幸村、といつもと変わらぬ調子で声をかけられ、幸村は何を考えるでもなくキッチンからリビングへと顔を出した。片手にはねねが用意したドーナツを二人分のせた皿を持ち、もう一方はお茶を淹れたマグカップが二つ。リビングのソファーに座っている清正の正面に、テーブルの上に両手のものを乗せてから、はいなんでしょう?と、幸村もいつもの調子で返答をしながら腰掛けた。清正がマグカップに手を伸ばす。幸村は無意識にその動きを目で追った。一口、お茶を口に含む。いつもと変わらない風景だが、三成・正則が不在である以上、場の沈黙が長かった。幸村も内心では首を傾げつつ、彼に倣って自分に宛がわれているマグカップへと手を伸ばした。その時だ。

「好きだ」

 感情の起伏の少ない、落ち着いた声だった。幸村は思わず、えっ、と顔を上げた。マグカップを掴むはずだった手が、爪先だけが表面をかすめて高い音が響いた。清正はもう一口、口をつけて、やはり平素と変わらぬ口調で、もう一度繰り返した。

「お前のことが好きなんだ」

 ようやくそこで、伏せていた視線を上げて、幸村を正面からじっと見つめた。思わず後ずさりしたくなる程の真剣な表情に、幸村は応えるべく言葉を見失った。え、あ、と台詞にならない音を発したまま、口をぱくぱくと開閉させるだけで、そこから言葉が紡がれることはなかった。清正は、まばたきを忘れて幸村へと視線を注いでいる。周りからは、色恋沙汰に鈍いと言われる幸村だが、ここまで真っ直ぐに見つめられて、先の言葉の意味を間違えるような男ではない。何か言わなければ、という思いだけが先走って、頭が働いていないようだった。

 だからだろうか。彼が幸村の名前を呼んだ瞬間に、幸村の中のスイッチが入ってしまったのだろうか。やはりいつもと変わらぬ調子で名を呼ばれて、幸村はまるで弾かれたように立ち上がり、逃げるようにしてリビングを飛び出した。その先には、もう玄関しかない。幸村は靴箱の中から慌ててスニーカーを引っ張り出して、踵を踏むのも構わずに足を突っ込み、そのまま駆け出したのだった。



 幸村が逃げ場として駆け込んだ先は、武蔵が住み込みをしている道場だった。と言っても、道場の主は放浪癖があり留守にすることがほとんどで、武蔵が一人暮らしをしているようなものだ。幸村が辿り着いた時もやはり師範は留守で、武蔵が一人道場で刀を振るっていた。珍しく、息を切らして頬を上気させた幸村の様子に、武蔵も不審に思ったようだったが、日課の鍛錬を中断することはせず、ただ黙って素振りをしていた。幸村は息を整えつつ、武蔵の姿を眺めている。突然に訪れた非日常に、日常を全うしようとする武蔵の姿は落ち着きを与えてくれた。


 結局、幸村は武蔵に詳細を説明しないまま、泊まっていくことを決めた。幼い頃から、何度も寝泊りしたことのある道場だ。気安い仲である。










***
…っていう妄想をしてるんですけど、どうでしょうか?(デジャヴ)
この後、三成がお節介したり、おねね様がお節介したり、清正がガンガンにぶつかってきたりと、色々と紆余曲折があるのです。きっと。
10/04/15