政宗×信繁
景勝×信繁
兼続と信繁
景勝×信繁
小十郎×信繁(風味)
信幸と信繁
信繁と大助
景勝×信繁(風味)
景勝×信繁(風味)
信繁と大助
景勝×信繁
秀次←信繁(になってるといいなぁ)
秀次←信繁(になってると略)






























 政宗は、ふと先程擦れ違った青年のことを思い出した。噂では、あの一見凡愚にしか見えぬ男が、目の前の太閤殿下のお気に入りらしいのだ。ことあるごとに彼を呼びつけては、老人の独り言を聞かせているらしい。政宗は、話に聞いただけで嫌気が差してしまう。何が楽しくて他人の話に付き合ってやらねばならないのか。
 いい加減一方的な秀吉の語りにも飽き飽きしていた頃だ。そう言えば殿下、と僅かに距離を詰めれば、秀吉は政宗の殊勝な態度に満足したのか、続きを促すように頷いた。

「さきほど、真田殿とお会いしました。」
「源二郎に会うたか!どうじゃ、やつは可愛かろうて。」

 秀吉は皺の増えた顔を更にくしゃくしゃにして、子どものように笑った。今日は特に機嫌が良いようだ。更には、政宗の口から可愛がっている真田の名が出たことに、純粋に喜んでいるようであった。既に姿は老人そのものだが、時々妙に人間くさいところがあり、それが人たらしの異名を取る秀吉の才能でもあるのだろう。
 政宗は秀吉の言葉に、ええ、と頷きはしたものの、擦れ違い様に覗いた顔に、それ程のものだろうか、と思わずにはいられない。もしくは、この老人、早々に視力が悪くなってしまったのか。衆道の気がある政宗の周りには、自然そういった見目麗しい小姓が集められるのだが、目の肥えた政宗からして、別段幸村の容姿が劣っているように映っているわけではない。ただ、周りが騒ぐほどのものではない、と政宗は思ったのだ。確かに物腰穏やかで柔和、顔も中々整っている。騒ぐ相手が女であったのならば、十分に幸村の話は盛り上がることだろう。幸村自身、相手に事欠かないに違いない。だが、彼を持ち上げるのは何も女官ばかりではない。やれ大谷吉継だの、上杉景勝だの、更には日ノ本の天下様まで彼を寵愛している。別段、目立った功があるわけではない。父はあの徳川家康の軍を追い払ったと結構な評判を呼んではいるが、父は父、子は子である。

「わしはなあ、つくづく思うんじゃが、源二郎が女子であったのならばと思わずにはいられんのじゃ。」
「男子では、何ゆえいかぬのです?」
「褥に呼べんし、抱けもせん。愛でることが出来ん。じゃから、可愛がることしか出来んのじゃ。男を抱くなぞおぞましい限りじゃ。」
 秀吉は徹底した女好きである。ふくよかな、柔らかい女子を抱くならまだしも、筋肉に覆われたかたい身体をどのように愛でればよいのか。男の身体なぞ、それだけで興が醒めるというもの。
 だが政宗は違う。政宗は綺麗なものが好きだ。男女の差など何の意味があろうか。綺麗なものを愛でずして、それを人生と呼べるのか。

「では、殿下。私が愛でてもよろしいか。」

 政宗から飛び出した言葉は、まったくの好奇心である。真田幸村がどれ程の人物であるのか、政宗はまったく知らない。ただ、大坂の人間が皆口を揃えて幸村の才を誉めそやすものだから、政宗もついつい火がついてしまったのだ。お前たちの自慢の稚児も、所詮はこの程度よ、と鼻で笑ってやりたかったのかもしれぬ。それに、男は趣味ではない、と言い切った秀吉の反応も見てみたかった。怒るか笑うか、それとも反応すら出来ぬか。それで太閤秀吉の器もはかれるというもの。政宗は秀吉の次の行動を待った。

 秀吉は一瞬言葉を理解できなかったようで、その一瞬だけ表情を失くしていたが、すぐに顔を皺くちゃにして笑った。政宗を指差して笑ったのだ。

「面白いことを言うのう、おぬしは。やめておけ、やめておけ。あれはおぬしには扱えんじゃろう。爪を立てられる程度なら可愛いもんじゃが、あれの場合はそうではない。その喉笛噛み千切られようぞ。」
「ご冗談を。あのような男に、」
「源二郎は、そういった男じゃ。折角繋がっておる首じゃ、褥で散らす為に生きながらえたわけではあるまい。」

 小田原のことを言っているのだと政宗はすぐさま悟ったが、それには気付かぬフリをした。

「のぅ、伊達殿。源二郎は、まっこと可愛かろう?」





***
07/07/30






























「源二郎、私はね、とても嬉しいのだよ。お前が上杉に来てくれたこと。お前の眼が景勝さまを映していること。」

 直江兼続はそう言って幸村の手をぎゅうと握り締めた。冷たい手であった。

「初めて上杉に来た人間は、そろって私を通して景勝さまを知る。私を通して景勝さまを見る。私はそれが悲しくて仕方がない。あのような素晴らしいお方が他におられようか。あのようなお方、広い天下とて他にはおられまいというに。それゆえ、私は悲しくて仕方がない。だがお前は、初めから景勝さまを見ていた。景勝さまの魂をお前はしかと心に焼き付けた。私は、だからこそ嬉しくてたまらない。」

 幸村は、己の言葉で感極まってしまった兼続を見、穏やかに微笑んだ。兼続は手を離し、今度は幸村の頭を撫でた。

「景勝さまは、本当に素晴らしきお方です。けれど、それは兼続さまが隣りにおられてのこと。けれども、兼続さまがそのように輝いてみえるのも、景勝さまが後ろに佇んでおられるからこそ。お二人は、お二人だからこそ、輝いておられるのです。」
「ああそうなのだ!私一人では何も出来ぬ。」

