朝餉を済ませた三成は、ここ数日の日課となっている散歩に出掛けた。以前ならば、すぐにでも出仕して仕事に取り掛かっているはずなのだが、三成はこの時間の浪費にはまり込んでいる。というのも、散歩の目的は運動ではなく、その通り道であるからだ。三成の屋敷から少し遠回りをして、ねねに宛がわれている屋敷の前を過ぎる。開け放たれている門をこそこそと覗き込めば、彼女はいつもと同じ調子で庭の掃き掃除をしていた。この時間帯の行動は大体決まっていて、しかも仕事熱心な彼女は、三成がひっそりと眺めていても集中していてこちらには気付かない。彼女をしばらく眺めてから仕事へ向かう、というのが三成の日課になっていた。

 だが、この法則を知っているのは、何も三成だけではなかった。同じようにわざわざ遠回りをしてねねの屋敷をこっそりと覗き込む男――清正の姿を認めた三成は無意識に眉間の皺を深くした。それはあちらも同様で、仏頂面の顔には明らかな険が含まれていた。睨み合うように視線を交差させたが、すぐに顔を背けた。場所が場所なだけに、気まずいのだ。
「…こんなところに何の用だ」
 まず、火蓋を切ったのは清正だった。先手必勝は彼の信条である。
「俺はたまたま通りかかっただけだ。お前こそ、こんなところに用があるわけでもあるまい」
「おねね様に用があるだけだ」
 秀吉とは別の次元でねねを慕っている清正である。時間を見つけてはねねを訪ねている。まめなことだ、と三成は思うが、清正にしてみれば、ねねを蔑ろにしている三成の方こそどうかしている。重要度の置き方が互いに異なっているせいで、どうもかみ合わないのだ。


「お二人さん、人の屋敷の前で喧嘩しないで頂けますぅ〜?」

 と、剣呑な空気に割り込む声があった。驚いて、二人は罵り合いを中断させて、声の方を振り返った。門にもたれかかりながら、いかにもなジト目でこちらを見やる甲斐の姿があった。

「いい加減、声かけるなり諦めるなりすればいいじゃない。それをまぁ、いつまで経ってもこそこそこそこそ、遠くから眺めるだけだなんて。顔は良くっても、度胸がなけりゃあ、ねぇ?」

 腕を組んで、二人の醜態などお見通しですよ、と言いたげだ。見下した様子にまず噛み付いたのが三成だった。彼の矜持の高さが、どうも耐え性という言葉を無意味にしてしまうらしい。女相手に本気になるな、と清正もすかさず止めに入ったが、そうすると今度は清正に矛先が向けられる。後は売り言葉に買い言葉。甲斐自体も喧嘩っ早いところがあり、屋敷の前だというのに、ぎゃあぎゃあと子どもの喧嘩のような罵り合いにまで発展してしまった。

 それを止めたのが、ねねののん気な声だった。

「甲斐ちゃんー、何か騒がしいけど、どうしたのー?」

 騒がしい、などという次元ではない。誰がどう聞いても口喧嘩の類で、互いに手が出ていないのが不思議なほどの激しさだった。ねねは出掛けるらしく、少し余所行きの薄紅色の着物を着ていた。染め抜かれた梅が季節を感じさせた。帯はねねの年齢には少々派手な赤と金が使われていたが、ねねには良く似合っていた。
「あれ、珍しいこともあったもんだね。二人して、何の用だい?」
 これから出掛けるから、手短にしておくれよ、と先の喧騒などまるで聞こえていない様子だ。もしかしたら、あまりに聞き慣れているものだから、認識が麻痺してしまっているのかもしれない。
「俺はたまたま通りかかっただけです」
 その言い訳を貫き通そうとしている三成は、ねねからそっぽ向きながら、そう無愛想に呟いた。こら!三成!そういう態度が駄目だって言ってるでしょ!とねねはいつもの言葉を繰り返したが、三成も耳たこだ。先のねねのように、騒音を聞き流している。それを咎めるのは清正で、言葉にしないものの、その目が、「おねね様になんて態度を取るんだ!」と非難がましい。
「俺はおねね様の顔を伺いに。何か用事があったわけじゃないんです、すぐに戻ります」
「うんうん、清正はいつもあたしを気にかけてくれて、お母さんとして嬉しいよ!三成、お前も忙しいのは分かるけど、たまには顔を見せておくれよ」
「はいはい、分かってますよ」
「もう、お前は。いつになったら、その反抗期は終わるんだい?」

 こうなってしまえば、もうねねのペースである。それを眺めている甲斐は、やっぱりおねね様ってすごい!となにやら感心している。

「おねね様!お待たせして、申し訳ありませんっ」

 と、声と共に飛び出してきた姿に、二人は勢いよく首を振った。彼らがその姿を一目見ようと通い込んでいる、――幸村だった。余程慌てていたのか髪が少々乱れていたが、少しめかしこんだ着物姿には影響がなかった。ねねとは対照的に、濃い赤茶の地味な色の着物だ。甲斐が幸村に駆け寄って、幸村様、髪、ちょっとはねてます、と手櫛で整えている。甲斐だけでなく、ねねや清正、三成に見られたことが恥ずかしかったのか、少し頬を上気させて、ありがとう甲斐どの、とふんわりと微笑んだ。射程距離内にいた二人は、先程までの饒舌な口をしめてその笑顔を見つめていたが、照れくさくなったのかさっと視線を外した。不審なことこの上ないが、彼らの奇行を口に出す者はいなかった。ねねも幸村に駆け寄りながら、
「なんだい、着替えちゃったのかい?幸ちゃんは若いんだから、もっと明るい色を着た方がいいよ。折角うちの人から貰ったんだから、これを機会に着ればいいのに」
「いえ、やはりわたしはこちらの方が落ち着きますし。頂いた着物は、慶事の際にちゃんと着ますから」
 ねねの不満そうな顔にすいませんと謝りながらも、幸村は決して自分の意見を曲げなかった。もう!強情だね!と珍しくねねが折れるのだから、相当だろう。

