兼幸のつもりだったけど、オリジナル要素の方が強いです。ひらひらドレスの世界です(…) なのに、可愛げの欠片もないひどい話です。
その日もお嬢様は、庭園のテラスで一人静かに紅茶を飲んでおられた。芳しい香りが庭師の鼻を刺激し、思わずそちらを見てしまった。その視線に気付いたお嬢様が、こちらへいらっしゃいな、と微笑んだ。いいや、そう見えたのはあくまで庭師の思い込みであって、彼女は反射的にその笑みを返しただけなのかもしれない。庭師は慌てて視線を外し、土いじりを再開させた。遠目に映るお嬢様は、今日もお綺麗だった。よくお召しになっている紅色のドレスは、薔薇のような鮮やかさはなくとも、穏やかに佇むお嬢様にはよく映えていた。赤は女の色だ。庭師はふとそんなことを考える。だからお嬢様がお召しになっているドレスの色は紅と言わねばならない。あの方に、そんな派手な称号などは似合わない。桃色のように、ふわりとした華やかさがお嬢様を表すには相応しい。姫君たちには珍しい、肩までしかない黒髪は、いつも陽の下で艶々と輝いていた。ブロンドの巻き毛にはない清楚さである。庭師は黙々と手を動かしながら、お嬢様のお姿を脳裏に呼び戻す。いつもお一人で、アフタヌーンティーを楽しまれ、庭の景色を眺めたり、分厚い本を膝に乗せたりして過ごされている。庭師はそれをいつも密かに眺めている。それで十分に満足だったのだ。
「庭師さん、こちらへいらっしゃいな。」
唐突にそうお声がかかり、庭師はどうすることもできなかった。あの鈴を転がしたような美しいお声が、まさか己の為に発せられたとは思えなかったからだ。ナイチンゲールの囀りも、彼女の声には劣るだろう。
「庭師さん、庭師さん、」
何度目かの呼びかけで、ようやく庭師は顔を上げた。その先にはお嬢様がにこりと微笑んで佇んでおられた。しかし庭師はどうすることもできず、ただ呆けたようにお嬢様を見詰めるばかりだ。この屋敷へ雇われた時の契約を、庭師はちゃんと覚えている。屋敷の人間とは口を利いてはならないのだ。
「紅茶はお嫌い?サンドイッチはいかが?それともスコーンがよろしいかしら?」
お嬢様は慣れた手付きで、もう一組のカップに紅茶を注いだ。思わずずっと眺めていたくなるような、うっとりする動作だった。それでも庭師はじっとその場を動かなかった。お嬢様とうっかり言葉を交わし、それが大旦那様のお耳にでも入ってしまったら、己は解雇されてしまう。お嬢様を一目見ることすら叶わなくなってしまう。それは、とても、かなしい。
「ではお話相手になってくださいな。あなたが毎日、丁寧にお世話をされるものだから、一日ぐらい放っておいても、彼女たちはな〜んの文句も言いませんわ。」
庭師はそれでも戸惑っていたが、お嬢様がほらほら、とあまりに急かすものであったから、庭師もついには観念して、お嬢様の御側に寄った。それでもその口を一度とて開きはしなかった。
「あなたはとてもお美しいお方ですわ。お心が清らかなお方は、学などなくともお美しく生きる術を心得ているものです。」
(いいえいいえ、お嬢様。わたしはいやしい、本当にいやしい男なのです。本来ならばお嬢様にこうして声をかけて頂くことすら恐れ多いことなのです。わたしは学がありません。お嬢様をお美しいと表現するだけの言葉も知りません。世界も知らなければ、このお屋敷の大旦那様がどういったお人なのかも、何も知らないのです。わたしはお嬢様がお召しになっているドレスの名前も知らなければ、その生地がどれほど高価なものなのかも、知らないのです。お高い、わたしには一生無縁のものだとしか分からないのです。)
「だから、どんなにか富に恵まれようとも、礼儀作法を身に付けようとも、心が貧しくさもしくあれば、どんなに繕おうとも醜くなってしまうのです。わたくしのように。」
庭師は目を見開いてお嬢様を見詰めた。まるで深海を思わせる、少し青みかかった黒い瞳。その瞳の奥が、切なげに揺れていた。
庭師はお嬢様が、時々作法を無視してケーキを手掴みすることを知っていた。唇についたクリームを、舌でぺろりと舐めとる様をみたこともあった。けれども、お嬢様は何にも醜くはなかった。お嬢様がそうなさることで、その無作法が無作法には見えなくなった。お嬢様はいつもお美しく振舞われる。礼儀作法ではない。お心が美しい証拠だ。