 優しい手付きで幸村の頭を撫でていた兼続だが、次はがばりと幸村を抱き締めた。長身の兼続である。小柄な幸村はすっぽりとその腕に収められてしまった。

「私は嬉しいぞ源二郎!理解せぬ者たちに心痛めていたが、そなたの言葉に癒されたぞ!これは景勝さまにもお伝えせねば!」
「大袈裟でございますよ、兼続さま。」
「なに、大袈裟ではないぞ!景勝さまもきっとお喜びになる。何より、そなたからの言葉であるからな!そなたも景勝さまのお喜びにある姿を見たいであろう?」

 上杉景勝という人は、決して表情を変えぬ人物であった。何があってもむすりとした表情で、目の前の出来事を諦観している。それでも、兼続は景勝の感情が分かるのだと言う。


「兼続さま。」
「ん?どうした源二郎。」
「今度、景勝さまと海を見に行くのですが、よろしいでしょうか?」
「私を除け者にして、そなたも景勝さまも人が悪い。いいよ楽しんでおいで。ただし、次の日は私がそなたも景勝さまも独り占めにするからな。」





***
三人は仲良し。上杉主従はそういう関係じゃなくって、もう陰と陽、月と太陽、みたく対の関係。人にとっては太陽が兼続で月が景勝さまだけど、幸村と兼続にとっちゃあ、太陽は景勝さまなのです、と言いたい話。
07/07/30






























「若、若、ああこちらにお出ででしたか。お客人ですよ。」

 幸村はぼんやりと縁側から庭を眺めていたが、下男の声に首だけをくるりと声の方へ向けた。元々大坂には知り合いのない幸村だ。城下には足しげく通い、馴染みの店を増やしているが、屋敷に訪ねてくる人間は決して多くはない。むしろ幸村の立場から言えば、こちらから赴かねばならない人間の方が多いだろう。

「どなたが参られた?」

 幸村が訊ねるのと、襖が開けられるのとは同時であった。襖から覗いた顔に、幸村は身体ごと向き直り、とても嬉しそうににこりと笑みを浮かべた。

「兼続さま!お久しぶりです!」
「ああ久しいな源二郎。突然に訪ねてすまなかったね。たまたま時間が空いたものだから。」
「いいえ、お気になさらず。久方ぶりに兼続さまのお顔を拝見でき、とても嬉しゅうございます!」

 さあさあどうぞ中へ。幸村は居住まいを正しながら、中へと促す。気安い仲である。兼続も幸村の言葉に従い、その場に腰掛けた。

「大坂ではうまくやっているようだな。お前のことだから大丈夫だとは思っていたが、私も景勝さまも心配していたのだよ。」
「それは、お気遣いありがとうございます。大坂の方々はみな、親切にして下さいますよ。ただ、中々この暑さには慣れませぬ。」
「源二郎。」

 兼続は幸村の名を呼び、その手を握り締めた。幸村はにこりと兼続に微笑み、はい何でしょう、と先を促す。兼続はぎゅうと幸村の手を握り、幸村の目を見つめた。

「大坂は居心地が良いか?」

幸村の返事は早かった。はい、とまず頷き、次いで言葉を紡いだ。

「大坂の方々は、みな懐が深うございます。大らかでございます。ですが、越後の方々には勝りません。居心地が良いと言うのであれば、それは越後の、そして景勝さまのお膝元に他なりません。」

 兼続は幸村の言葉に、ゆっくりと手を放した。ごくごく自然な所作であった。

「源二郎、お前の嘘は優しい。優しいお前の嘘を私は好きだけれど、景勝さまには言わないでおくれ。」

 幸村の言葉は、幸村の心から出た本音である。だが兼続はそれを嘘と呼んだ。幸村の言葉は確かに嘘ではないが、気の多い幸村である、時に偽りに見えてしまうことを、兼続は知っていた。
 兼続は幸村が尚言い募ろうとするのを手で制し、さて私はそろそろ帰らせてもらうよ、と腰を上げた。もう行ってしまわれるのですか?と寂しそうに言う幸村の頭を一度撫でる。

「また来るよ。その時は景勝さまも一緒だ。ああそいえば、お前のことをいつまでも源二郎とも呼んではいられないね。左衛門佐どのと呼ぶ練習をしなくてはな。」

 兼続は、幸村が景勝の名に一瞬顔を綻ばせたことを目敏く気付き、密かに心を和ませた。大坂に身を寄せる立場でありながら、未だ景勝を主として慕っていることが、兼続は純粋に嬉しかったのだ。

「私も未だ慣れず、照れ臭い限りでして。名など、呼んでいる、呼ばれていると互いに分かれば良いものでしょう。今までのように呼んで下さって構いませんよ。」

 では、景勝さまによろしくお伝え下さい。幸村が頭を下げる。兼続はそれに大仰に頷いたが、あまり景勝に自慢しては主を不機嫌にさせることを知っていたから、つとめて控えめに報告しなければ、と心に刻むのだった。





***
とりあえず、何かを書きたいんですが、書きたいことが定まってないんで、ダラダラとした文章になりました。この上杉主従と幸村の間には、特に確執はないです。大坂に来るにあたって上杉家を脱走した設定を持ってきてるわけじゃないので。大坂でも仲良しさん。だから関ヶ原の時は、どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか、私が信用なりませんか、ってちょっと思ってるといい。うん、真 田 太 平 記 の色が濃いですね。
07/08/03































「申し訳ありません。主は生憎外出しておりまして、」

 そう困った様子で告げられ、兼続は小さくため息をついた。後ろに控える景勝にちらりと視線を向ければ、常に貼り付けている表情が僅かに曇っていた。それは兼続にしか見破れぬほど些細なことだが、ほんの少しだけ眉尻が下がっていた。余程落胆しているようだ。上杉から豊臣へ送られてから、幸村に会うのは今日が初めてのことであったからだ。幸村の成長を楽しみにしている人であったから、機会を逸してしまったことを残念に思っているのだ。