「それじゃあ、あたし達は出掛けるから、お前たちもまた来ておくれよ」

 そう言い、様子のおかしい二人を置いて、幸村を連れて去って行った。すれ違い様、幸村は二人に会釈をして、「おねね様、お借りしますね」と一言。無邪気にそう言って笑うものだから、二人はますます動けなくなってしまった。

「あたしが言うのも何だけど、二人とも、顔に似合わず純情すぎ…。でも、幸村さまとそう簡単にお近づきになんてさせてあげないわ。幸村さまはあたしが守るんだから!」



***


 予想外の出来事から数日後。この日も変わることなくねねの屋敷の前を通りかかる三成には、一つの決意があった。清正と一緒になって、彼女を眺めてばかりはいられない、頭一つ、抜きん出なければ!と勢い込んでいた。ただ、三成と清正は、妙なところで気が合う者同士の似たもの同士であった。三成が決意を燃やしていると同様に、清正もまさに同じ決意を抱えていた。今日こそ、幸村に思いを告げる、と。

「幸村!」

 と、門から叫んだのは、果たしてどちらが先だったろうか。もしかしたら同時だったかもしれない。けれども、今日に限って幸村の姿はなく、ある意味天敵とも言えるねねが顔を出した。

「この前といい、揃ってどうしたんだい?幸ちゃんなら、ちょっと所用で城に、……あっ、そういうこと!」

 二人の顔を交互に眺めていたねねだったが、何か思いつくことがあったのか、手を打って喜んでいる。常の二人だったら、ねねの勘違いの上でのお節介だと覚るのは容易かったろうに、今は思い切り舞い上がっていて、余裕がないせいで、ねねの行動を冷静に見つめることができなかった。
「何だかんだ言って、結局一緒に育った家族だものね、うんうん、仲良きことは美しきかな、だね。正則もお前たちならいいって言うだろうし、じゃあ、一緒に行こうか」
 何がですか?というか、何故ここであの馬鹿の名前が出てくるんですか。当然のように出てくるだろう疑問も、この日の三成から飛び出ることはなかった。強引とも言える力で二人の手首をがしりと握り締めたねねは、さ、出発!と意気揚々と城へと向かった。行き先は、秀吉が待っている大広間だ。

 上座には秀吉が座っている。次席にはねねが秀吉に寄り添い、二人は向かい合って座らされた。この時点で既に分からないことだらけなのだが、更には、秀吉に対面する形で正則が平伏していて、その少し後ろには、何故か幸村までもが正則同様に手をついている。

「正則、幸村、面を上げよ。して、わしに何用じゃ?」
 そう訊ねておきながら、正則の用を知っているのか、その顔には笑みすら浮かんでいた。信長様に褒めて頂いた、と嬉しそうにしていた秀吉そのもので、これはとびきりの慶事があったのだろう、と想像することはできても、その何かが分からない。正則はいつもの落ち着きがない様子を必死になって抑え込んでいるようで、やけにのったりとした動作で顔を上げた。幸村も少し遅れて顔を上げる。

「幸村を娶りたく、叔父貴の許可を頂戴しに参った!」
「うん、分かった。幸村も、ええな?」
「はい、謹んでお受けいたします」

 正則が喜んだ勢いで幸村の肩を抱き寄せる。幸村は恥ずかしそうに頬を紅潮させていたが、その表情は柔らかかった。正則なりに緊張していたのか、ほっとした声でよかったな、と正則が皆に聞こえる大音声を発すれば、幸村は、ええうれしいです、と喜びで目を潤ませて幸せにそうに微笑んでいた。それを眺めている豊臣夫婦も、「若いってええのぅ」「昔のあたしたちみたいだねぇ。初々しいねぇ」と距離を縮めていた。幸せな空気が漂う中、呆然としている三成・清正に気付く者など、この場には誰もいなかった。

 式はどうしようか、もうぱーっと盛大にやろうね!とはしゃぎ倒す豊臣夫婦から何とか解放された三成・清正の空気は暗かった。足取り重く、城を何とか脱出した二人は、同時にため息をついた。いつもならば、真似するな馬鹿、馬鹿お前こそ、と口喧嘩に発展するものだが、今日はその気力すらなかった。互いに顔を見合わせていたが、清正が三成の肩をぽんと軽く叩き、彼にしては珍しい疲れきった表情で、「今日、飲むか?」と訊ねる。いつもならば考えられない台詞であったし、三成としても返答など考えるまでもなかったはずなのに、三成の方も珍しく、彼らしくはなかった。
「…ああ、付き合おう」





「……っていう夢を見たんだけど、くのちゃん!幸村、実は女の子でした〜、っていうとっても楽しいぶっちゃけ話はないの?」
「…幸村様との付き合いは長いですけど、そういう話は聞きませんねぇ〜。ないですよ、ないない。残念ながら、そういう面白い話にはならないですぅ〜」
 その時だった、遠くでいかにも池に何かがはまりましたよ、と言いたげなポチャンという音と、それにかぶさるようにして叫び声が聞こえた。
『大変だ!流れ矢を避けようとして石につまづき、何とかたたらを踏んだ幸村殿を助けようとして、こちらは何もないところで足をもつれさせた石田様が幸村殿に体当たりをして、幸村殿が池に落ちてしまった!!』
「ありゃりゃ、大惨事だね」
 と、くのいちを振り返ったねねだったが、そこには誰もいなかった。主の不幸に援軍に行ったのか、はたまた、





***
10/03/25