの。」
幸村はやはり哀しそうに微笑みながら、そっと床に刀を置いた。
「人の命とは、本当に重いものですね。私は、先の戦で、ようやくそれを実感したように思います。兼続どの、人の命とは、重いものなのですね。」
そして幸村は、床に置いた刀を兼続の方へ静かに滑らせ、それ以上の言葉をつぐんだのだった。










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02/24































心がなんです、心臓だけが現実でしょう





「お前さんには、浅はかさが足りない。」

酒の席だ。ほろ酔いの生温い空気であった。幸村はふ、と息を吐いた。酒気を帯びた、熱い吐息である。多分にからかいの含まれた、ご冗談を、と笑っているような一息であった。

幸村は慶次が何を思って蟄居先のこの庵を訪れるのか、十分に知っている。そして、どうすればそのような空気に転がるのかを、幸村はちゃんと心得ている。だが、一度とてそのような隙を彼に見せてはやらなかった。彼と関係を持つことを拒んだわけではない。それならば、そもそも彼をこの屋敷に上がらせたりはしない。

酒に酔ったと嘘をつき、彼にしな垂れかかればよい。そして殊更切なそうに目を伏せて、けれども肝心の瞳には涙の膜を薄っすらと張って、それからこう言えばいいのだ。寂しいのです苦しいのです、私はどうしたらよいのでしょう、ああ、ああ、どうか助けて下さい、せめて慈悲を賜りたいのです、どうかどうか。

けれど幸村は、勢いよく杯を乾し、素面のまま、ただ慶次の冗談に相槌を打つばかりだ。

「あなたは、そんな私を眺めに、ここを訪ねて下さいますか?」

素っ気無い様子にも、慶次は笑っていた。つれないねぇ、と慶次が零せば、幸村は答える代わりにくすくすと笑った。










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02/21































飲み込んだ色々が、胸の裡を食い荒らします





険悪さを含んだ沈黙に、どたどたとその場の雰囲気に相応しくない、慌しい足音が響いた。侍女のものではない、秀頼に仕える小姓たちのものとも違う。彼らはいくら危急の用であろうとも、ああまで己を不様に自己主張したりはしない。幸村が皆の顔を見回せば、淀の方が不愉快そうにその美しい顔を歪ませていた。足音と並んで騒がしい声が、互いに反響し合っていた。「困ります、お下がり下さい!」「うるせぇッ、幸村はここに居るんだろう、この城のお偉いさんも集まってるってんなら都合がいい!」「無礼にも程がありますッ、」

みやもとむさしどのっ

幸村はゆっくりと息を吐き出した。幸村が密かにため息をついたことなど、武蔵の足音に気をとられて誰も気付かなかっただろう。いいや、幸村の二つ隣りの位置に居た勝永にだけは、彼の行動が見えてしまっていた。

パン!と襖が外れそうな程勢いよく開かれた。仁王立ちをして、こちらを睨み付けているその男の怒りを、幸村は覚ることができなかった。ただ、彼が怒るだろうことは分かっていた。じろりと武蔵に睨まれた、この場に集まった"偉いさん方"は一様に目をそらした。彼の目は、獰猛な獣によく似ていた。

「武蔵、秀頼様の御前だぞ。控えよ。」

幸村は武蔵の逆鱗を知っていた。彼は幸村が当然としてきたことが、一々癪に障るらしい。武蔵は幸村の姿を認めると、大またで幸村に近付いた。ずんずんと進むその進路を妨げるものは誰もいなかった。この獣に手を焼いているのだ。幸村に投げてしまっている。

「あの布陣はいつ決まった?!」
「昨日、軍議で、」
「お前が口八丁で丸め込んだんだろう!」
「人聞きの悪い。公平な、極めて公平な会議だったぞ。」
「都合が良すぎるって言ってんだよ!あんな一番くたばりやすい、」
武蔵はそこで大きく首を振って、幸村の胸倉に掴みかかった。座っている幸村に覆いかぶさるのは、至極簡単だった。
「くじ引きをして決まった布陣だ。」
「布陣をくじ引きで決めるなんざ、冗談もほどほどにしやがれ!そんなふざけた話があってたまるか!!」
ああ、まったくふざけた話だ。私だって、そう思っている。公正を期する為にくじ引きとは。あまりにもひどい話だ。笑うしかない。私たちは皆、失望してしまったのだ。

「武蔵。」
「武蔵どの、あなたは何か勘違いをしている。大野どのがくじ引きで布陣を決めると提案されたのは、わたしたちのお力に重きを置いて下さっているからだ。わたしたちの働きに期待をして下さっているからだ。」

わたしはちゃーんと知っていますよ、と人の良さそうな笑みで大野冶長に微笑みかけた。勝永であった。唐突に話を振られ冶長も面食らったようだが、すぐにも大仰に頷いた。自尊心ばかりが強い男である。

武蔵の勢いが削がれた。するりと幸村の胸倉を掴んでいた手から力が抜けていく。幸村はそのまま離れていこうとする武蔵の腕を掴んだ。武蔵が驚いたようにこちらに視線を向けた。幸村はどんな表情をすれば良いのか分からずに、すぐに顔を背けてしまった。

「お騒がせを致しました。武蔵は私が連れて行きますので、軍議をお続け下さい。武蔵が落ち着きましたら、私も戻ります。では。」
反論を許さぬ早口である。幸村は無駄のない、流れるような所作で立ち上がり、武蔵を引き摺るようにして退室してしまった。