「景勝さま、申し訳ありません。源二郎を驚かせてやろうかと思い、何も知らせずに参りましたが、どうやら裏目に出てしまったようで。」

 兼続が素直に詫びると、景勝も小さく頷いただけである。他人が見れば怒っているのか、それとも気にしていないと言っているのか、その程度の感情であろうが、兼続にしてみれば、非常に悲しんでいることが見て取れた。寂しがっていると言ってもいい。

「大坂にはまだ数日滞在致しますゆえ、次は連絡をしてから訪ねてみましょう。」

 兼続はそう言い、帰りましょうと景勝を促す。景勝もそれに頷き、踵を返す。門を出て、一度だけ足を止めた。幸村に宛がわれている屋敷を、感慨深げに眺めているのだ。


「景勝さま、景勝さまではございませんか?!兼続さま、此度は景勝さまもご一緒なのですね。」


 聞き慣れた調子の声が、唐突にふってわいた。二人はそろって声のかかった方へと視線を向ける。
 果たしてそこには幸村の姿があった。隣には二人が見慣れぬ人物も佇んでいた。

「ああ源二郎!久しぶりだな!約束通り、景勝さまもお連れしたぞ!」
「それは喜ばしい限りで!景勝さまもお久しゅうございます。お変わりない様子で、源二郎は安心いたしました。」

 幸村はにこにこと景勝に笑顔を向ける。景勝はやはり表情を崩すことなく、大仰に頷くばかりである。幸村はその様子に、もう一度染み入るような笑みを向けた。

「して源二郎。そちらの方はもしや、」
「大谷刑部さまにございます。いつもは私めがお訪ねしているのですが、此度は刑部さま自ら足を運んでくださったようで。」

 ここ連日、幸村は足しげく吉継の屋敷に通っていた。理由は簡単である。幸村が吉継に惚れ込み、是非とも吉継の娘を嫁に欲しいと交渉しているのだ。吉継自身も幸村に好意を抱いており、また幸村の熱心な様子は父としても一角の武将としても喜ばしくはあるものの、未だはきとした返事をしてはいなかった。

 何やら面白くないのは兼続である。春日山城での日々では、何かと兼続さま兼続さまと慕われていたのだが、大坂に質へと入った途端、その立場が変わってしまった。吉継を知らぬ兼続ではなかったし、彼の器量や優れた人格も認めていたが、だからこそ、面白くはない。幸村の確かな眼力を褒めてもやりたかったが、先の景勝ではないが、寂しく感じるのも確かであった。
 それは吉継も同様である。互い親しくなれば身の上の事も話の種である。幸村は話を振られる度に、父や兄と同じように、景勝、兼続の話題も飽きることなく口にした。景勝さまはまこと素晴らしく御仁で、兼続さまはそれを支える尊敬すべきお方で。そう繰り返す幸村の目にはいつも穏やかな笑みが浮かんでおり、ああその言葉は本心なのだと、常に吉継の心を癒していた。

 互いに同じような感情を抱いていることなど考えもしなかっただろうが、互い相手を値踏みするように、じろじろと見詰め合った。幸村はその間にはさまれ、言葉を閉ざしてしまった二人を交互に見比べては、首をかしげている。人の感情の機微には聡い幸村だが、こと己が関わると、どこか鈍くなってしまうのもまた彼の特徴である。

 しばしの間、無言で互いを見つめていた二人である。流石の幸村もこれはおかしい、と沈黙を破るべき口を開いた。が、それよりも先に、

「源二郎。」

 と今まで石のように黙っていた景勝が、幸村の名を静かに呼んだ。言葉少ない景勝だが、声を失っているわけではない。幸村は、はい何でしょう、と景勝に視線を向けた。景勝は短い幸村との距離を縮め、あろうことか幸村の頭を撫で始めた。

 景勝曰く、大きくなったな、とでも言いたいのだろうが、彼は言葉にはしない。それでも幸村には伝わったのだろうか、幸村はにこにこと笑いながら、月日が流れるのはまこと早きことで、と景勝のしたいがままにさせている。

立派になったな。
はい。
壮健な様子で何よりだ。
はい。
大坂で寂しい思いはしていないか。
はい。
それは、よかった。
はい。

 そのような会話があったかは定かではないが、幸村は何度も景勝の目を見ては、嬉しそうに頷いていた。
 それを目にした吉継は、これが上杉の家風か、と何やら面白いものを見る目で眺めていたのだが、兼続は除け者にされたことに気付いたのか、ふるふると震えだし、しまいには幸村にがばりと抱き付いた。長身の兼続である、抱き付いたというよりは抱きしめたという方が正しいだろう。

「与六。」
「いくら景勝さまでも、それはきけませぬ。私とて、源二郎を愛でたいのです。」

 景勝がむすりと固く口を結んでしまったのを幸村はちらりと確認したが、源二郎、お前の成長はまこと喜ばしいことだが、これ以上大きくはならないでおくれ、抱き締めるにはこの大きさが丁度良いのでな、と兼続が言うものだから、幸村は苦笑するほかないのだった。





***
往来で何やってんだ(唐突に現実に戻る)
大谷どのを出したくって、でも景勝さまも出したくってそしたらこんな話に。景勝さまは兼続がいないと会話が成り立たないと思います。他のお大名と会う場合は、常に兼続が隣りに居て、その仲介をしてくれるんです。
07/08/04






























 片倉小十郎という名は、本来一個体を表すものではない。今は片倉景綱が小十郎を名乗っているが、いずれはその子、重長がその名を受け継ぐことになっている。伊達政宗からの信も篤い小十郎、そして若輩ながらも才をにおわせるその子・重長は、伊達家にはなくてはならぬ人物であった。さて、その重長であるが、未だ 20を越えぬ年齢ながらも、容姿端麗にして物腰穏やか、才能溢れた若者であった。特に容姿に関しては、精鋭揃いの伊達家の中でも更に群を抜いていた。その重長、此度は主・政宗に従い、大坂城へと赴いていた。そして、大層困ったことに、小早川秀秋の目に留まってしまったのだ。何分、相手は太閤殿の縁者である。無下に扱うことも出来ず、けれども相手をしてやる義理もなく、重長は文字通り彼から逃げ回っていた。

