ぞわりと、背筋が震えた。怖いもの見たさに顔を出した夢吉が短く悲鳴を上げる。慶次は乱暴ともいえる動作で夢吉の体を掴み上げるや、懐に押し込んだ。あれは、直視するものではない。

 慶次は、この日初めて、本当の真田幸村を見たといっても過言ではないだろう。戦場で何度もまみえたこともある。虎の若子の異名になるほど言い得て妙だと感心する程度には、幸村の実力を知っているつもりだった。実際、それは"つもり"以外の何ものでもなかったのだと慶次は痛感した。

 あれは、まさに紅蓮の鬼だ。炎に愛された若虎は一切の慈悲もなく敵を焼き払う。彼の槍の刃先は、塵すら残さぬ強い強い炎が宿っていた。彼に近付いた者は、一切の区別なく同じ道を辿っている。それを幸村は、何の感情もなく一瞥する。彼は、ただただ先を睨みつけていた。炎がちらちらと彼の目に写り込んでは消えて行く。まるで、彼自身が炎を纏っているかのようだった。

 異能持ち、と言われる人間がいる。慶次はそれを自然に愛された者たちだと思っている。普通の人よりも、少しだけ自然の力に敏感で、力を操るのがうまい、程度の認識だ。実際、慶次はそうやって風と付き合っている。それは、慶次の性質に良く似ていて、気まぐれの気分屋で、見えない相棒のようだと思っていた。
 だからこそ、このように苛烈に相棒を振りかざす幸村を目の当たりにして、ようやく、異能持ちが恐れられる意味を理解した。風が神さまの吐息というのなら、炎は何であろうか。炎は、その神さまをも焼き殺してしまったのではなかったろうか。神さますら恐れた存在ではなかったろうか。

 慶次は耐え切れずに「幸村!」と彼の名を呼ばった。敵を、文字通り殲滅し終えた幸村は、慶次の声に僅かに顔を捻る。片目で慶次の姿を捉えた幸村は、確かに慶次の存在を知ったようだったが、表情に動きはなかった。
「敵でなければ去ね。殺してしまう」
 慶次はぐにゃりと顔を顰めた。戦は嫌いだ。彼にそんなことを言わせてしまう、戦場の空気も嫌いだ。そして、戦場こそが本来の居場所と自侭に振舞う幸村の傲岸さも嫌いだ。大好きなものを変質させてしまう戦が、慶次は憎くてたまらない。

「それでも、俺はあんたが好きだよ」

 幸村は慶次の言葉に反応を返さず、かろうじて傾けていた首を元の位置に戻すなり、慶次を振り返ることなく走り出してしまった。





***
 沈まぬ太陽のような炎が
 わたしの足元を燻る

 『羊』より


10/09/05