みんなで幸村をわっしょいさせてみた
1 三成と幸村
2 左近と幸村
三成どの、と控えめに襖の向こうから声が聞こえ、三成は一旦手を止めた。僅かに顔を上げたものの、再び手の動きを再開させてから、入れ、と無表情を装って声を返す。ことわりの声と共に、丁寧な動作で入室をしたのは、三成の予想通りの人物である。湯呑と和菓子を乗せた盆のほかに、小脇に書簡を何通か抱えている。
「こちらに来る前に左近どのとすれ違いまして。その時に頂いた三成どのへのおみやげです。」
そう言いながらも、三成の方へ差し出すのは湯呑と和菓子だけで、仕事の資料らしきその書類は幸村の手許近くに転がっている。見かねた三成が思わずそのことを指摘しようとしたが、その前に幸村が、
「休憩にしましょう。」
朝から何も口にされていないと聞きました。と優しげな、それでいて有無を言わさぬ口調で言う。三成はふいと顔をそむけ、これが片付いたらな、と再び机に向き直った。急ぎの仕事ではないことは分かっているが、どうも書類の束を放置しておくことが出来ぬ性分なのだ。
「三成どの。」
と背中に声がぶつかるが、三成は置いといてくれ、と返すことしかしない。別段空腹も感じていない、し。
ふと己に影が差し、不審に思った三成が顔を上げる。幸村が三成の前に回り込んで、丁度幸村の影が三成を見下ろしている。
「ゆき、」
「休憩にしましょう。折角のお茶が冷めてしまいますよ。」
そう、あくまで穏やかな口調で言い、幸村は三成の手からひょいと筆を奪った。三成はその動きを目が追うが、咄嗟に反応することが出来なかった。幸村の手首を、思わず凝視してしまった。細い、手首。いや、鍛練を怠らぬ幸村の手首は決して弱々しいわけではない。あの手首が彼の戦の得物を扱っているのだ、決して軟弱なのではない。だが、長い三成の指であったのなら、彼の手首ぐらい、ぐるりと一周してしまえそうな。白い彼の手首に巻き付いた、己の指の跡を想像しては、幸村に申し訳ない気持ちになる。いつか、そうやって近付いてきた彼の手首に掴みかかってやろうか。そう思ったこともあったが、その先が分からずにその衝動は三成の中で燻ったままだ。
幸村は三成の一瞬の動揺に気付いた様子もなく、今日は良い天気ですから、障子を開けても良いですか?と、庭へ面する戸を指をさす。三成は小さく頷き、縁側に腰掛ける彼に続く。
以前は、人の内側に入り込むことに尻込みをしていた幸村だが、三成がそれを許容していることを、このごろようやく知ったらしい。今も、怒号が飛ぶどころか、仕方のないやつだ、と、幸村の行動に微笑ましさすら感じているのだ。彼が己への壁が僅かに薄くなったと自覚する度に、うれしいやら、むず痒いやらを感じている。幸村がそうやって、少しずつ己との距離を縮めようとしているのだから、いつか自分も、放り出されている手首を無遠慮に掴んで、「ただ触れたかっただけだ。」という理由にもならぬ理由を言うことができる日が来るだろうか。
***
09/23
主を訪ねてきた男を一先ず客間で待たせて、左近はさてどうしようかと逡巡する。私用の客だ。一々意見を求める為に仕事を中断させるのは些か申し訳ない。いっそのこと、彼を直接差し出せば良いのではないか、との結論に至り、ついでに書類も持って行ってもらおう、と思ったのは、少し横着だろうか。
左近が見る限り、三成と幸村の間には、もう少し気安さが必要だと思っている。彼らの友情云は左近には全くの無関係ではあるものの、左近ばかりが幸村を使っていては、主の要らぬ怒りを刺激しそうだ、とは思う。
幸村は、一人きりの客間でも、ピンと背筋を伸ばしてじっと庭先を眺めていた。微動だにせぬその姿は、軍議の場と大差はない。この人も息抜きが下手な御仁だ、と思っていたのは数年前の話だ。彼が自儘に振舞っている姿が、己には張り詰めているように見えるだけなのだ。
それにしても、と、左近はまじまじと幸村の背中を見つめる。まるで板でも当てられているように、その背筋には歪みがない。この着物の下には、引き締まった身体とそれを支える信念のような背骨が浮き上がっているだろうと想像してみたものの、想像の中の彼の背中は数年前の少年のものでしかなく、今の姿と直結しなかった。
「左近どの?どうかなさいましたか?」
視線に気付いたのだろう、幸村は上半身をひねってこちらを見た。左近は誤魔化すように笑った。
「お前さんは、昔と変わらず姿勢の良いこったなあ、と思ってな。殿は最近猫背気味で。」
「三成どのは忙しいお方ですから。」
幸村はそう言って体勢をちゃんとこちらに向けて、また出直して来ましょうか?と首を僅かに傾げる。
「いや、いい気晴らしになるだろうし、ちょっとこれ持って、殿の部屋覗いてやってくれないか。あの人、朝から何も食ってないんだ。」
そう言って、幸村が土産に持ってきてくれた和菓子が乗った盆と、書類を差し出す。幸村はいやな顔ひとつせず、はい分かりました、と気持ちの良い返事だ。早速行って参ります、と幸村は腰を上げた。左近はその背中を見送りながら、未だに消えぬ記憶に心の中で舌打ちした。少年の頃の幸村の背中の、白い、白い、こと。それだけは今の彼と重ねてはならぬように思えて、左近は己の若さに辟易するのだった。
***
09/23