 今も何とか秀秋をまくことに成功し、一息ついている時であった。ちなみに主である政宗にもこのことは耳に入っているらしいが、根からの面白いもの好きであるから、どうやら政宗からの助けは望めそうになかった。さあどうしたものだろう。重長がそう途方に暮れていると、少しだけ急いだ、早歩きをする足音が近付いてくるではないか。ああもう見つかってしまった、さてどこに隠れればよいものか。重長は辺りを見回すが、ぴしりと閉められた襖が続くばかりの廊下に、己の姿を隠してくれそうな障害物は何もなかった。ここは少々手荒だが、相手を張り倒してでも…、そう思案していると、背後の襖が音もなく開いた。重長は思考の最中である、気付く余裕もない。その襖の隙間から、白い手がぬっと這い出、あろうことか重長の着物を掴んだ。ハッと後ろを振り返るも時既に遅し、重長は思いも寄らぬ強い力に、抵抗する間もなく部屋に引き摺られてしまったのだった。

 開けられた時と同様に、音もなく襖は閉められた。
 重長は咄嗟に声を上げようとしたが、それよりも先に背後から手が伸び、口を塞がれてしまった。いよいよあやしい、これはどうあっても逃げ出さねば、と重長が思っていると、力強い手付きとは裏腹に、穏やかな声が重長の耳を刺激した。

「どうかお静かに。あなたに危害を加える気はありません。」

 本来ならば、言葉を信じるものではない。だが、重長はその声が、あまりに優しく己の心を揺さぶるものだから、抵抗するという思いがどこかへと飛んでいってしまった。背後の相手にほとんど身を預けるようにもたれかかっている状態のまま、廊下を歩く足音を聞いた。段々と近付き、そして遠ざかっていった。重長から安堵の息が漏れた。

「中納言さまは行かれましたかな?」

 背後の気配はくすくすと笑い、重長の拘束を解いた。重長をからかっているようにも聞こえたが、不思議と不快ではなかった。重長は身を起こすと、ようやくその人物を確かめた。面識はなかったが、重長は彼の人物の顔を一方的に知っていた。

「真田、左衛門佐どの、」

 確かめるように重長が口を開けば、はい?と幸村が首をかしげつつ返事をする。呼ばれた、というよりは、思わず口にしてしまった、というニュアンスを読み取ったのだろう。

「片倉どのには、ご無礼を働いてしまいましたなあ。どうか、平にご容赦を。」

 幸村が恭しく頭を下げれば、重長は腰を浮かしてそれを止めさせた。確かに無礼には違いないが、重長としては秀秋から無事逃げ出せたことが何よりの大事であった。重長が、どうかお顔をお上げください、と声をかければ、幸村は涼やかな声で、怒っておりませんので?と問う。重長はここで初めて、怒ることを忘れていたことに気付いた。どうも、この御仁の声がいけない。ついつい人を穏やかな気持ちにさせてしまう調子なのである。

「怒っておりません。むしろ感謝を致さなければ。ただ、もう少し手段はありませなんだかと、思う次第でして、」
「美少年を連れ込む悪い男の心境を、ちょっと味わってみたかったのです。」

 幸村はにこにことそう言った。重長は咄嗟に幸村の言葉が判断つかず、気の抜けた顔で、は?と問い返したが、幸村は二度は言わなかった。男の夢ですよ、と笑みを浮かべるばかりである。
 重長は、それ幸いと幸村の顔をじろじろと眺めた。聞くところによれば、目の前の男は、我が主と同年だと言う。主の性格はさておき、容姿は若く見える方である。そろそろ三十に入ろうか、という年齢だったと思われるが、一向に若さが衰える気はなかった。むしろ日々若返っているかのような錯覚すらあるのだ。それは常に前へ前へと飽くなき成長をしようとしているからだろうか。だが、目の前の真田幸村という男は、その主と比べても、若かった。未だ20を越えぬ重長がそれを言うのは何やらおかしい気もするが、重長をもってしてでも、幸村は若い、のである。見目がそう思わせるのか、それともこの雰囲気であろうか。否、この笑顔である。にこにことした笑みを貼り付ける幸村の顔は、童の遊びまわっている顔によく似ていた。

「左衛門佐どの。」

 重長がそう声をかければ、幸村は遅れた反応で、何か?と言う。はて、おかしなことだ、と重長が思っていると、幸村はその表情を読み取ったのだろうか、はにかみながらこう言った。浮かべる表情の一つ一つが柔らかい。

「あまり、その名で呼ばれることに慣れておりませぬゆえ。片倉どのも、いずれは違った名で呼ばれることもありましょう。その時分かりますよ。」
「小十郎の名のことを仰いますか?そうですね、いずれは私もこの名を用いる日が訪れましょう。ですが、殿の小十郎は私ではありませぬよ。」

 政宗にとって、小十郎という存在はたった一人であろう。己の影を努め、時に優しく時に厳しく側に寄り添う小十郎という男は、景綱以外に存在はせぬ。それを悲しいとは思わないが、殿の口から小十郎と呼ばれる日が果たしてくるものか、と思うことはあった。

「では、私にとっての小十郎どの、では、いけませぬか?」

 幸村は重長の手をとり、そう説いた。重長は、やはり咄嗟に何を告げられたのか理解できなかった。軽々しく口にすることではないし、そう告げられたとしても、己は快く思わぬのではないか。そう思われたが、どうしたことか、そういった不快の念は何一つなかった。ただ純粋に、幸村の言葉が嬉しかったのだ。

「それ、は、」

 重長が息を吐けば、幸村の手に力がこもる。穏やかな男である、やわらかな雰囲気をまとった男である、だが、この手から伝わる熱の熱さが、そのまま、この男の情熱ではないか。そう思うと、重長は言葉を失った。


