政宗は小田原にあって、憂鬱とした気分を抱えていた。政宗には歳の近い弟がいたが、それを亡くしたばかりだったからだ。それも、出陣の準備の忙しさに半ば意識の外に追いやった感情だったが、ここに来て、急激にそのどこかへ追いやったものが政宗の中に戻ってきてしまったからだ。きっかけは分かっていた。
 親しいと呼べる間柄ではないが、数日を共に過ごし、死地とも呼べる難しい戦を乗り切った仲である、あの真田家長男が政宗を認めるなり、「はじめまして伊達どの」と笑いかけたせいだ。確かに、伊達政宗として彼と対面するのはこれが初めてだ。
 決して似ている兄弟ではなかったが、その笑みの造りは自然と彼の弟を連想させ(政宗は兄よりも弟と共有する時間の方が長かった)、そこから雪崩を起こしたように、己の弟の笑顔だとか姿形だとか、政宗に褒められて初々しく頬を紅潮させていた横顔だとか、反対に叱られて気落ちしている後ろ姿だとか、ちょっとした日常の顔が脳裏を過ぎっては消えていった。そして最後に脳裏に映し出されたのは、最期の瞬間に政宗を見やった死に際の顔であった。彼は政宗が無意識に記憶を放り出してしまいたくなるほど穏やかな顔をしていて、思考することすら政宗はやめてしまった。彼の死は政宗にとっては、悲しむことであり嘆くことでもあり、けれども同時に、忘れてはならない罪として刻まねばならぬものであった。

 政宗がどのような心持ちで、どのような心境でこの場に立っているのかなど、真田信幸が知る術はない。母とのささやかな宴の後に何があったのか彼は知らないだろうし、政宗自らがそれを教えることもないだろう。政宗の遅参の理由の一つに、どのような出来事が影響していたのか、政宗はどんな噂話が飛び交おうとも弁解はしなかったし、それらを否定も肯定もしなかった。事実は、自分だけが知っていればいい。

「…顔色が優れませんね。戦が長引いておりますし、致し方ないものとは思いますが、」
「豆州どのは、弟が疎ましく思うことはおありか?歳もそう離れてはおらぬ。しかも、決して凡愚ではない。大事な弟だ、守ってやりたいと思う、大事にしてやりたいと思う、いつくしむ心がないわけではないのだ。それでも、」
「ありませんね。私たち兄弟は、とても恵まれている。そう私は思っています。あなたは…、私から見れば、親兄弟のことで少々考えすぎているように思えます」

 余計なことには触れぬ兄弟だった。政宗が唐突に語り出しても、彼ら兄弟はそれをさも当然のことのように受け止め、聞き入り、時には相槌を打って政宗の話を真摯に聞いているだけだった。ただそれだけのことが、政宗には有り難かった。詮索されるのは、元々嫌いなのだ。

 実際の話、共に弟を持つ立場でありながら、政宗と信幸とでは自分たちを取り巻く環境が違いすぎていた。家の規模自体がまず違っていたし、極々一般的に(と政宗は思っている)弟と接していた政宗に比べて、真田の兄弟は少々親密すぎるように思えた。


 それは、先の上田での戦のことだ。政宗は孫市に引き摺られるようにして、その戦に加わった。政宗は孫市と共に遊撃隊として、信幸の下で鬱憤を晴らすように後先考えずに力を振るっていた。遊撃隊と言っても、政宗も小隊が任されており、最前線の戦闘に加われば乱戦となり、信幸の姿を見失ってしまっていた。ふと、まずいな、と思い、信幸の姿を探した。昔から嫌な予感だけは冴えていて、そのお陰か、いつもぎりぎりのところで命を拾っている。隊を孫市に押し付けるようにしてその場を任せ、馬を必死で走らせた。今思えば、何故自分がそんなに必死になっていたのか分からないが、戦の熱にやられたのだろう、政宗も馬も、息を切らして走っていた。彼は、すぐに見つかった。ただ、周りを敵兵に囲まれていて、絶体絶命と言う言葉が瞬時に脳裏を過ぎった。槍を失ったのか折れたのか、彼の得物は刀だけで、彼の傍らには数体の死体が血まみれで横たわっていた。満身創痍、彼は力なく刀を握り締めていて、それでも油断なく辺りの兵の様子を伺っていた。政宗は躊躇うことなく囲みに穴を開けて、まず彼と対峙している兵の何人かに鉄砲弾を食らわせ、突然の政宗の登場に動揺している隙に彼へと近寄り、有無を言わさず馬の上に押し上げた。馬を走らせ、政宗も並走する。追いすがろうとする兵を容赦なく叩きのめして、無事仲間の下へと送り届けたのだが。

 その様子を彼の弟である幸村が聞き付けたらしい。最前線で戦っていたせいで、まだ城内に戻れないでいた政宗の下まで、戦の汚れをそのままに幸村は馬を走らせ駆けつけた。転がり落ちるように馬から飛び降りた幸村は、政宗の下に駆け寄ると、ぎゅっと政宗の両手を握り締めた。政宗が驚く暇もない。幸村の手は、彼の苛烈な戦ぶりを示すように、血と砂とが乾いてこべり付いていた。肉刺の痕のせいで決してすべらかとは言えなかったが、不快ではなかった。汚れ云々は、政宗も同じようなものだ。
 幸村は顔を伏せ、声を震わせてながら、
「兄上をお助けいただき、まこと、誠にありがとうございますっ、」
 と、言葉少なにそう言って、更にぎゅうぎゅうと政宗の手を握り締めた。どうすればいいのか分からずそっと幸村の顔を覗き込めば、透けるように真っ直ぐな彼の目には薄っすらと涙の膜が張られていた。おぼろ月夜のような淡さがそこにはあって、政宗は見てはいけないものを見てしまったような罪悪感と胸の高鳴りを覚えたものだ。



 そういう兄弟であった。だからこそ、この兄弟が自分たちのような境遇にあった場合、彼はどんな選択をし、彼の弟はどのような運命を受け入れるだろう、と、そんな愚かなことを考えてしまったのだ。

「豆州どのは、もし、幸村が家を二分する火種となった場合、どのように始末をつけられるか?」
「私は何もしませんよ」
「…それでは、何も解決せぬ」
「弟が始末をつけます。それに、父が私を殺そうとするのなら、私がどう足掻いても防げぬでしょうし、あの子はあの子で敏い子ですから、私がどうこうする前に、あの子が始末をつけますよ」

 政宗は僅かに眉を顰めた。己の境遇に照らし合わされて語られた事柄以上に、彼にそのようなことを言わせてしまった自分の不明が疎ましかったからだ。
 正直な話、政宗の弟と幸村とでは雲泥の差があった。母に大事に大事に育てられた彼と、武田の元で武士としての基礎を築いた彼とでは、意識や物の捉え方自体が違っていただろう。気優しい、少々甘ったれたところがあった、物事に流されやすいきらいのある小次郎と違い、幸村は家中ですら、付け入る隙を与えないだろう。他人の目からしても彼ら兄弟の父が明らかに弟を贔屓していても兄弟は顔色一つ変えない原因は、そこにあるのではないだろうか。

「あの子は、家を出るなり、腹を切るなりするでしょう。そういう子です。まことに、誠に悲しいことではありますが」





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書きたいこと詰め込みすぎて、肝心のものがかすんでしまった感がありますー。ところどころ、真田/太平記だったり、山岡先生の伊達政宗だったりから設定を拝借してます。ふぃーりんぐ してください。 10/01/19