***
今日も庭師は草木の手入れをする為に庭へ出ていた。しかし、いつもならばテラスで日向ぼっこをしているお嬢様が、今日はお見えにならなかった。お身体でも壊してしまったのだろうか、と庭師がぼんやりとそんなことを思った時であった。荒い呼吸のお嬢様が、庭へと駆け込んでみえた。髪を振り乱し、ドレスの裾は走った時にはねた泥で汚れていた。今日は純白の、まるで花嫁を連想させるような真白なドレスを召されていた。庭師は、そのお嬢様の姿に驚くよりもまず、お嬢様の走っている姿にびっくりしてしまった。お嬢様はどちらかというとおっとりとした方で、お屋敷で火事騒ぎがあった時も、執事に急かされようともゆったりとした歩で避難された方だ。
「庭師さん…!」
それは庭師を探しにきた、というよりは、たまたまそこに居た庭師に助けを求めた、と言った方が近い。お嬢様は片方の手でドレスを持ち上げながら、少しでも走りやすいようになさっていた。上気した頬の鮮やかさを、庭師はこの時初めて知った。白磁の頬に、夕陽の鮮やかさを思わせる色がかかっていたのだ。
「一緒に逃げましょう。いえ、それではいけない。あなたはここに居て、お父様に認めて頂かなければ…!あなたはお父様が大好きな血統をお持ちなのです。」
庭師はわけがわからず、咄嗟のことに首を横に振ってしまった。あなたのような小鳥は、世間に出てはいけない、出てしまっては生きていけない。そう思ったからだ。お嬢様はかなしそうに、「そう…、」とため息をお吐きになった。庭師は出来ればお嬢様の仰るようにしてやりたくなった。
「あなたの召し物を貸してください。わたくしは最早、このように美しいものを纏ってはいられません。」
これには庭師も困った。庭師はボロ布のような服を二着しか持っていない。もう一着は家のハンガーにかかっているはずだ。朝洗濯をして出てきたものだから、今もまだ湿っているはずだ。何より、己のような身分の者と同様のものを纏おうとしているお嬢様に、首を振らざるを得なかった。お嬢様には、そのお美しい召し物こそがお似合いなのです。このようなみすぼらしい格好をどうしてさせられましょう。
「では、その鋏でこのドレスを切ってください。これでは走ることが出来ません。」
庭師は泣きそうな顔で、更に首を振った。たった今雑草を手にかけたこの鋏で、どうしてお嬢様のお美しい羽衣を裂くことができましょう。あまりに無体にございます。庭師は必死に首を振った。
「わたくしはもう、このお屋敷には居られないのです。どうか、お願い。」
そうして、庭師の手を掴み、己の胸の上に置いた。本来ならば、そこには女性特有の膨らみがあるはずだ。しかし、庭師の手の平には、とくとくと早鐘を打つ心臓の音が聞こえるばかりだ。肉厚ではない、膨らみもない。
「わたくしは男なのです。このような格好をしてはいるけれど。とうとうお父様は気付いてしまった、わたくしの母がいやしい下男と密会をしていたことを。そうしてわたくしが生まれてしまったことを。」
お嬢様は、ぎゅうと庭師の手を握り締めた。それでもお嬢様はお美しかった。紅のドレスが良く似合うお嬢様の姿に変わりはない。心が美しいからだ。
「もうここでは生きられない。けれどわたくしは、外の世界で生きる術を何も知らない。わたくしの生きる世界がなくなってしまった。」
庭師さん、庭師さん。縋るようにお嬢様はそう繰り返しお呼びになった。庭師はお嬢様があわれに思え、お嬢様の次のお言葉には必ず頷こうと決心した。
「美しく咲いた白百合を切り取ったその鋏で、わたくしの命もちょん切ってください。」
純白のドレスに散った赤の鮮やかさが、庭師の最後の記憶だった。
***
兼幸は 視/姦 だと思う(…) いや、精神的にという意味でね!
生きている幸村を一縷の隙なく眺めるのが兼続で、死ぬ瞬間こそをその目に焼き付けて欲しいのが幸村。この二人には互いに共通した、一種特異な性質がなければくっつかないと思うんですよ。相手に要求する、他人では許容してくれないとんでもなく酷いことを、この人だけは許容してくれる、っていう、の、かな。分からんけど(ぅおーい!)
話浮かんだ時は、あ、兼幸や!って思ったんですが、書き終えてみたら、案外そうじゃないね。別に幸村に当てはめる必要はないはずなのに、こう、幸村を通じてじゃないともう熱が発生しない(…)
02/29