 その時である。重長が引き摺り込まれた時に開かれた襖が、今度は良い音を立てて勢い良く開かれた。襖を開いた男は仁王立ち、その背後に控えているのは、幸村の手の者だろうか。襖を開けた男は、中の様子に一瞬眉をひそめたが、すぐにどかどかと部屋に上がりこみ、幸村の近くにしゃがみ込んだ。

「信繁どの、可愛い可愛い私の重長を誘惑するとは、そなたも中々に侮れぬなあ。わしには手すら触れさせてはくれぬと言うに、重長相手には景気の良いことよ。それとも、将を射んと欲すれば、かのう?」

 姿を見せたのは、重長の主でもある、伊達藤次郎政宗であった。





***
幸村 …30前
小十郎…15辺り
秀秋 …20前  ぐらいですが、小十郎にはもうちょい歳食ってもらった感じです。そして幸村は年齢不詳(…)
小十郎は小十郎でも、二代目でした。徐々に小十郎は幸村にほだされていきます、多分。しまいには、信繁どのぉ〜!と叫びながら纏わり付く子犬になります(予定です!予定!)
07/08/14






























 聞き慣れた声で、源二郎、と控えめに呼ばれ、幸村はゆっくりと振り返った。兄が手招きをしている。幸村は穏やかに笑うその下で、何か良からぬことを企んでいると悟ったが、幸村はその悪戯に付き合うことが好きだったから、兄の招きに応じた。

 兄の言われるがままに従った結果、兄の部屋に閉じ込められてしまった幸村は、愛想ばかりの良い兄の顔をじっと見つめた。今日はどんな悪戯がその口から語られるのだろう。幸村は嬉々として兄からの言葉を待った。

「源二郎、」

 穏やかな声と共に、兄こと信幸が幸村のとても近くに腰をおろした。一つしか違わぬ兄弟だが、その背丈は二つも三つも開きを感じさせる程で、長身の信幸が前へ立てば小柄な幸村は隠れてしまう。今も幸村の正面に座り畳についている一方の手に体重をかけ、空いているもう片方の腕を幸村へと伸ばせば、幸村の視界は兄が独り占めをしてしまった。
 ひやりとした信幸の手が幸村の額に触れたかと思えば、垂れていた前髪をその手がそっとかき上げた。露になった額に、熱がぶつかった。近付き、輪郭すらおぼろになってしまった兄が、幸村の額に己のそれを合わせているのだ。

「…兄上、」

 幸村は物怖じしない。声を発すれば相手の吐息が顔にかかった。けれど幸村は相手が信幸であるからこそ、驚きはしなかった。いつもの調子で、どうなさいましたか、と訊ねる口調である。

「なに、熱があるのではないかと思ってね。」

 信幸は名残惜しそうに幸村から手を離す。気まぐれに幸村の頬を掠めていった指先が、水を張ったばかりの風呂のように冷たくて、幸村は思わず身体をびくつかせた。信幸はその様を、目を細めて眺めていた。

「熱などありませんよ。そうやって口実を作らねばなりませんか?」

 私は兄上に触れることに、一々理由など考えませぬ。
 そう言いながら、遠慮なくぺたぺたと信幸の顔を撫で回した。信幸もそこは幸村のさせたいようにして、抵抗は見せなかった。

「うん。唐突に触れるときっとびっくりしてしまうだろうから、私が理由が欲しかったんだよ。」

 信幸の顔を這っていた幸村の指が、むに、と信幸の頬をつねった。強い力ではない。

「おどろきましたか?」
「ああおどろいた。おどろいたとも。」

 そう言いながら、驚いた素振り一つ見せぬ信幸であった。





(余談)

 幸村は兄の部屋を辞し、一人の人物を探して廊下を歩いていた。右近、右近、と呼びながら歩けば、家中の者に伝い聞いたのだろうか、鈴木忠重が姿を見せた。
「右近、布団を布いてくれ。まだ部屋に居るだろうから、急いでおくれよ。」
「はい、」
 かしこまりました。と右近は詳細を訊ねるでもなく了承した。幸村はそんな右近の様子に、きょとんとした表情で右近を見やる。
「お前は私の考えが分かるのかい?」
「分かりませんが、考えることはできます。源三郎様がまた体調を崩されたのでしょう。」
「ああそうなんだ。本人は気付いていなかったけれど、ちょっと熱がね。」
「源二郎様がわたくしをお呼びになるとしたら、源三郎様のことでしょうし、おそれながら源二郎様は病とは無縁のお方でございますゆえ。」

 幸村は右近の応えに穏やかに笑った。ああそうだとも。そして、そのまま一緒に寝ておあげよ、兄上は大層お喜びになるぞ。私はこれから野駆けに行ってくるから、兄上の看病はお前に任せたぞ。
 右近は無表情に幸村を見た。その顔に、幸村はくすくすと笑い声をたてる。

「わたくしを生贄になさいますか。」

 幸村はただ楽しげに笑うばかりであった。





***
07/10/19





























 大助は父が好きであった。誇りであった。常に穏やかに佇み、一度とて声を荒げたことのない父であったが、存外に悪戯好きで、よく大助と一緒になって家臣たちを罠にかけたものだ。今でも、青い空に融けるように響いた、父の軽やかな笑い声が耳に残っている。ははは、と笑う父の、何と爽やかなこと。


 その父が、大助の身体を抱き締めながら、すまぬすまぬと泣いている。父の涙を見るのは初めてであった。父が取り乱す姿を見るのは初めてであった。だが、大助は、すまぬすまぬと縋る父を幻滅したりはしなかった。父がこうまでおれを頼っている、縋っている。あの父が、おれを認めているのだ。そう思えば、大助の胸は高鳴った。父上、おれは父上がそうやって頼ってくれる程に成長いたしましたか?そう訊ねてみたかったが、父はやはりすまぬすまぬと、大助が思わず涙をつられそうになる程に泣くものだから、何も言えなかった。

「すまぬ、すまぬな、大助。だが、これは私の最後のわがままだから、どうか聞き届けておくれ。ああすまぬ、すまぬな大助。」
「父上、おれは父上を誇りに思っても、うらむようなことはありません。ですから、どうか、父上、笑ってください。いつものように、笑顔でおれを見送ってください。」