しかし、半刻ほど経っても幸村は戻ってはこない。幸村が居ても居なくとも軍議の行方に変更はないだろうが、既に戦の方針が決定してしまっている今、話題もそうそう上らない。積極性の欠けた軍議では、同じことを何度も繰り返してしまうものだ。冶長が「左衛門佐どのは遅いですなあ」とこれで何度目であろうか、その言葉を繰り返した。空気が白けてしまっている。集中力が欠如している。このような場に留まるは無意味と、見切りをつけた勝永が、まずは立ち上がった。「ではわたしが呼んで参りましょう」続いて、幸村の隣りに腰掛けていた又兵衛も立ち上がる。飽き飽きしていたのは、彼も同じだ。「武蔵が暴れているかもしれん。おれも同行しよう。」そう言うや、冶長の許す間もなく、彼らもその場を去ってしまった。

城を出れば、すぐに武蔵は見つかった。しかし幸村は一緒には居なかった。居場所を訊ねれば、戻ったんじゃねぇの?と武蔵も行方を知らぬようであった。又兵衛は幸村を探しに行くと言って、その場で別れた。勝永は又兵衛もまた、幸村同様に軍議をさぼりたくて仕方がないことを知っていた。

「あんたって変な人だな。」
武蔵の言である。勝永も戻る気はない。気まぐれに、彼の会話に耳を傾けた。
「どの辺りが?」
「なんで俺と幸村の会話に割って入ったんだ。とばっちり食うかもしれねぇのに。」
「わたしは根っからのお節介なんですよ。きっと、あの先をわたしが遮らなければ、あの人はわたしたちの胸がスッとすくような、小気味良いことを申されたことでしょう。ですが、それではいけません。あなたが、あの場に居たからです。」
「何だそれ、意味わかんねぇ。」
「わたしの口から、その言葉が飛び出したなら、それはそれでいいのです。ですが、あなたがまだ美化したい幸村どのが、それを申してしまっては、それはいけません。あなたの夢がけがされてしまいます。」
わたしの機転に感謝して欲しいものです。と勝永は笑った。好意の押し付けである。そんないやらしさを彼に見せ付けるのは、勝永の仕事である。そんな自負があった。

「幸村が、」
武蔵は勝永の言葉を繋ぐことはせず、己の心情を吐露した。勝永は、幸村の心しか理解できない。武蔵の立場には、どう頑張ってもなれない。初めから努力する気などさらさらないが。しかし同時に、武蔵の無慈悲な優しさに縋ろうとする、幸村の心も理解できない。いくら互いに歩み寄ろうとも、互いの境遇に同情しても、他人である以上、その心を知ろうなどと人が祈るには、あまりに高望みなのだろう。
「嘆くことは出来ても、怒ることは出来ないから、怒ることを知らないから、だから俺があそこで怒鳴り込んできたことは、そりゃ、どう見ても良いことじゃないけど、でも幸村にとっては救いに見えたんだと、」
そう言ってた。武蔵は時々、ひどく舌足らずな言葉を繰る。そうしなければ、己の心を表現できぬとでも言いたげであった。事実、巧みな話術、豊富な語彙でそれらを語るより、平易な安直な単語で紡いだ方が、その心は伝わりやすいのかもしれない。

「わたしは、幸村どのほど出来た人ではないですから、あなたが憤らなければ、わたしがそうしていたことでしょうね。ですから、わたしもあなたに救われたのかもしれません。」
「救いとか、軽はずみに使う言葉じゃねぇよ。」
「そうですか?もののふという生き物は、一様に夢想家なのです。そういった、幻想じみた言葉が好きなのです。」

(そうして、夢を見たまま死んでいく生き物なのです。)
勝永は、そう祈る幸村のうつくしさをよく知っていた。










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我慢しきれず、勝永どのを出してしまいました…。キャラ設定とか甘いです。勝永×幸村でもなければ、勝永×武蔵でもないです。あくまで同族意識な感じで親しくしてるだけです。創作戦国だったら、間違いなく又兵衛×幸村を推しますが(オイ)

くじ引きで布陣を決定するよ☆っていうのは、どっかの本で読んだ気がします。歴史群像だったかな、記憶は曖昧です。勢いでがーっと書いたので、ところどころ不審な点はあるかと思いますが、その辺りもご愛嬌、ということで。大野どのばっかに嫌な役を押し付けて、ホントすいません。
02/26

































「あんた、ひどい奴だなあ。」
その言葉は極々気軽に発せられた。よく聞き耳をたてていなければ、その音に誤魔化されてしまいそうな程だった。だが勝永は、彼の調子に流されてしまう程、柔な人間ではなかった。
「今更でしょう?ここはひどい人間の巣窟ですから。その筆頭が、ほら、幸村どのではありませんか。兄の温情すら振り切って、こんなさびしい場所へ訪れてしまって。」
幸村は、決して兄の存在を切り捨てたわけではない。だがそれは、幸村の事情であり、幸村の兄の事情でもあり、他人には決して理解できぬものなのだ。もっと外側の、武蔵のような者の目からは、手を差し伸べた兄の手を振り払った、極悪非道な人間に見えるだろう。いいや、そう見えなければならないのだ。










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02/26