 大助、と幸村が名を呼ぶ。大助は、はい、と父の手を握り締めた。年老いた父の手は、けれど大助には心地良かった。

「大切なお前を見送るのに、笑ってなどいられぬよ。真田の血は、まこと親愛が深いのだから。」
「しっています、父上。おれは父上も母上も、爺様も、叔父上も、みんな大好きです。」
「お前は、私の子だなあ。」
「はい、父上の子で誇りに思っています。」

 幸村は、そしてまた泣き出してしまった。大助は最早父の涙を止める術を持たず、父の思うまま、身体を預けていた。


「私の代わりに、秀頼様に最後までお仕えしておくれ。」
(父上、おれは父上の優しいお心を、いつまでもいつまでも誇りに思います。)





***
07/10/31






























『なあ源二郎、お前は世界が見てみたくはないか。共にゆかぬか。』


 幸村は先程見送ったかの人の言葉を思い出していた。良い夢ですね、と苦し紛れに吐き出した幸村の内心を読み取っていたのだろうか、彼はそれ以上は言わなかった。上杉景勝が忍びの手引きで九度山の真田の屋敷へと訪れたのは、ほんの数刻前の話であった。彼は他愛のない話をして帰って行った。幸村は、記憶に新しいはずの彼の言葉が、既にもうおぼろげなものになってしまっていた。


 動揺したのだ。景勝が、あまりにかけ離れた人と同じ言葉を口に出してしまったものだから、つい、目の前の人物が誰なのかを忘れてしまいそうになってしまったのだ。その人に対して、己はなんと切り返しただろうか。ああそうだ、今でもひどいことをよく言えたものだと感心してしまう。

『確かに、それはとても魅力的な誘いです。ですが、小さな日ノ本すら手に入れられなかったあなた様に付いて行っても、世界をとることなど、とうてい、』

 幸村は、そう政宗に返答をした。伊達政宗も景勝と同じように、忍びの力に物を言わせて訪ねてきたのだ。景勝にも、同様の言葉を告げるべきであった。そうしなければ、彼はいつまでも幸村に夢を見続けるだろう。幸村は彼の優しさに縋ってしまうだろう。いいや、幸村は縋りたかったのだ。彼の言葉に、存在に、甘さに。幸村は、単純に、お前は嫌なやつだ、と景勝に思われることが我慢ならなかったのだ。





***
08/02/08






























 幸村はため息をついて、ようやく膝の上の繕い物をどけた。ついでに、膝の上を軽くはたけば、景勝は遠慮なく幸村の膝に頭を乗せた。その時の、景勝の嬉しそうな顔ときたら。幸村は唐突に泣きたくなってしまった。この人が甘えられる唯一の人が、いなくなってしまったように錯覚したからだ。こんなにも単純な、分かりやすい親愛も、この方にとってはしばらく振りだったのかもしれない。いつも景勝の側にいた、彼の顔が幸村の脳裏に蘇る。若い。幸村の記憶にある彼は、今の幸村よりも若い顔をしている。随分と会っていないのだ。

「このような場所においでになって、兼続様はかんかんでしょうね。」
「与六のことなど、関係ない。」
「何を怒っておいでなのです。」

 幸村が景勝の顔を覗き込めば、ぷいと唇を尖らせた。子どもっぽいその反応に、幸村はああ変わらないなあ、と密かにその事実を噛み締めた。幸村は威厳ある景勝の姿を知っている。そしてまた、童のように心知れた者に甘える景勝の弱さも知っている。

「好きだ。」
「知っております。」
「近こう寄れ。」
「膝を貸しておりますのに、これ以上に?」
「おれの手許に居ればよいのだ。」
「今あなたのお手許には、わたししか居りません。」
「ずっと、おれに膝を貸しておればよい。ずっと手許に居ればよい。」
「それで上杉が滅亡するようなことがあっては、わたしとて立場がございません。」
「徳川に反論などさせん。上杉家を舐めるな。」

「それは、

 数十年前の夢をご覧になっておいでです。」


 景勝がようやく幸村へ視線を戻した。幸村は、現実を見ろ、と穏やかに告げるつもりでその言葉を吐いた。子どものようなことを仰る景勝様。わたしの前では、上杉中納言などという名前すら煩わしいのでしょう。ですが、既にそれでよかったわたし達はいなくなってしまった。通り過ぎてしまった。あなたは上杉中納言景勝として、わたしは真田左衛門佐幸村として、いつかは軍立場でまみえるのです。願わくば、あなたの軍と直接の戦がないことを、いいえ、それこそ悲劇でしょうか。

「夢か。」
「、」

 幸村は迂闊な同意を避けた。ぎゅうと胸が締め付けられるような悲しげな声に、幸村は唐突に覚った。穏やかに告げられた、このお方の切なげな顔ときたら。この方は、お寂しいのだ。幸村の動揺が僅かな呼気となって景勝の耳に届いた。景勝は幸村の顔を見上げながら、からからと笑い声を立てた。声は確かに笑っていたが、その顔には哀愁が浮かんでいた。やはり、お寂しいのだ。

「こら、お前が情けない顔をしてどうする。笑え源二郎。おれはお前の笑顔を見に参ったのだぞ。」
「兼続様は、」
「源二郎、」
「兼続様は何をしていたのです!」
「与六は関係なかろう!!」

 景勝ががばりと身体を起こす。幸村は唇を噛み締めながら、睨み付けるようにじっと景勝を見詰めた。目の奥では互いに怒りの炎が燃えていた。しかし、先に目をそらしたのは景勝だった。景勝の心情を察しすぎた幸村が、その瞳にじわりと涙の膜を張ったからだ。

「兼続が勝手に養子組を決めよった。おれには何の断りもなかった。」
 徳川重鎮、本多正信の次男・政重を直江兼続が養子に迎えた、という話は幸村の耳にも入ってきている。あからさまな媚諂いである。しかし景勝が憤っているのは、そんなことではない。己に無断で、相談すらなく、さっさと己の進退を決めようとしている兼続の所業が、ただたまらなく寂しいのだ。以前はそうではなかった。おれたちは水魚の交わりそのものであった。そう呟いているように見えた。ええ、ええ、知っております。わたしはあなた方の絆の深さを、重々に承知しております。景勝には、その媚諂いが上杉家の為を思ってのことと分かっているからこそ、余計に苦しいのだ。

「お前を訪ねたは、ただ昔話が恋しかったのであろう。あの時の空気に、もう一度触れたかったのであろう。」

景 勝の手が、そっと幸村の手に重なった。無意識に拳を握り締めていたようだ。景勝が、その力をほぐすように、両の手で幸村の手を包み込んだ。やさしいお方やさしいお方。わたしはこの方以上にやさしいお人を知りません、清らかなお人を知りません、かなしいお人を知りません。過去に戻りたいと表情で訴えておきながら、それを言葉にせぬ分別が、無性にいとしかった、かなしかった。


「おさびしゅう、ございますね。」


 幸村はちゃんとその言葉を発せられたかどうか。景勝に抱きすくめられ、何も分からなくなってしまった。





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08/02/28






























「大坂に入ろうと思う。」

 大助は父の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。父は庭を真っ直ぐに見詰めている。その瞳に、大助の存在など映ってはいない。何ものにもおかされぬ、己の世界に浸っている時の父の横顔は、きれいだ。髪に白いものが混じろうが、顔に皺が増えようが、それは変わらなかった。すっと伸びた鼻筋、きりりと引き締まった唇。柔和な表情を絶やさぬ父が、己の世界に浸る時は、その一切を捨て去る。表情を消した父の横顔が大助は好きだ。

「おれは父上に従いまする。」
「そなた、いくつになった。」
「十と五に。」

 父はようやく大助を振り返った。穏やかな表情は、大助が見慣れたものだ。父はいつだって優しい。だがそれは、もしかしたら表面上を覆う面なのかもしれぬ。大助は密かに訪れた上杉景勝や伊達政宗に対して投げ付けた、辛辣な父の言葉をひっそりと聞いていた。あれがあのお優しい父上かとも思った。案外に、あちらの方が本来の父上なのかもしれぬ。九度山で腑抜けを演じねばならぬ、と無理に笑みを作っているのかもしれぬ。

 父は十五かあ、とのんびりとした口調で繰り返した。その時のわたしは何をしていただろうなあ、とこぼしている。必死に誤魔化そうとしている、その闘志と呼ぶにはあまりに浅ましい欲望を、父は抱えている。大助はふとこぼれる父の感情を拾い上げる度に、父にそんなことを思う。父の激情は、こんな山奥のさびしい小屋で発散できる程、ちっぽけではなかったのだ。

「父上の御為に、働きとうございます。父上の御為に、」
「それはならぬなあ。」

 穏やかな口調であった。それなのに、大助の言葉をいとも簡単に塞いでしまった。にこにこと笑みを浮かべている。激情を、持て余しているのだ。

「どれが、ならぬのですか。」
「"父上の御為"のくだりが、な。」

 それはあんまりです、と大助が思わず顔を顰めた。こらこら、そんな顔をするものではないよ。そう父から言葉がかかることは、なかった。父の眼は既に大助からそれていたからだ。再び庭へと視線を向けている。いいや、父は大坂の地へ思い馳せているに違いない。そこに、大助という存在は想定されているのか。大助はその横顔が無性に切なくなってしまった。父は孤高なのだ。誰にもその生を邪魔できぬのだ。上杉景勝も伊達政宗も、結局は父との勝負に負けたのだ。父は彼らの追っ手から、見事にするりと逃げおおせたのだ。孤独と孤高は、背中合わせで存在しているに違いない。

「わたしはわたしの為に、そなたはそなたの為だけに、働けばよい。よいか大助。」

 秀頼様の御為に、と零さなかった父のその不敵な表情を、大助は生涯忘れることはないだろう。





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08/03/09






























「佐助、」

 と幸村は忍びを呼び止めた。その懐に忍ばせた書状のあて先を、幸村は知っている。

「わたしも共に行くぞ。」
「おそれながら、その儀は無用と存じます。」
「命令ぞ、佐助。」
「おそれなら、」

 幸村が佐助の腕を掴んだ。成長期を経て、佐助は幸村よりも背が伸びていた。幸村はぎゅうぎゅうとその手首を握り締め、佐助の顔を見上げた。有無を言わさぬ、その無言の重圧に、ついには佐助も折れた。佐助は主のこの表情に滅法弱い。

「わたしは、怒っておる。」
「御意。」
「そなた、分かっておったのか?」
 御意、と佐助は顔を反らした。幸村はようやくその手首を解放した。佐助の手首には、くっきりと幸村の指の痕が残っていた。

「わたしに大層恥をかかせた。」

「わたしは、火が出る程に恥ずかしかった。」

「あの方の顔を見ずには、この怒りは静まりそうにない。」

 佐助は幸村の表情をちらりと盗み見る。怒っていると言いながら、その横顔はどこかさびしげであった。彼が裏切ったわけではない。幸村の器を見極めてしまったわけではない。幸村もその辺りは重々分かっている。石田三成が起つよりも早く、真田家に忍びを飛ばしていたとして、それが徳川に嗅ぎ付けられぬとも限らぬ。入念な、至極当然な用心として、上杉家は極秘に石田方と連絡を取っていたのだろう。それが、幸村には歯痒いのだ。特別、と自負するわけではないが、上杉景勝が特殊な想いを幸村に抱き、幸村もそれなりに応えてきただけに、幸村を無視した動きはあまりにも幸村の矜持を逆撫でした。あの日の報復をされたのだと分かってはいたが、幸村の心情は複雑であった。わたしがそんなにも信用なりませんか!そう怒鳴りつけたくて仕方がないのだろう。佐助は主が激情の持ち主であることを十分に知っていた。その端正な顔に怒りの紅がさっと差す様は、一度見れば忘れられぬ。

「若、あまり無理をなさりませぬよう。」
 知っておる、と幸村が笑った。己の行動が、あまりにも幼い嫉妬であることをわきまえているのだ。そして、あまりに浅ましい怒りであることも。そんな感情を己に抱かせてしまった上杉景勝に、幸村は口惜しさと同時に愛しさを感じているのだろう。

「徳川の忍びが蔓延っているだろうな。己の身は己で守るつもりだ。だが、いざという時は、頼むぞ佐助。」
「御意に。」





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『幸村殿、(略)』設定のようなそうじゃないような。
08/03/10






























「そなたは、その眼で何を見ておる。」
「何を仰るかと思えば。目の前にはあなた様しかいらっしゃらないと言うのに。」

 逃げるのか、と政宗が問う。何を?と幸村はとぼけた。眼帯に覆われた右目は、どうやら相当によく"視える"ようだ。

「何に縛られておる。何に取り憑かれておる。その眼は何を見ようとしておる。」

 政宗は不機嫌そうに鼻を鳴らした。そこまで分かっておる、簡単に逃がしはせぬぞ。そう言っているようであった。幸村はふふ、と笑った。この人の聡さを、己の迂闊さを、幸村は笑い飛ばそうとしたのだ。

「亡くなってしまった人は、どうしてこうもうつくしいのでしょうね。」

 幸村の心を見透かそうと、政宗がじろりと幸村を睨み付けた。そんなもので心が覗けるのだったら、どれだけ楽だろう。幸村は思う。あなたがわたしの心を、よどみなく読み取ったとして。あなたはそしてようやく、わたしという存在に絶望してくれるのではないだろうか。言葉など、どうもいかぬ。口から飛び出した言葉など、てんであてにならぬ。そこに互いの余計な希望やら願望やら諦観やら、こうあるべきだと夢を見なければ、少しは真っ直ぐに思いが伝わるだろうか。いいや駄目だ。言葉など、所詮己の中で終結するものだ。相手に己と同じものを求めること自体、自侭であり自惚れであり、絵空事だ。

「わたしは、うつくしく散っていったお方を知っているのです。ええあのお方の死は何よりも惨うございました、あのお方が死を迎えることで、周りにはたくさんの悲劇を撒き散らしてしまいました。多くのお方を不幸にし、恨まれもしたでしょうね。それでもわたしは、あのお方ほどうつくしく散ったお方を、知りません。」

 幸村はそして政宗から一切の興味を失くし、視線を虚空へと飛ばした。政宗があの時小田原で、あの時大坂で、不様に見事に散っていたら、己はあの方に今でも抱くいとしさを、少しでも同情に混ぜることができただろうか。しかし幸村はすぐにその妄執を振り払った。この男が今生きていることに変わりはないことを、早々に思い出してしまったからだ。己よりも醜く長い生をさらすのだと、嘲笑ってしまったからだ。





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08/03/12






























 今も腹を抱えてげらげらと笑い転げている秀次を、幸村はどうしたものか、と困った顔をして見下ろした。ひぃひぃと辛うじて呼吸を継ぎながら、秀次はようやく幸村に視線を向けた。笑いすぎたせいで、目尻には涙がたまっている。まだ笑いの衝動が治まらないのか、顔にはしまりのない表情を貼り付けている。肩が先程から小刻みに揺れていた。

「信繁、見たか、あの上杉景勝も、人の子であったか!」

 そしてまた思い出したのか、ふふっははは、と決して上品とは言えぬ笑い声を上げている。幸村としては、景勝が己よりずっと人らしい情愛を持っていることを知っているだけに、この秀次の言葉にも首を傾げるしかなかった。

「毘沙門の化身が、ようよう、きな臭い顔をしたものよ!あやつ、どんな表情でおれを見下したか、お前はちゃんと見たか。あやつもそれを自覚しておるか。」
 傑作じゃ、ああ傑作!秀次はそう繰り返して、肩を震わせた。

「あやつは、おれがお前を取ってしまわぬか、そればかりを危惧しておった。」
 おれは生まれが生まれゆえ、そういった下世話な感情にだけは聡いのだ。どうだ笑えるだろう。秀次はそう言い、胸を張った。

「わたしは豊臣に人質として送られた身ですから。」
「なれば、お前はおれのものよ。」

 幸村は秀次の傲慢な理想をあいしていた。秀次の大雑把な言葉をあいしていた。けれども幸村は、その感情の名前を知らなかった。


「うばってくださいますか。」


はははッと秀次が笑い声を飛ばす。よい余興よ!と手を叩いているようにも見えた。秀吉に負けず劣らず、派手好きな男なのだ。

「お前はどこまで奪わせてくれる?」

 幸村が思わず口を開く。応えてやらねばならぬ、と妄信したせいだ。だが当の秀次は、よいよい、と手を上げて大仰な動作で幸村の動きを制してしまった。聞かずともわかっているのか、それとも、幸村自身答えられないことを知っていたのか。案外に、秀次自身、その答えに興味がなかったせいなのかもしれない。そう思ったことに淋しいと感じている己が居ることを知り、幸村はひとえに驚いた。上杉に人質として入った時も、その上杉を出奔した時も、こんな感情を抱いたことはなかった。


「農民が農民の苦しさを忘てしまっては、それは最早人ですらない。信繁、おれはおれの良いように、世を作り変えるぞ。」

 秀次はゆっくりと立ち上がった。その動きに合わせて、幸村も顔を上げた。まぶしい太陽が、幸村の目を灼いた。陽を背負った秀次の顔が直視できない。幸村は慌てて手をかざしたが、その言葉を吐いた秀次の表情はみえなかった。だがきっと彼のことだ、陽気に笑みを作り、幸村を不安にさせようとしているに違いない。

「その時は、のう、信繁。お前はおれの隣りにずっと居るのよ。」





08/03/13